正面に敵、背後にも敵(VS諏訪水照)

文字数 3,467文字

(内角へスライダー!)
くっ――

 インコースのスライダーを詰まらせた礼がセカンドゴロに倒れた。

 裾花清流は初回三者凡退に終わる。

スライダーがかなり速いよ。途中までストレートと見分けがつかない。
これは投手戦を覚悟しなければね。

 澪が2回のマウンドに上がる。

 投球練習を終わらせて相手の4番と対峙する。

 4番の小川はスラっとした右バッターだ。身長もあり、腕も長い。

(これは外角の方が危険かな)

 澪はまずインコースへストレートを投げ込んだ。

 小川が初球から振ってくる。空振りでストライク。

 やや高めだったが、球威がある分、バッターからするとボールが浮き上がるように感じられるのだろう。

 続くボールはインコースのチェンジアップ。

 大きな球速差で、これも空振りを奪う。

 2球で追い込んだ。

(この腕の長さ……バレーやってたらいいブロッカーになりそう……)
 そんなことを考えつつ、悠子はサインを出す。試合中に他の競技の名前が出てくるなど、これまでの悠子からすると絶対にありえないことだった。しかし、当の本人はそのことにまったく気づいていない。それくらい集中力を削られている。
(最後はまっすぐで――)

 澪はストレートで勝負にいった。

 インコースの高め。

 腕が長いバッターからすると、もっとも窮屈な体勢でバットを出さなければならない位置だ。

 狙い通りだった。

 小川は全力で振ることができず、中途半端なスイングで空振り三振に倒れた。

ごめん、徹底して苦手なコース攻められた……。
先頭の4番ですよ。勢いを呼び込まずにどうするのですか。
涼音、落ち着いて。ここからだよ。
 佐竹智花は5番の湖山(こやま)朱夏(しゅか)に思いを託した。
お願いします。
(今度は外中心だね)
(初回みたいな失投に注意……)

 外角のスライダーから入った。

 湖山が見送ってボール。

 2球目もスライダー。今度は真ん中から外角いっぱいに決まるコースを狙う。

 やや外に逸れてしまったが、湖山が手を出してきた。

 バットが空を切る。

(智花のスライダーより速い!)

 変化球を続けたところで、澪はストレートに切り替えた。

 一転して速球に変わり、朱夏は手が出せない。

 ワンボールツーストライク。

(……最後でインコースを使うのね)

 新海澪の強さはインコースの制球力にある。

 バッターの体付近に投げることには、無意識下で抵抗を覚える投手がいる。


 ――当ててしまうかもしれない。


 何も思っていないつもりでも、注意深くなりすぎ、結果として腕が振れなくなり、真ん中寄りの甘いコースに入ってしまう。

 アマチュア野球だと、こうした理由からアウトコース一辺倒で攻める投手も多い。


 だが、新海澪は違う。


 インコースにためらいなく投げられる。

 普段はおしとやかだが、マウンドに立つと闘争心全開で向かっていく。

 だからどこのコースにでもしっかり腕が振れて、インコースにも力のあるボールが正確に行くのだ。

うっ――

 インコース低めのストレートに、朱夏のバットが反応する。

 食らいついていったが、打球は力なくショート正面に飛んだ。

オッケー!

 奈緒が軽やかにさばいてツーアウト。

 この回は比較的スムーズに進んでいる。

なんてこと……。朱夏さんまであっさりと……。
ごめん、いいようにやられたよ。
ま、まだです! 島崎さんなら――
 言っている間に、6番の島崎が初球を振ってファーストフライを打ち上げた。
オーラーイ。
 赤羽夕日が余裕を持ってキャッチ。スリーアウトチェンジになった。
くう、なんたるザマ……これでは先輩方に練習の成果を疑われてしまいます!
涼音、それはいま考えちゃダメだってば。
無様な負け方は許されない……。たとえ練習試合であっても、私たちは勝たなければ……。
涼音! 守備行くよ!
ええ、そうですね。この回も確実に三人で切りましょう。

 佐竹智花はマウンドに上がりながら、サードへ走っていく新田涼音のうしろ姿を見ていた。

(あんなに変わっちゃうなんて……)

 去年の夏までの新田涼音は、地味ながらも練習熱心な部員の一人だった。

 それが、キャプテンに選ばれたことで変わっていった。

 諏訪水照は昔からの慣例で、引退する3年生たちが話し合って次期キャプテンを決める。

 そこで、まじめな涼音が選ばれた。

 リーダーシップなら朱夏も負けてはいなかったが、バッテリーのことに集中してほしいという理由で、3年生は涼音に決めたのだ。

(ああ、またイライラしてきた)

 3年生は引退したあとも毎日のように部活に顔を出してきた。

 そして、涼音にキャプテンとしてなっていないとあれこれ指導を加えた。


 声が小さい、指示が弱い、役割が徹底できていない、もっと堂々としていろ――。


 涼音が失敗するたびに先輩たちの口から出たのは、決まって「緋田先生は言っていたぞ――」だった。


 先代監督の緋田恵。


 一回戦敗退が当たり前だった諏訪水照を、3年でベスト4まで連れていった敏腕監督だ。3年生は緋田恵に指導された最後の代だった。

 彼女らは緋田恵を崇拝していた。

 何かあれば、「緋田先生なら――」が口を突いて出てくる。

(また、私を睨んだ……)
(あいつが、今のチームを壊したんだ)

 3年生は憑りつかれたように緋田恵の名前を出した。緋田恵語録が作れるくらい、いろいろな言葉を聞かされた。

 今の竜田(たつた)監督より、緋田恵の方が3年生にとっては重要な存在だったのだ。


 それを聞かされ続けて、涼音の精神状態はどんどん悪化していった。

 うわごとが多くなり、自分を責める言葉が増え、仲間には役割を徹底させようとする姿勢が強くなった。

 ついには、うまくいかないとその場で騒ぎ出すまでになってしまった。彼女には、相手チームの向こう側に3年生の姿が見えているらしい。


 ――また怒られる。なじられる。


 劣勢のまま試合が終盤に入ると、涼音の顔は目に見えて青くなる。

 3年生が卒業しても、涼音はまだ恐れている。

 キャプテンの失態を叱責されることを怖がっている。

(なんで味方のはずの先輩まで怖がらなきゃいけないの。敵は相手チームだけで充分でしょ)

 怒りを胸に秘めて、佐竹智花は投球に入る。

 先頭、4番の神村青葉をセンターフライ、5番岩見悠子をショートゴロ、6番漆原優をファーストライナーに打ち取ってさっさとベンチに戻った。

佐竹さん、ナイスピッチです。私たちが点を取るまで辛抱してくださいね。必ず、絶対に先制点はうちが取ります。取ってみせますから。
あのさ、あんまり無理しなくていいからね……。
何がです? 私は何がなんでも勝ちたいだけです。もし負けたら、それは私の力が足りなかったということ。もっともっとチームをまとめられるように努力しますので。
はぁ……。
(相手のエースも手ごわいわ。こっちが先に降りるわけにはいかないわね)

 澪のギアが一段上がった。

 球威がさらに増し、7番、8番を連続で空振り三振に切る。

9番、ピッチャー、佐竹さん。
(流れが悪い。ここから勢いを作らなきゃ)
佐竹さん! 貴女は無茶をしすぎないように! ピッチングのことを考えてセーブしながらスイングしてください!
(セーブしながらスイングってどういう状態だよ……)

 佐竹智花は小柄なバッターだ。投球も、速球と変化球と織り交ぜて打ち取る技巧派タイプでパワーがあるわけではない。

 ここはまっすぐの球威で押し込もうと、悠子は決めた。

(ガッ)
ファールボール!
(なんて球威……。一発で腕がしびれた……)
振らなくてもいいですよ! どうせツーアウトですし、腕を大切に!
(あんな風になっても、私のことだけは気づかってくれるから余計むなしいんだよなぁ……)
(ここも三人で切るよ!)
(――任せて)

 澪は柔らかい膝を沈ませてストレートを投げ込む。

 智花が振ってきた。

 しかしノビのある直球を捉えきれず、キャッチャーフライに倒れた。

無理しなくてもいいと言いましたのに……。
そうはいかないよ。私だってバッターの一人なんだから。
相手のエース、簡単には崩せそうにありません。次の回もよろしくお願いしますね、チームのために。
うん、チームのために、ね。
とりあえず行きましょうや~。
そうですね! 皆さん、がっちり守ってくださいな!
 投球練習を終え、内野手のボール回しを、佐竹智花は見ている。
(チームのため……? 私が必死なのはチームのためじゃない……)
しまっていきましょー!
 涼音からボールを受け、智花はセットポジションを取った。
(貴女のつらそうな顔を見たくないから全力なんだよ――涼音)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色