正面に敵、背後にも敵(VS諏訪水照)
文字数 3,467文字
インコースのスライダーを詰まらせた礼がセカンドゴロに倒れた。
裾花清流は初回三者凡退に終わる。
澪が2回のマウンドに上がる。
投球練習を終わらせて相手の4番と対峙する。
4番の小川はスラっとした右バッターだ。身長もあり、腕も長い。
澪はまずインコースへストレートを投げ込んだ。
小川が初球から振ってくる。空振りでストライク。
やや高めだったが、球威がある分、バッターからするとボールが浮き上がるように感じられるのだろう。
続くボールはインコースのチェンジアップ。
大きな球速差で、これも空振りを奪う。
2球で追い込んだ。
澪はストレートで勝負にいった。
インコースの高め。
腕が長いバッターからすると、もっとも窮屈な体勢でバットを出さなければならない位置だ。
狙い通りだった。
小川は全力で振ることができず、中途半端なスイングで空振り三振に倒れた。
外角のスライダーから入った。
湖山が見送ってボール。
2球目もスライダー。今度は真ん中から外角いっぱいに決まるコースを狙う。
やや外に逸れてしまったが、湖山が手を出してきた。
バットが空を切る。
変化球を続けたところで、澪はストレートに切り替えた。
一転して速球に変わり、朱夏は手が出せない。
ワンボールツーストライク。
新海澪の強さはインコースの制球力にある。
バッターの体付近に投げることには、無意識下で抵抗を覚える投手がいる。
――当ててしまうかもしれない。
何も思っていないつもりでも、注意深くなりすぎ、結果として腕が振れなくなり、真ん中寄りの甘いコースに入ってしまう。
アマチュア野球だと、こうした理由からアウトコース一辺倒で攻める投手も多い。
だが、新海澪は違う。
インコースにためらいなく投げられる。
普段はおしとやかだが、マウンドに立つと闘争心全開で向かっていく。
だからどこのコースにでもしっかり腕が振れて、インコースにも力のあるボールが正確に行くのだ。
インコース低めのストレートに、朱夏のバットが反応する。
食らいついていったが、打球は力なくショート正面に飛んだ。
奈緒が軽やかにさばいてツーアウト。
この回は比較的スムーズに進んでいる。
佐竹智花はマウンドに上がりながら、サードへ走っていく新田涼音のうしろ姿を見ていた。
去年の夏までの新田涼音は、地味ながらも練習熱心な部員の一人だった。
それが、キャプテンに選ばれたことで変わっていった。
諏訪水照は昔からの慣例で、引退する3年生たちが話し合って次期キャプテンを決める。
そこで、まじめな涼音が選ばれた。
リーダーシップなら朱夏も負けてはいなかったが、バッテリーのことに集中してほしいという理由で、3年生は涼音に決めたのだ。
3年生は引退したあとも毎日のように部活に顔を出してきた。
そして、涼音にキャプテンとしてなっていないとあれこれ指導を加えた。
声が小さい、指示が弱い、役割が徹底できていない、もっと堂々としていろ――。
涼音が失敗するたびに先輩たちの口から出たのは、決まって「緋田先生は言っていたぞ――」だった。
先代監督の緋田恵。
一回戦敗退が当たり前だった諏訪水照を、3年でベスト4まで連れていった敏腕監督だ。3年生は緋田恵に指導された最後の代だった。
彼女らは緋田恵を崇拝していた。
何かあれば、「緋田先生なら――」が口を突いて出てくる。
3年生は憑りつかれたように緋田恵の名前を出した。緋田恵語録が作れるくらい、いろいろな言葉を聞かされた。
今の
それを聞かされ続けて、涼音の精神状態はどんどん悪化していった。
うわごとが多くなり、自分を責める言葉が増え、仲間には役割を徹底させようとする姿勢が強くなった。
ついには、うまくいかないとその場で騒ぎ出すまでになってしまった。彼女には、相手チームの向こう側に3年生の姿が見えているらしい。
――また怒られる。なじられる。
劣勢のまま試合が終盤に入ると、涼音の顔は目に見えて青くなる。
3年生が卒業しても、涼音はまだ恐れている。
キャプテンの失態を叱責されることを怖がっている。
怒りを胸に秘めて、佐竹智花は投球に入る。
先頭、4番の神村青葉をセンターフライ、5番岩見悠子をショートゴロ、6番漆原優をファーストライナーに打ち取ってさっさとベンチに戻った。
澪のギアが一段上がった。
球威がさらに増し、7番、8番を連続で空振り三振に切る。
佐竹智花は小柄なバッターだ。投球も、速球と変化球と織り交ぜて打ち取る技巧派タイプでパワーがあるわけではない。
ここはまっすぐの球威で押し込もうと、悠子は決めた。
澪は柔らかい膝を沈ませてストレートを投げ込む。
智花が振ってきた。
しかしノビのある直球を捉えきれず、キャッチャーフライに倒れた。