流れは渡さない

文字数 4,579文字

 2回ウラも澪の力投が続く。

 先頭の6番土屋を空振り三振に取ると、続く7番湯浅をショートゴロ、8番の塩入をファーストライナーに打ち取ってチェンジにする。

 一方、東御女学院の白鳥月子も3回表は美晴、礼、青葉をきっちり三者凡退に仕留めてベンチに戻っていった。

 守る味方を横目に、鈴と朝陽はブルペンに入っていた。
向こうのエースも調子が上がってきたね。
うん。ここからは膠着状態になるかも。
……もうすぐ、出番ってことだよね。
大丈夫、ちゃんといつも通りのボール来てるよ。通用するって。
自分に言い聞かせてるけど、やっぱり緊張しちゃうよ……。
鈴ちゃん、マウンド上がる直前っていつもそんな感じだよね。もっと自信持っていいのに。
そ、そうかな……。
そうだよ! 高校では楽しく、でしょ!
う、うん、そうだよね!
 朝陽の言葉に勇気づけられた鈴は、気合いを入れ直して投球練習を続ける。
ストライクスリー!
うう、悔しいけど私より速いわ……。
(まずは先頭を切れたわね)
お願いいたします。
(さっきピッチャー返し打ったバッターだね。ここは変化球中心でいこうかな)

 1番の篠原真紀に対し、澪の初球は外角へのスライダー。

 篠原が積極的にスイングしてくるが、空振り。

 東御女学院の上位打線は甘い球を見逃さない。かなり厳しく攻める必要があると、澪と悠子はベンチで話し合っていた。

 2球目、外のチェンジアップでこれも空振りを奪う。

(もしかして、全部変化球で来るつもり?)

 3球目のスライダーを篠原がカットしてファール。

 粘り強いのも東御女学院打線の厄介なところだ。

 澪は練習試合で、次々に三振を奪ってきた。だが、今日はまだ二つ。その二つにしても三球三振ではない。簡単に終わらせてくれないのだ。

 4球目にスライダーを続けるが、ここもファールにされる。

(しつこいな)
(そろそろまっすぐを……)
(よし、ここだ)

 悠子はインハイにミットを構えた。

 澪は精確なコントロールでストレートを投げ込む。徹底した外角低めから、一転して内角高めの直球。

 篠原がバットを出してきた。

 根元に当たった音がして、サード正面に打球が転がる。

 しかし――

(当たりが――)
(――弱い!)
 美晴が突っ込んできて拾い上げ、1塁に送球する。しかし、篠原がベースを一気に駆け抜け、塁審の両手が横に広がった。
セーフ!
また内野安打か……。
(さっきも私が取れなくて出してるし、あの子、今日のラッキーガールなのかも)
ふふ、真紀さん、今日はかなりツイていますね。ここはものにしなければ。

 2番の一色一葉が今度も送りバントの構えを取っている。

 美晴が前進して警戒する。

(2点差だし、1点は仕方ないくらいの気持ちでいこう)
(まずは確実に1死もらうわよ)

 左打者の一色に対し、澪が外角にストレートを投じる。

 美晴がさらに前に出る。

 一色がバットを引いた。

あっ――!?

 引いたバットで流し打ち。

 高速の打球が美晴の頭上を抜けていく。

 ボールはレフト線の右に落ちてファールゾーンへ転がっていく。塁審が「フェア」を宣告。礼がボールを追いかけていく。

 1塁ランナーの篠原がサードまで到達し、ワンナウト1、3塁になった。

(これは……よくない流れ……)
(やられた。さっきと同じパターンで来るとばかり……)
澪先輩すみません!
仕方ないわ。今のは相手がうまかっただけよ。
でも、定位置だったらサードライナーでした……。
前進してきたのを見てバスターに切り替えたのかもね。とにかく、切り替えてね。
(うまくいきました。ここからたたみかけますよ)

 3番、橋爪に対する初球だった。

 1塁ランナーの一色が駆け出す。

――走った!
(これは――)

 捕球した悠子はセカンドに送球。

 同時にサードランナーの篠原が動く。

 ――が、途中で止まって塁に戻る。

 セカンドの桜が送球をベースより手前でカットしてサードに投げる姿勢を見せたからだ。

 しかし、結果的に2、3塁に状況が変わった。

くそー、ちょこまか動くなぁ。
桜、ナイスカット。
(今のはカットしてなかったら確実にホームに突っ込んできてたな)
(ふふ、機動力野球はそちらの専売特許ではありませんよ)

 東御女学院はお嬢様学校と一般に言われている。

 歴史ある家の娘が多く、卒業後に進むべき道が最初から決められている生徒もいる。

 高校生活は、自由にできる最後の時間であるという者もいるのだ。

 そのためスポーツに全力を注ぐ生徒も多数いて、野球部員も例外ではない。


 今年の野球部は特にお嬢様が集まっているが、かっちりと育てられた反動からか、走るのが大好きな部員がたくさんいた。

 そうなると、走塁重視のチームになったのも必然と言える。

(ここはスクイズも警戒しなきゃ……)
(キャプテンが返れば同点ですか。ここは決めたい……)

 澪が橋爪遼子に2球目のスライダーを投げる。低めに外れてボール。

 初球も外れているので2ボール。

 空振りがほしい裾花清流バッテリーだが、橋爪は3球目のチェンジアップも見送ってスリーボールとした。

(まずいわね。次は打たれてる4番だし、迂闊に歩かせるわけには……)
(スクイズ来るかもしれないけど、ここは確実にストライクがほしい)

 澪がモーションに入った瞬間、サードランナーが走った。

 橋爪がスクイズの構えを取る。

(来た――!)

 それが力みにつながった。

 ストレートが高めに外れてしまう。

 橋爪はバットを引いており、サードランナーも急停止して引き返していた。

 結果としてフォアボールになり、4番の島滝を迎える形になってしまった。

(ただの揺さぶり……やられたわ……)
好機到来、かな。
 4番島滝がバッターボックスに入ろうとしたところで、悠子がタイムを要求した。内野陣がマウンドに集まる。
うちのやりたい野球をやられてるって感じだね。
すみません、わたしが二回ともアウトにできなかったから……。
いや、それはしょうがないって。それより4番だし、シフトはどうする?
セオリー通りだな。あたしと桜はセカンドゲッツー狙うぜ。美晴と夕日はホームゲッツー狙いでいいんじゃないか?
ちょい前に出てた方がいいっすかね?
いや、4番だし打球速いだろうからいつもの位置でいいよ。ボテボテで1点入るのはしょうがないってことにしようぜ。
だな。それから美晴と夕日はセカンド寄りで打球取ったら2塁ゲッツーも頭に入れとけ。近い方でアウトを取ろう。
はい!
了解っす!
外野は定位置?
まあ、前進はありえないね。長打食らったら逆転されるし、単打で同点まではオッケーってことで。
よーし、なんとか切り抜けて次の攻撃に勢いつけようぜ!
 内野陣が「おー!」と声を合わせた。
(外野はほぼ定位置。内野はゲッツーシフトか)
亜弥さん! お願いしますよ!
やってみよう。
(澪は徹底して低めね)
(わかってる)

 セットポジションを取った澪は、大きく息を吐き出す。

 悠子のミットをしっかり見つめ、足を上げた。

 初球、外角へのスライダー。

 しかしこれが大きく外れた。ワンバウンドしたボールを悠子が体で止める。すぐにボールを拾った悠子が、サードランナーを睨みつけて牽制する。

(……危なかった。心臓に悪すぎる……)
悠子、ごめんなさい。
しっかり自分のリズムで来てね。焦っちゃダメ。

 澪は言われたとおり、ロージンバッグを軽く叩いてから深呼吸する。

 軽く両肩を上げ下げして、無駄な力を抜こうとする。

(向こうもさすがに緊張しているらしいな)
(ワンバウンドの可能性を考えると、変化球出しにくいな……)

 2球目、悠子は外角低めへストレートを要求した。

 澪の腕の振りが悪くなっている。

 しっかり投げ込んでこいとジェスチャーを送った。

 澪が頷き、モーションに移る。

 狙い通りのコースにボールが走った。

(まっすぐ――!)

 島滝がスイングした。

 はじき返された打球が1、2塁間を強襲する。

りゃあああああっ!

 桜が飛び込んで打球を押さえ込む。

 しかしゲッツーを取れる体勢ではない。

 桜は1塁に送球してアウトを一つ取った。

 ボールを持った夕日がすぐ3塁ランナーに目をやって足止めする。

 失点はひとまず1で収まった。

今ので抜けないのか……。
桜、助かったわ!
まあ1点あげちゃったけどね~。
いや最小限で済んだんすよ。ここ抑えればまだリードしたままでいられますし。
そーね。がっちり守らなきゃ。
(ここは私が打たなくては……)
(5番……長距離打者が続くわね)
(あと一つでチェンジだ。絶対に打ち取ろう)
(ここは重要な局面……。あとは淳さんのバットに期待するだけ……)

 スコアが3-2に変わった。

 続く5番森村淳に対して、裾花清流バッテリーはストレートから入る。外に外れてボール。

 ランナーは2、3塁。せっかくツーアウトまでこぎつけたのだ。パスボールで1点あげてしまうことだけは避けなければならない。

(スライダー、使おう)
(しっかり腕を振って、ね)

 澪は縫い目を確認して足を上げる。

 膝が柔らかく沈む。

 柔軟なフォームからスライダーが投げ込まれる。

 真ん中低めに決まるかと思われたボールに、森村が食いついてきた。

(うっ、タイミングが――)

 バットの先端にボールが当たり、打球がライトのファールゾーンへ上がった。

 ブルペン、鈴の投球を受けている朝陽の真上だ。

どいて~! どいてどいて~!
は、はいっ!

 ライトの優が突っ込んできて、朝陽が鈴の方へよける。

 フライはフェンスいっぱいのところだ。

 優の視線がじっとボールだけを追い続ける。

(――届く!)

 優がフェンスに張りついたままジャンプ、グローブをフェンスにこすりつけるように伸ばした。

 落ちてきたボールが収まる。

 優は着地と同時にバランスを崩してひっくり返った。

いってぇ!
 ひっくり返った勢いでそのまま一回転した。首に体重がかかったらしく、優が呻く。
ゆ、優先輩大丈夫ですかっ!?
怪我してないですか!?

 近くにいた鈴と朝陽が駆け寄る。

 だが優は返事をせず、起き上がって右手のグローブを高々と掲げた。

 駆けつけてきた塁審が、ホーム方向に向き直って右手を挙げる。

アウトー!
やった~、最少失点で済んだ!
くぅ、またしてもあと1点というところで……!
助けてもらってばかりね……。
それがうちの強みでしょ。さ、ベンチ戻ろ。
 悠子に背中を押され、澪はベンチに向かって走り出した。
う~、野球って真面目にやると痛い思い多いよね~。
け、怪我はないですか!?
平気平気。こう見えて意外に頑丈だから、私。どう見えてるか知らないけど。
よかった……。転んだ時かなりヒヤッとしましたよ。
私も一回転するつもりはなかったんだけどね~。

 鈴と朝陽が手を貸して優を立ち上がらせる。

 三人でベンチ前に戻った。

優、ファインプレーよ。よくやったわ。
流れは依然こちらのものです。優さんのおかげですよ。
あざ~す。
皆さん、この危機を1点で切り抜けたのは非常に大きいです。相手投手もスローカーブが決まり始めていますから、狙い球をよく絞っていきましょう。

 みんなの返事がそろった。

 先頭打者の悠子が打席に向かっていく。

 次の打者である優も、ヘルメットをかぶって用意を始めた。

(親父、こんな妹でも背番号一桁預かってんだぜ。ちゃんと見てたかな)
 バッティンググローブをはめながら、そんなことを思う優だった。
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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