第13話 何もかも、おまえが悪いんだ。

文字数 3,156文字

「……フィオナ、大丈夫かしら」
 励ますようにナイジェルがソニアの手を握った。
「大丈夫。銃撃戦になったわけじゃない。彼女は被害者だ。事情は訊かれるだろうけど、きっとすぐに解放されるよ」
 ソニアは頷き、ナイジェルの手を握り返した。
 城の中には兵士たちの呼び交わす声が響いている。兄を探しているのだ。それと、もちろん自分のことも。今頃あの仮面男たちの口から自分たちの素性は知られてしまったはず。
 これを知ったら父はどんなにショックを受けるだろう。父の政治的立場にも大きな影響が及ぶのは必至だ。
「やっぱりわたし、出頭するわ。そのほうが傷が少なくて済むと思うの。お兄様がしようとしたことはどう考えても言い訳できることじゃない。罪は償わなくちゃ。まだ計画段階だったし、ひょっとしたらお咎めもいくらか軽くなるかも……」
「だめだよ、ソニア。きみが捕まったりしたら、ヒューは自暴自棄になる。思い詰めて万が一のことでもあったら──。僕はヒューを死なせたくない」
 あの時の兄の様子を思い出すと、確かに自殺の可能性も否定できない。罪を償わなければならないとしても、絶対に死んでほしくなどなかった。
「わかったわ。お兄様を探しましょう。何とか説得してみる。お兄様、ひょっとしたら病気かもしれないの。本当にものすごく具合が悪そうで……、心配だわ」
 頷いたナイジェルは辺りを窺って移動を始めた。ソニアも周囲を見回しつつ後に続く。
 入り組んだ城の内部は隠れる場所には事欠かない。兵士に出くわしそうになった時には身を隠しやすいが、逆に言えば隠れている相手を探し出すのも容易ではなかった。気配を探りながらソニアは囁き声で呼んだ。
「お兄様。わたしよ。いるなら出てきて。話をしましょう。お兄様……」
 しっ、と鋭くナイジェルに制止され、ソニアは反射的に口許を押さえた。大勢の足音がする。角から窺うと、夜会服の男たちがぞろぞろと歩いていく。
 銃剣で武装した兵士たちが周りを固めていることからして、さっきの仮面男たちだろう。司令官とおぼしき将校服の男はいない。兄を追っているのだろうか。
 ふ、と首筋に涼しい空気の流れを感じて、ソニアは振り向いた。誰もいなかったが、かすかに風の音が聞こえる。ソニアはナイジェルの袖を引いた。振り向いたナイジェルに身振りで伝え、ふたりはそっと下がって暗くて狭い通路を覗き込んだ。
 衝立のような壁のせいでわかりにくいが、そこには小塔に通じる扉があった。扉は閉まっていたものの、留め金は外れ、わずかながら隙間もある。ここから夜風が忍び込んだのだろう。
 用心しながら押し開けてみると、そこはもういきなり外になっていた。
「……城壁の上だ」
 驚いた声でナイジェルが呟いた。歩哨用の通路が夜闇のなかにうねうねと伸びている。星明りの下、ずっと先に黒い人影が見えた気がしてソニアは思わず声を上げた。
「お兄様……!?
 黒い影が立ち止まる。錯覚ではない。振り向いた、死人のように青ざめた顔。確かにヒューバートだ。
 ソニアはナイジェルを押し退けるように飛び出した。
 慌てて追いかけて来たナイジェルが歩廊の途中でソニアを引き止める。後ろから押さえ込まれながらもソニアは必死に呼びかけた。
「お兄様! この城はもう兵士でいっぱいなの。逃げられないわ。わたしと一緒に出頭しましょう。何もかも正直に話せば、きっと皇帝陛下もお慈悲を下さるわ」
「……宰相が許さないさ」
「そんなことない。お父様が助けてくださるはずよ。ねぇ、わかるでしょ、お兄様。もう何もかも露顕してしまっているの。諦めるしか──」
 いきなり銃口を向けられ、ソニアは絶句した。素早くナイジェルが前に出て庇う。
「やめろ、ヒュー」
「……おまえのせいだ。何もかも、おまえが悪いんだ」
 顔をゆがめ、ヒューバートは呟いた。その声はどうしようもない絶望に満ちている。ソニアはナイジェルと揉み合いながら叫んだ。
「やめて、お兄様! ナイジェルが特務隊を引き入れたわけじゃないわ!」
「おまえは僕から何もかも奪った! 何故だ!? おまえを信じてたのに、親友だと思っていたのに……!」
「お兄様っ、ナイジェルはお兄様を助けようとしてるのよ。銃を下ろしてっ」
「ヒュー、僕も一緒に行くよ。だから、それをこっちに寄越すんだ」
 ナイジェルがゆっくりと踏み出す。ヒューバートは頑是ない幼子のように首を振った。
「……いやだ。来るな。おまえなんか嫌いだっ」
「ヒューバート、銃を渡せ」
 ナイジェルがさらに一歩踏み出す。
 ぱん、と乾いた音がした。身体が一瞬揺れ、歩みが止まる。
 ナイジェルは驚いたように自分の身体を見下ろした。胸の真ん中に赤い穴が開いていた。
 信じられないと言いたげに顔を上げ、ナイジェルはヒューバートを見つめた。
「うわあぁぁぁっ」
 ヒューバートは狂ったように絶叫し、続けざまに引き金を引いた。着弾の反動でナイジェルの身体が操り人形のダンスみたいに揺れる。
 茫然と目を見開いて仰向けに倒れたナイジェルの口から、真っ赤な血があふれ出した。ソニアは立ち竦み、喉が裂けるような悲鳴を上げた。
 膝からがくんと力が抜ける。歩廊の壁にすがりついて顔を上げると、斜め前に将校服の男が立っていた。
 その手に握られた銃を目にしてソニアは凍りついた。それは兄が持っているものよりずっと大きく、見るからに強力そうだった。
「……銃を下ろしたまえ、ヒューバート卿。弾はもう一発も残っていない」
 ソニアは茫然と男を見上げた。やはり素性はとっくにバレているのだ。男は落ち着きはらった声音で続けた。
「抵抗しなければ乱暴はしない。準王族としての処遇を保証する」
 こと切れた親友を放心して見つめていたヒューバートが、のろのろと顔を上げた。視線があてどなくソニアと将校の間を泳ぎ、ふらりと銃口をこめかみに当てる。ヒッとソニアの喉が鳴った。
 何のためらいもなく、ヒューバートは引き金を引いた。
 かちん、と虚しい音が静まり返った城壁の上に響いた。ヒューバートの顔が泣き笑いにゆがむ。彼は身体を折り曲げ、大きく痙攣した。
「ふっ……くくっ……」
 切れ切れの笑い声が響く。手から銃が滑り落ちた。ヒューバートは両腕で自らを抱くように、身体を折ったまま笑い続けている。
 今兄がどんな表情をしているのか、床に座り込んでしまったソニアには見ることができなかった。
 若い将校は銃を下ろした。うつむいて嗚咽を上げているヒューバートを感情のこもらない瞳で見つめ、一歩踏み出す。
 そのまま彼は固まった。兄の嗚咽に耳障りな異音が混じり始めたことに気づき、ソニアは息を詰めた。
 嗚咽は次第にひしゃげた濁音まじりの呻き声へと変わり、やがてゲフゲフと苦しげに咳き込み出した。ソニアは兄の側に這い寄ろうとしたが、気付いた将校が前に立ちふさがってしまう。
 黒革の長靴を押し退けて前へ出ようとして、兄がただ噎せているわけではないことに気づく。
 頭の上で金属音が響いた。見上げると将校が一度はしまった銃をふたたび手にして撃鉄を起こしたところだった。
 反射的に飛びつこうとしたソニアは、ひときわ高い呻き声にびくりと身をすくめた。それはもう呻き声というより唸り声だった。
 ぐるる、と喉を鳴らす獣の唸りだ。兄の身体が急に一回り大きくなったような気がする。
 気のせいなどではなかった。限界まで張りつめた夜会服の布地が悲鳴じみた音をたてて裂ける。
 小山のように盛り上がった肩が荒々しく上下し、兄の顔はすでにその面影をなくしていた。
 耳まで裂けた口から鋭い牙と真っ赤にうねる舌が覗いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み