第65話 正気に戻ってよ!

文字数 2,029文字

「だからこそ、この手で殺してあげようと思ってたんだよ。ところがオージアスがドジを踏んでうっかり殺してしまったんだ。あの時はさすがに肝が冷えたな。きみが生きていてくれて本当によかった。ギヴェオンにはきみを守ってくれた礼を言わないと」
 ひとを食った物言いに罵倒の言葉も出てこない。ナイジェルは溜息まじりに首を振った。
「まったく物事というのは計画通りにいかないものだね。ヒューバートにあれほど手こずらされるとは思わなかった。おかげで霊薬は底を尽き、ジャムジェムとオージアスは死んでしまった。あれらは傀儡の中でいちばん出来がよくて色々と役に立ってくれたのに」
「卑怯者! いつも陰に隠れていいように人を操って。それが神のすること? ひとりでは何もできないくせに、都合の悪いことはすべてひとのせいにして。部下が死んでも何とも思わないの? もしかしたら、あなたたちの立場は逆だったかもしれないじゃない。なのにあなたは彼らが死んでも何も感じないの!?
「私にどれだけ近かろうと彼らは傀儡、神の血に選ばれなかった失敗作だ。一柱の〈神〉から作られた霊薬は同じく一柱の〈神〉しか生みだせない。というより、それはもっとも相応しいひとりを選ぶための審判なんだよ。選ばれたただひとりの人間がすべてを受け継ぎ、新たな〈神〉として生まれ変われるんだ。私のようにね。他はすべてその〈神〉を守り仕える半神半魔。彼らは確かに紛いものさ。使い道があるから使うだけの道具だ」
 ナイジェルは死んで床に倒れているオージアスに冷めた一瞥を投げた。そこには路傍の石を眺めるのと何ら変わらぬ無関心しかなかった。
 そんな冷たく利己的な男にうかうかと恋心を抱いた自分に猛烈に腹が立つ。何もかもが見せ掛けだった。優しい微笑も言葉も気遣いも、自分たちに近づき利用するための布石にすぎなかったのだ。
 憤怒にかられ、せめてその澄ました横面を張り飛ばしてやりたいと飛び出したソニアをギヴェオンが制止しようとした瞬間、突然背後から現れた影が彼の首筋に食いついた。
 白い毛並みの犬だった。優美な弓なりの体型をした口吻の長い大型犬。ナイジェルの柩の側にうずくまって離れようとしなかった、寂しそうなコーディだ。それが目を爛々と赤く燃やしてギヴェオンの喉笛に牙を突き立てている。
 ギヴェオンと犬は折り重なるように倒れ、上下になりながら床を転がった。やがてギヴェオンの身体はぐったりと動かなくなった。凍りついたように立ち尽くすソニアを横目で見やり、ナイジェルはくすりと笑った。
「大丈夫、死にはしないよ。神はそう簡単に死なない。ヒューバートを観察していてわかったことだが、神は別の神の支配を根本的に受け付けないんだ。それでも一時的に操ることはできる。コーディの牙には残った霊薬を全部仕込んでおいた。すべて代謝されて排出されるには四十八時間はかかるだろう。彼はヒューバートと違って純粋な神だから、もっと早いかもしれない。なに、ほんの数時間で充分さ。純粋な神なら耐性があるから拒絶反応も起こらないしね。──さて、地上では聖骸公開が始まった。我らも宴を始めよう。ギヴェオン、ソニアをこちらへ連れてきてくれたまえ」
 ずっと噛みついたままだったコーディが口を開けた。ゆらりと上半身を起こしたギヴェオンは大きく咳き込んで鮮血を吐き出し、のろのろと起き上がった。
 がっちりと手首を掴まれ、恐怖で身の毛がよだつ。彼の瞳には何ひとつ感情がなかった。必死に抵抗するソニアを引きずり、ギヴェオンはナイジェルの後に続いた。
「離して、ギヴェオン! 正気に戻ってよ!」
 なりふり構わず腕や肩口を叩いたが、何の反応も返ってこない。背の高い流線型の椅子に無理やり座らされるとわずかに身体が沈む感覚があり、気がつけば椅子の中に取り込まれていた。ゼラチンみたいな物質に身体が包まれて身動きもできない。
 鳥肌をたてるソニアを眺め、ナイジェルは愉しげに笑った。
「さぁ、ソニア。点火式を始めよう。アステルリーズの〈永久機関〉はアスフォリアによって封印されている。それを解いてもらうよ」
「誰がそんなことするもんですかっ」
「きみの意思など関係ない。必要なのは代々受け継がれてきた女神のコードだけ。それさえあれば封印が解ける。すでに準備は整っているんだ。ヒューバートを使って出入口の封印を解き、この制御室へ入ってからずっと、エネルギーを放出させるための術式を組み立てていたからね。あと必要なのはアスフォリアの承認だけだ」
「わたしは女神じゃないわ!」
「血統でありさえすればいいんだよ。きみの中にあるコードを読み取れば自動的に承認されるようになっている。では、始めようか」
 さらにずぶりと身体が沈んだ。顔まで完全にゼラチン状の膜で覆われてしまう。甲高い音が鳴り響き、それまで余裕綽々だったナイジェルの顔色が変わった。
「……エラーだと? 何故だ」
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