第1話 ブラウニーズ特別家事使用人斡旋所へようこそ!

文字数 3,340文字

 意識を取り戻した時、自分は死んだのだと思った。
 嬉しかった。
 ホッとしていた。
 猛火で生身を炙られるかのような激痛も、窒息しそうな苦しさも、もうどこにも感じられない。
(ああ、やっと死ねた)
 殺してくれと何度叫んだことだろう。
 こんな苦しみを味わうくらいなら、いっそ死んで楽になりたい。
 わめく自分を家人はただおろおろと見守るばかりで、そのうちに痛みのあまりわけがわからなくなった。
 きっとそんな自分を見かね、誰かが手を下してくれたのだ。
 ゆったりと呼吸をし、空気の成分のひとつひとつを味わった。
 今までとは異なる味わいだった。複雑であるにも関わらず、すべての構成要素がわかる。
 ふと、違和感を覚えた。
 自分は死んだのに、どうして空気を味わったりしているのだろう。死んだら息をしないのではないか?
 指先がざらりとした布地を掴んだ。
 ざらり。
 どうしてそれがわかるのか。死んだら何も感じないはずだ。
 目を見開いた。
 歳月を経て黒ずんだ、見慣れた板張りの天井。
 死んだのに、どうしてそれが見える?
 窓の外からは甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。
 馬鹿な。聞こえるはずがない。
 何だ、これ。
 耳元でわめきたててるみたいにうるさい。
 何故だ。窓は閉まっているじゃないか──。
 すべての色彩が、異様な鮮やかさで瞳を突き刺した。
 些細な音が鼓膜を破るように響き、あらゆるものの発する匂いが洪水となって鼻腔になだれ込んで来る。
 目を瞑り、息を止め、耳を塞ぎ、膝の間に頭を抱え込んでも、まだ何かが聞こえた。
 体内を流れる血流がゴウゴウと凄まじい轟きを発している。ひび割れた叫び声が渇ききった喉を突いた。
 扉がばたんと開き、憔悴しきった顔の女が室内に飛び込んできた。女は叫びながら自分を抱きしめた。
 誰だっけ。
 ああ、そうだ。これは『母』だ。
 戸口に立った痩身の男が、口を半開きにして自分を見つめている。
 あれは『父』だ。
 自分にこの苦しみを与えた男。
 そうなることを知っていながら我が子を実験動物のように扱った男――。
 憎しみが芽吹いた。
 そして理解した。
 やはり自分は死んだのだ。だからもう彼の子ではない。彼の役目は終わったのだ。
 私の瞳を食い入るように見つめ、『父』は呻いた。


 落ち着きを取り戻し、私は微笑んだ。
 『父』は瞬時に破裂して肉の破片となった。少し腕に力を込めただけで『母』は全身の骨が砕けて絶命した。
 血まみれになった私は喉を鳴らして笑った。これまでの自分が本当に死んだことを実感し、深い喜びが込み上げた。
 鏡を覗き込むと、瞳が青と金に変わっていた。白目は乳白色の蛋白石(オパール)みたいに輝いている。
 これこそが支配者の証、神々の証だ。『両親』の流した温かな血溜まりを踏んで私は歩きだした。
 さぁ行こう。
 世界をこの手に取り戻そう。
 丹精込めて

が造り上げた、美しきこの世界を。

第1話 ブラウニーズ特別家事使用人斡旋所へようこそ!

 目指す建物はアステルリーズの螺旋大通りからずっと奥に入った目立たぬ場所にあった。
 街路樹が整然と並ぶ清潔な通りに面し、美しいファサードで飾られた建物が優美な曲線を描いている。
 五月のそよ風に柳の枝がやさしく揺れた。
 大通りが建国千年祭の祝賀でにぎにぎしく飾りたてられていても、ここはふだんと変わらぬ穏やかな風情を保っている。
 時折行き過ぎる馬車の音さえ、数段ゆったりと聞こえた。
 思い切ってノッカーを叩き、落ち着かない気分でしばらく待っていると、鍵を外す音がして静かに扉が開いた。
 黒い立ち襟、肩の部分が大きく膨らんだ手首まで来る長袖の黒いドレス。輝くように真っ白なエプロンをつけた年若いメイドが愛想よく微笑んだ。
「いらっしゃいませ。お約束はございますか」
 ドギマギと首を振る様子や服装で見当がついたのか、メイドは後ろに下がって無造作にドアを開いた。
 かといって横柄になるでもなく、さばさばした口調で「こちらへどうぞ」と促すと、元通りに鍵を閉めてさっさと奥へ歩きだす。
「当斡旋所(エージェンシー)では登録希望者に対し、まずは仮登録という形をとっております。書類に必要事項を記入していただき、調査確認した上で所長が面接いたします。審査に通って初めて登録となりますが、はっきり申し上げてその確率は大変低いです。でも書類だけで落とすことはありませんし、ものは試しと言いますからね」
 立て板に水でまくしたてられ、我に返って「あのぅ」と小声を挟んだが無視された。
「所長は門前払いはしない主義なんです。書類だけで人を理解できるわけありませんもの。かといっていきなり面接しても短いやりとりで判断できることは限られますし、本人が自覚していない特技があるかもしれません。だからそういうことを公平かつ正確に判定するためにも、まずはこちらが行う事前調査についての承諾を一筆入れていただきます」
 メイドはどんどん進んで扉を開け、とある部屋に入った。
 飴色に艶光りする美しい木目に真鍮の飾り把手がついたキャビネットと机が並んでいる。
「さ、こちらにご署名を。それを確認したら仮登録用の書類をお出しします。署名する前には、よーくお考えになってくださいね」
 脅かすような言葉とともに差し出されたペンを受け取りそうになり、慌てて首を振った。
「ち、違う! 私は登録に来たのではありません」
「あら。あなた、お仕事は家事使用人(ドメスティック・サーヴァント)でしょ? 何かこう、そういう雰囲気ですもの」
「確かについ先日まで、ある御方に従者(ヴァレット)として仕えていました。でも、今日は職探しで来たわけではないのです」
「ここは家事使用人(ドメスティック・サーヴァント)斡旋所(エージェンシー)ですのよ。失礼ですけど、お宅で使う召使を探しに来たようにも思えませんわねぇ。うちの派遣員(エージェント)は、とーってもお給金が高いんですの。何しろ特別(スペシャル)なものですから」
「どうしてもこちらで相談したいことがあるのです」
 メイドは(オー)の字に開いた口に手を当てた。
「ま。そっちでしたの。だったら最初からおっしゃってくれればいいのに」
 口を挟ませなかったのはあんただろ、と言いたいのをぐっと抑え、「お願いします」と頭を下げる。
「では、所長秘書のミスタ・リドルを呼んで参りますわ。控えの客間でお待ちを」
「僕ならここにいるよ、ダフネ」
 笑みをふくんだ軽やかな声が入り口から聞こえた。
 ぴしりと糊の効いたシャツに青磁色のジレを合わせた青年が、こちらに目を向けてにこりとする。
 金髪にやや垂れ気味の青灰色の瞳をした、洒脱な雰囲気の青年だ。年の頃は二十代半ばといったところ。
「所長秘書のユージーン・リドルです。ちょうど廊下を通り掛かったらふたりの会話が聞こえましてね。ご相談に来られたとか?」
 頷き、呼吸を整えた。
「……


 黙って見返したユージーンが口の端を軽く持ち上げる。



 緊張にふるえる声で答える。
 人づてに聞いた合言葉。それを口にすれば、彼らが手を貸してくれると聞いた。
 ユージーンの表情は動かない。間違えたか、と背筋が冷えた瞬間、青年は悪戯っぽく微笑んだ。
「所長室へご案内しましょう。ダフネ、お茶の用意を頼む」
 手招かれてさらに奥へ進み、どっしりした扉を青年がノックすると女性の声が応えた。
 窓から射し込む光の中に背の高い女性が佇んでいた。才媛という表現がぴったりな、理知的な美女だ。
 彼女は怜悧な美貌に謎めいた微笑を浮かべた。
「ブラウニーズ特別家事使用人(スペシャル・ドメスティック・サーヴァント)斡旋所へようこそ。所長のアビゲイル・ブラウンです。お話を承りましょう」
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