第12話 気概を見せろと言われても!

文字数 3,028文字

「お兄様……っ」
「自分は違うと言うのなら、それを証明しろ。気概を見せてくれよ、ソニア。我々貴族を束ねる王家には一刻も早く目を覚ましてもらわなければならないんだ。この国を守るためなんだよ。あの弱々しい皇帝と皇妃で帝国を支えきれると思うか? まずは本人たちにそれを自覚してもらわないと。自分が弱いってことがわからなければ、鍛えることなどできないんだ。そうだろ? ソニア。僕は間違ったことは言ってないよな。正しいよなぁ?」
 兄の声にはまぎれもない狂気があった。ソニアは絶望にふるふると首を振った。いったい何が兄をこんなふうにしてしまったのだ……。
「やってくれるな? おまえが仕掛けたとは誰も思わないさ。まさかグィネル公爵令嬢がそんなことするはずがない。おまえは絶対疑われないよ。でも、宮廷には緊張感が戻るはず。僕らはそれが目的なんだ。な、手伝ってくれるだろ?」
「いやよ! 誰かケガでもしたらどうするの。もしかしたら死人が出るかもしれないわ」
「少しくらいの犠牲はやむを得ないさ。この国を守るためだ。ソニアだってアスフォリア帝国を守りたいだろう?」
「それとこれとは話が別よ! お兄様の言ってることは滅茶苦茶だわ」
「──そうか、それじゃ仕方ない」
 不意にヒューバートは平板な顔になった。背後に控える仮面の男たちに向かって頷くと、何人かが隣の部屋に続くドアを開け、中から誰かを引きずって戻ってきた。ソニアの顔が驚愕と絶望にゆがむ。
「フィオナ……!?
 後ろ手に縛られ、口に猿ぐつわをされたフィオナが激しく身をよじる。足首まで縄が巻かれ、身体の自由がまったくきかない。
 涙のにじんだ瞳で、それでも気丈にフィオナはソニアを見つめて何度も首を振った。今までの会話を隣の部屋で聞いていたのだろうか。必死に目で訴えてくる。言うことを聞いてはいけない、と。兄がそっと肩に手を置いた。
「覚えてるかい、ソニア。ここの堀は河と繋がっているって教えたよな。どうしても僕の頼みを聞きたくないと言い張るなら、フィオナを堀に放り込まなきゃならなくなる。あんなに縛り上げられていては泳げないし、あっという間に河まで流されて死体も見つからないだろうね。そうなれば葬ってあげることもできない」
「どうしてそんなことが言えるの! フィオナとは小さい頃からの付き合いなのにっ」
「言っただろう、少しくらいの犠牲はやむを得ないと」
 少しくらい。
 兄にとってフィオナはそんな程度の重みしかないのか。まだフィオナの両親が生きていた頃、家族ぐるみで親しく交際していたのに。侍女(レディーズメイド)としてソニアに仕えるようになってからも、兄妹みたいに気を置かず接していたはずなのに。
 ともに過ごした思い出も、交わした言葉も、兄にとっては『少しくらい』にすぎないの……?
「迷うことはないさ。ちょっとした花火を仕掛けるだけ。千年祭の余興だよ」
 兄の手が突然ぐっと肩に食い込む。痛みに呻いたソニアは覗き込む兄の顔に驚いた。すっかり生気を失った土気色の顔には玉の汗が無数に浮かび、色あせた唇は絶え間なくわなないている。
 狂熱に見開かれた瞳の奥で弱々しい光が明滅した。兄の指がいっそう強く肩に食い込んだが、ソニアは痛みを忘れ、兄の瞳の奥に瞬く光を見つめ続けた。
「……ソ、ソニ、ア……」
 兄がかすれた声で切れ切れに吐き出す。
「お兄様……!?
「に、にげ……ロ……」
 目を瞠った瞬間。凄まじい音がして廊下に続く扉が吹き飛んだ。何人かの仮面男があおりを食って倒れる。壊れた扉の向こうから、よく通る声が凛と響いた。
「特務隊だ! 全員動くな」
 濃灰色の軍服をまとった男たちが銃やサーベルを構えて現れる。仮面男たちが凍りつく中、意外なことにヒューバートが素早い動きを見せた。
 思いっきり前方へ突き飛ばされ、勢い余ったソニアはあろうことか先頭に立っていた将校らしき男の胸に飛び込んでしまった。
 男は反射的にソニアを受け止め、銃口の狙いが逸れた。その隙をつき、ヒューバートは手近なドアから隣室へ逃れた。いち早く立ち直った男が「追え!」と怒鳴り、半分近くの兵が指示に従って動く。
 舌打ちした男は、いまいましげにソニアを後ろへ押しやった。
「全員その場で立って手を上げろ」
 仮面男たちは抵抗するそぶりすら見せず、おとなしく指示に従った。兵士たちが銃剣で脅しながら全員を一箇所にまとめる。
 ひとりだけ裾の長い将校服をまとった男は、つかつかと部屋の奥へ進んだ。椅子の前に立って両手を上げている男の仮面を毟りとる。現れたのはチョビ髭を生やした貧相な男だった。
 将校服の男は仮面を床に叩きつけた。
「誰だ、貴様は!? エストウィック卿はどこにいる」
 どよめきが上がった。仮面男たちは自主的に仮面を取り、ふるえているチョビ髭男に怒鳴った。予想どおり全員が二十代前半の若者だ。
「なんだよ、おまえ! エストウィック卿じゃないじゃないかっ」
「わ、わたくしは頼まれただけでございまして、はい。この城の執事でございまして。旦那様に急用ができたので身代わりを務めてほしいと頼まれまして、はいぃ~」
 詰め寄った将校が男をがくがく揺すぶるのを茫然と眺めていたソニアの腕を、誰かがそっと後ろから引いた。びくっとして振り向けば、ナイジェルが唇に指を当てている。足音を忍ばせてそろりと部屋を抜け出そうとすると、兵士の怒鳴り声が響いた。
「待て、おまえらっ」
 同時にぐいっと腕を引かれ、蹴躓きそうになりながらソニアは駆けだした。追いかけてきた兵士たちを、間一髪物陰にひそんでやり過ごす。
 しばらく様子を窺い、ナイジェルはふたたびソニアの手を引いて走りだした。
「ナイジェル……、待って、ねぇ。何がどうなって──」
「しっ。話は後で」
 気を取り直したソニアはドレスの裾を思い切ってたくし上げ、足を速めた。吹き抜けの回廊の端からそっと見下ろすと、大広間には客たちが集められて兵士たちに囲まれていた。
 みな驚いた様子で居心地悪そうではあるが、落ち着いている。夜会の招待状の売り買いは法律に反するわけではない。それだけなら疚しいことは何もないのだ。
 柱の陰に潜み、ソニアは小声でナイジェルに尋ねた。
「わたしがあそこにいるって、どうしてわかったの?」
「気になって後をつけたんだよ。ヒューの様子、すっごく変だったろ?」
 脱出経路を考えているのか、ナイジェルはあちこち見回しながら答える。うずくまったソニアはスカートを握りしめた。
「……お兄様が言ってたこと、聞いた?」
「大体ね。途中で誰か来る気配を感じて隠れたけど。まさか特務が出てくるとは思わなかったな。いや、案の定というべきなのか……」
 特務隊は帝都警備隊の中でも特に治安維持関係を担当する、公安活動がメインの小隊だ。
「それじゃ、〈世界の魂(アニマ・ムンディ)〉とかいう組織は、すでに監視対象になっていたわけね」
「そうなるな。たぶん、〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉の下部組織だと見做されてるんだろう。僕でも考えついたくらいだ」
 今さらながら衝撃で身体のふるえが止まらない。明るく快活で、人生を楽しんでいるものとばかり思っていた兄が、まさかそんな過激な結社のメンバーだったなんて。しかも人質を取って、妹まで巻き込もうとするなんて──。
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