第9話 こんな不意打ち、あんまりです!

文字数 3,141文字

 翌々日、ソニアは知り合いの屋敷で開かれる舞踏会に兄とともに招かれた。わりと近くだったし、兄が一緒ということで公爵はあっさり外出を許可した。もちろん護衛としてギヴェオンを連れて行くという条件が外されることはなかったが。
 馬車が走り出してまもなく、ソニアは違和感に襲われた。
「……ねぇ、道が違うんじゃない? ジョーンヴィル街はこっちじゃないわ」
 差し向かいに座ったヒューバートが悪戯っぽく笑う。
「いいんだよ。別のパーティーに行くんだ。もっとくだけた集まりだよ。そっちの方が楽しいさ。ソニアも気取った集まりよりそういう方が好きだろ?」
「それはそうだけど……。でも、招待されて行かなかったら心配されるんじゃ」
「大丈夫さ。最初から断ってあるんだ」
 ソニアはまじまじと兄を見返した。
「お父様に嘘をついたの?」
「ダメだと言われたらがっかりだからね」
 こともなげにヒューバートは笑う。ソニアは呆れ返った。
「お兄様、大学に入ってずいぶん変わったわね!」
「僕はもう二十歳だよ。いつまでも父上の命令に唯々諾々と従ってはいられない」
「お父様は無理強いなんてなさらないでしょ。納得いかなければ、いつもわかるまできちんと説明してくださるじゃないの」
「──そう、父上は正しい。いつだって絶対に正しいんだ」
 そう呟いたヒューバートの目は昏く翳っていた。ソニアは言葉を失い、兄の整った横顔を見つめた。ソニアに対して父はいつも優しく愛情深いが、それはソニアがいずれ他家へ嫁いでいく身であるがゆえなのかもしれない。
 準王族グィネル公爵家の跡取りであるヒューバートは、ゆくゆくは父の後を継いで国政の中枢で重責を担うことになる。家を継ぐ跡取りと出て行く娘とでは扱いが違って当然。兄にとっての父は、ソニアにとっての父とはまったく違う重みを持っているのだ。
「……ごめんなさい、お兄様」
「なんだい、いきなり」
「わたし、性格が大雑把で、お兄様の気持ちがまるでわからないのだわ……。お兄様はわたしと違って頭がよくて繊細だから、きっと色々と悩みがあるのよね」
 目を瞠っていたヒューバートが、可笑しそうに噴き出した。
「ソニアは相変わらず変わってるなぁ。貴婦人はふつう自分は大雑把な性格だなんて言わないよ。『わたくし繊細でとっても感じやすいんですの』とか何とか、溜息まじりになよなよと言うものだろ。本当かどうかはともかくとして」
「わたし、そういうの性に合わないのよ。たぶん生まれてくる家を間違えたのね」
「そんなことないさ。むしろ……」
 言葉尻が曖昧に消え、ふいにヒューバートは歓声を上げた。
「ご覧よ、ソニア。今夜の目的地が見えてきた」
 窓の外を覗くと、夕闇を背景に城の尖塔が浮かび上がっていた。いつのまにかアステルリーズを囲む城壁の外に出ていたのだ。
「あれ、もしかしてアラス城? ギオール河の曲がり角にある……」
「そうだよ」
 得意気にヒューバートは頷いた。
「あそこって今は誰も住んでいないんじゃなかった? 何とか言う新興の男爵が買い取ったけど、住むには不便だって」
「だから人に貸してるのさ。今夜はその人からの招待なんだ。誰なのかはまだ内緒」
 くすくすとヒューバートは笑った。目的地が違うと知った時は不安に駆られたが、秘密めかしたことを言われればわくわくしてくる。兄が一緒なのだから心配することはない。
 城はどんどん間近に迫ってきた。窓辺で灯が揺らめき、外には篝火が焚かれて宵闇の中に城を浮き上がらせている。堀に掛けられた石橋に差しかかると、窓外を覗きながらヒューバートが脅かすように注意した。
「この堀はギオール河と繋がってる。ふつうの堀と違って流れが速いから、あっという間に河まで流されてしまうそうだ。はしゃいで落ちないようにね」
「まぁ、失礼ね。お兄様こそ酔っぱらって落ちないでよ」
 軽口を叩き合ううちに馬車は城の入り口で止まった。周囲には馬車が行列をなしている。先に出たヒューバートの手を借りて降り立つと、扉の脇に金モールと金ボタンのついた外出用お仕着せ姿のギヴェオンが控えていた。
 彼は困惑顔でソニアを見た。とまどっているのは自分も同じだとソニアは必死に目で訴えたが、兄に腕を引かれて歩きだしてしまったので通じたのかどうかわからなかった。
 入り口で招待状を渡して中に入る。大広間では楽団による音楽が流れ、早くもダンスに興じる人々でいっぱいだった。ざっと見渡した限りでは、知った顔は見当たらない。
(思ったよりも人が多いわ……)
 室内を照らすのは電灯ではなく本物の蝋燭を使った巨大なシャンデリアだ。古風というより、電気が使えるのは城壁の内側だけなのだ。大広間を中心に幾つもの部屋が開放され、料理や飲み物が満載された長卓が並び、会話やカードを楽しめる部屋もある。
 ヒューバートは人込みをかき分け足早に進んでいった。軽く何か摘みたいのに有無を言わさず引っぱられ、ソニアは美味しそうな軽食の載ったテーブルを恨めしげに眺めた。
「どうしたのよ、お兄様」
 抗議の声を上げても、ヒューバートは生返事をするばかりだ。誰かを探しているようで、あちこちをせわしなく見回している。しばらく部屋から部屋へ引き回され、ようやく目当ての人物を見出したヒューバートはパッと顔を輝かせた。
「──ああ、いた。ナイジェル!」
 やっとの思いで通りすがりの給仕からグラスを獲得したソニアは、飲みかけたシャンパンを噴きそうになった。手持ち無沙汰な様子でグラスを持っていた青年が、こちらを向いて破顔する。頬が熱くなったのは今飲んだシャンパンのせいばかりではない。
(うそっ、どうして……)
「こんばんは、ソニア。久しぶり」
 青年が穏やかに微笑んだ。兄の親友、ナイジェル・ハワードだ。
「お、お久しぶり、です……」
 ソニアは赤面しながらしどろもどろに挨拶した。ひどい不意打ちだ。彼も来てるなら前もって教えてほしかった。そうしたらドレスやアクセサリーだってもっとしっかり吟味したのに。恨みがましく兄を睨んだが、ヒューバートはまだそわそわと辺りを見回している。
「ナイジェル。僕は人と会う約束があってね。妹の相手をしてやってくれないか」
 ヒューバートはナイジェルの返事を待たず、さっさと行ってしまった。ソニアは焦って兄を呼んだが振り向きもしない。
「もうっ、お兄様ったら……」
 くすくすとやわらかな笑い声にそろりと目を上げと、知性的でありながら尖ったところのない端整な顔だちがまっすぐこちらを向いていた。
「相変わらず元気がいいね、ソニア」
「あ、あの。ごめんなさい。わたしのことはどうぞお構いなく」
「何を言うんだ。喜んでエスコートさせてもらうよ」
「でもお連れの方が……」
「連れなんていないさ。顔見知りさえろくにいなくて退屈してたんだ。よかったら何か少し食べない?」
 無論否やはない。ソニアは差し出された腕を取り、軽食の用意された部屋へ向かった。

 その頃ギヴェオンは少しぶらついてくると御者に断って馬車を離れていた。建物の陰の暗がりで、堀を囲む腰高の石積みの壁によりかかって城を見上げる。
「……こういうことは、あんまりやりたくないんだけど」
 嘆息しながら幅広の指輪の上下を軽く押すと、指輪はパカッと縦に割れた。それを左の耳朶にクリップのように挟み、髪で隠す。石壁の上に座り込み、ギヴェオンはお仕着せの襟元をゆるめた。深紅の石が一瞬羽音のように唸り、人の声が聞こえ始めた。
『──様子がおかしい? それ、どういうこと』
 ソニアの声が、不安そうな息づかいまではっきりと響いた。
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