第72話 あなたをひっぱたいてやりたいからよ。

文字数 1,496文字

 ぎょっとした顔でギヴェオンが振り向く。その表情を見ると、少しばかり気が晴れた。盤上に両手をついた彼の背中からは、いくつもの節に分かれた骨みたいな器官が伸び、あちこちに繋がっている。
「……今さら驚かないけど、凄い格好ね」
「何で戻ってきたんです……!?
「あなたをひっぱたいてやりたいからよ」
 はぁ? とギヴェオンがげっそりした半眼になる。
「約束したはずよね。わたしの許可なく妙なものを仕込んだりしないって。またやったでしょ。ついでにまた盗み聞きもしたわね? 仮にも神様なら約束ぐらい守りなさいよッ」
「あー……、すみません」
『――おい。さっさとしないと時間切れなんだが』
「あ、まずい。お嬢様、後で何発ぶん殴ってもいいからちょっと手伝ってください」
 言い争ってる暇などないことはわかってる。ソニアは気持ちを切り換えてギヴェオンの側に歩み寄った。恐ろしいほど輝く神の瞳には本能的な畏怖を抱いてしまったが、その声はいつもの調子を取り戻していて少しだけ安堵した。
「要するに八つのことを同時にやらなきゃいけないんです。六つは今この地下要塞の維持管理システムと直結している〈管理者〉が一括統御します。あとふたつはシステム系統が違って同時操作できないので、私とお嬢様でひとつずつ分担します」
「具体的に、何をすればいいの?」
「こっちの画面を見て。これは東の城壁塔です。この装置は操作者の思考を読んで動きます。ここに手をあてて、見えている塔に意識を集中してください」
 言われるままにともかくやってみる。ずぶりと沈むような感覚とともに、目の前にリアルな光景が広がった。驚いていると頭の中にギヴェオンの声が直接響いた。
「塔の下からエネルギーが噴き出そうとしてるのがわかります? それを何か別な物に変えてください。何でもいいから無害な物が塔から出てくる光景をイメージするんです」
 すっと気配が遠のく。彼には彼の仕事があるのだ。自分にできることをやろう。ギヴェオンの言うとおり、塔の地下に渦巻くエネルギーを感じる。それは行き場を失っていて、このままでは暴走して塔が崩壊する。そうなれば大勢の人が巻き込まれてしまう。
 はっきりと見えた。長い初夏の陽射しも翳り、無数の灯がきらめく帝都。建国千年を祝う人々が押し寄せ、どの路地も人でいっぱいだ。女神の聖骸公開が始まり、夜になっても聖廟を訪れる人は途切れない。料理店や酒場、小劇場が軒をつらねる城壁の近くには、歓楽を求める人々が群れをなし、特別に夜も解放された城壁の上から大勢の人がライトアップされた聖廟や王宮を始めとするアステルリーズの壮麗な建物を眺めている。
 塔が崩れれば、この光景が一転して地獄絵図となるのだ。
 どうすればいい? あの不安定なエネルギーを何に変えたらいいのだろう。無害なものってどんなもの? ソニアの脳裏に遠い日の思い出が蘇った。白いパラソル、白いドレスの美しい母……。塔の中はどうなっているのと尋ねた自分に、悪戯っぽく片目をつぶる。
『きっと、鳥たちのおうちになっているのよ』
 鳥。白い鳥が一斉に羽ばたく。光の鳥が、夜空をきらめかせて――。
 わあっ、と人々の歓声が聞こえた。
 ――見ろよ。塔から鳥がいっぱい出てきたぞ――
 ――光る鳥だ! 何だ、あれ。鳩か?――
 ――あ、おい、空を見てみろ!――
 ――星だ!――女神様の星だ――アスフォリアの星だ――
 人々の感極まった叫び声に視線を上げ、ソニアは息を呑んだ。六つの城壁塔を繋ぎ、アステルリーズの夜空いっぱいに金色の線で描かれた巨大な六芒星が浮かんでいた。
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