第62話 世界がそれを望んでいるから、ですよ。

文字数 2,241文字

「公爵邸で見かけた時から普通の人間ではなさそうだと思っていたが、確かに半神でもないな。半神は神よりもずっと人間に近い。心臓を抉り出されても平気なほどの再生能力を持っているならば、きみは純粋なる神というわけだ」
 皮肉めいた口調にもギヴェオンは無反応だった。ただ黙ってオージアスを見ている。
「神として、千年後の今をどう思う? 千年たっても人間は失われた神の世界レヴェルを取り戻せないでいる。血眼になって〈神遺物〉を探し回り、閉ざされた知識の扉を何とかこじ開けようと必死になっているが、所詮劣った種である人類には無駄な足掻きさ。〈神遺物〉を手に入れたところで、それを使いこなせる能力など持っていないのだからな」
「……世界はすでに我らの手を離れた。今さら取り戻そうとしても遅い」
 うっそりとギヴェオンは呟いた。オージアスの黒い瞳に怒りが燃える。
「遅くはない! いつでも我らは取り戻せる。世界は一時的に人の手に委ねられただけ。我々が支配者であることに変わりはない。アスフォリアは何故、世界を人間に明け渡したりしたのだ? おまえたちは何故、彼女の愚行を止めなかった。苦労して作り上げ、神同士争ってまで手にした世界を、人間風情にやすやすと譲ってしまったのは何故なんだ」
「アスフォリアは世界を支配するために戦ったわけじゃない。それでは神代と何ひとつ変わらない。彼女は未だ神と渡り合えぬ人間に代わって戦った。この世界に生まれ、育まれた者たちに世界を委ねるために。我々は彼女の真意に共鳴し、味方した」
「愚かな! 我らの被造物に過ぎぬ人間どもに世界を譲り渡すために、裏切り者と謗られてまで身内と戦ったというのか。狂ってる!」
「神々の多くは、どちらにも与せぬまま静かにこの世界を去った」
「ふん、苦労して勝ち得たものを守るために戦うこともできない腰抜けどもは去るがいい。いずれまた放浪の果てに彼方の荒れた世界へ流れ着くだろうよ。我らはここから出て行かぬ。何故、手塩にかけたこの世界を手放さねばならないのだ? 脆弱で愚昧な人間どもに譲り渡さねばならない理由がどこにある!?
 激昂するオージアスに、ギヴェオンは静謐なまなざしを向けた。
「世界がそれを望んでいるから、ですよ」
「戯れ言を!」
 オージアスの腕がしなり、瞬時に五本に分かれた肉色の鞭となった。槍の穂先のように鋭く尖った先端が一斉にギヴェオンに襲いかかる。ソニアが気付いた時には、ギヴェオンの上半身は五本の触手によって背中まで貫かれていた。ニヤリとしたオージアスの顔が、愕然とこわばる。
「何故だ? 何故爆発しない……!?
 ギヴェオンは衝撃でわずかに揺らぎはしたものの、ほとんど最前と変わらぬ姿勢で立っている。苦痛の色もなく平然としている様は却って異様で、悪夢のようにグロテスクだ。
 逆に、オージアスの顔には焦りが浮かんだ。不気味な肉色の鞭がピンと張りつめている。抜こうとしても抜けないのだとソニアは気付いた。
 形勢は完全に逆転していた。仕留めたつもりが罠にかかってしまったのだ。オージアスはもう片方の手で触手を掴み、渾身の力で引っぱったが、びくともしなかった。ギヴェオンは軽く足を開いて立っているだけで、特に抵抗している様子はない。触手は胸や腹を完全に貫通しているのに、まったく血が出ていなかった。
 ギヴェオンは口の端にうっすらと笑みを浮かべた。
「……なんだ。やっとトカゲの頭を押さえたと思ったら、また尻尾でしたか」
 オージアスの顔が赤黒く染まる。ギヴェオンは憐れむように彼を見た。
「しかもあなたは〈神〉の名を知らないんですね。残念です」
「ま、まさかそのためにわざとっ……!!
 触手が黒く変色し、もろもろと崩れていく。変色は肩口へと急速に迫り、オージアスの顔に焦りを通り越して恐怖が浮かんだ。
「い、いやだ。人間なんかに戻りたくない。俺は選ばれたんだ。俺をこき使い、ないがしろにした奴らを反対に操ってやるんだ。無力な人間になど、誰が戻るかァ……!!
 オージアスは変色の進む触手を自ら引きちぎった。同時に床を蹴り、ギヴェオンに飛びかかる。わずかな滞空時間のうちにオージアスは異形の怪物に変貌していた。黒い鉤爪の生えた手を振りかざし、耳まで裂けた口に鋭い牙を剥き出して咆哮を上げる。
 ギヴェオンは、すっと掌を怪物に向けた。
「あくまで〈神〉の眷属として死にたいですか」
 眩い光が弾け、ソニアは顔を背けた。目に見えない波動が重い衝撃となって全身を圧倒する。振り向いた時、ギヴェオンは足元に倒れたオージアスを静かに見下ろしていた。
「……所詮、紛いものの神に過ぎませんけどね」
 苦い余韻が消えぬ間に、どこかでコツリと足音が響いた。
「紛いもの? おかしなことを言うね」
 また、コツリ。ソニアは全身が冷たくなるのを感じた。そんな馬鹿な。この声には聞き覚えがある。だけど……、そんなこと、絶対にありえない……!
 コツリ、足音。含み笑う声。振り向くのが怖い。足音は近づいてくる。表情を消したギヴェオンは黙ってそちらを見ている。そろそろと振り向くソニアの視界に、その姿が少しずつ入ってきた。
 勘違いであってほしい。錯覚であってほしい。そんな思いも虚しく、そこには思い描いたとおりの人物が佇んでいた。
「……ナイジェル……!!
 男らしい端整な顔に、かつてソニアが胸をときめかせた優しい微笑が浮かんだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み