第28話 甘えていたのかもしれない。

文字数 2,143文字

 ブラウニーズでの生活が始まって数日後、ソニアはナイジェルの葬儀に出かけた。ギヴェオンが情報を持ってきてくれて、どうしても行きたいと懇願したのだ。アビゲイルはいい顔をしなかったが、ともかく参列は許された。
 ユージーンは出かけていたので辻馬車で葬儀場に赴いた。ギヴェオンは紳士の装いをして、馬車でもソニアと同乗した。ギヴェオンの方がナイジェルの友人と思わせるためだ。
 葬儀会場の小さな祭殿にいたのは柩守の老人だけだった。他に祭文を詠唱する神官と伴奏の竪琴を弾く神官がいるはずだが、ちょうど昼時で親族が席を外したので休憩に入っているようだ。ギヴェオンはそれを見越し、わざわざ人が少なくなる時間帯を狙った。
 柩守の老人はこくりこくりと舟を漕いでいた。ソニアたちが入っていくと薄く片目を開いたが、会葬者だとわかるとすぐに目を閉じてしまった。
 ソニアは入り口の脇に並べられていた赤い薔薇を一本手に取り、ゆっくりと柩に歩み寄った。
 柩の足元には白い犬がうずくまっていた。渦巻くようなふさふさした毛並みの、細長い顔をした大型犬だ。
「……コーディ。あなたはコーディね」
 ソニアが囁くと、犬は顎を床につけたまま目を上げた。
「ご存じなんですか?」
「話に聞いただけ。とても優秀な猟犬だったそうよ。お父様が亡くなられて犬は全部譲ってしまったけど、ナイジェルにいちばん懐いていたコーディだけは残したんですって。もう年を取ったから領地でのんびりさせてるって聞いてたけど……」
 ソニアは屈んでそっと指を伸ばした。
「こんにちは、コーディ。あなたもアステルリーズに来てたのね」
 老犬は尻尾をぱたりと揺らし、くぅんと哀しげに鼻を鳴らした。犬の頭を撫で、ソニアは身を起こした。開かれた柩の中が視界に飛び込んできて、反射的に硬直してしまう。ぎゅっと薔薇を握りしめ、ソニアは細い息を洩らした。
 呼吸を整え、柩の側に歩み寄る。死化粧を施されたナイジェルは眠っているようにしか見えなかった。
 弾丸はすべて胸部に撃ち込まれたため、目に見える部分には傷跡ひとつない。嗚咽が込み上げてきて、ソニアは口許を押さえた。
 ギヴェオンがそっと肩に腕を回す。ソニアは息苦しさが収まるのを待ち、手にした薔薇を静かにナイジェルの胸の上に置いた。
 彼の魂の安寧を祈り、最期にもう一度うずくまったままの犬を撫でると、ソニアはギヴェオンの腕に手を添えて静かに祭殿を後にした。
「ナイジェル卿とは親しかったのですか」
 遠慮がちにギヴェオンが尋ねる。
「……そういえば、あなたはナイジェルに会ってないのね」
「石を通してお声を聞いただけです。理性的で思慮深い方だったようですね」
 過去形で語られるのを物哀しく思いながら、ソニアは頷いた。
「ナイジェルは兄ととても仲がよかったけど、性格的にはむしろ正反対だったと思うわ」
 兄ヒューバートは明るくて闊達だったが、悪く言えば浅はかで軽薄な面もあった。何事につけ表面だけで拙速な判断をしがちで、父にもよくたしなめられた。兄にとって父は絶対の存在だったから、そうなると今度は過剰なまでに気に病んで、いつまでもくよくよしてしまう。
 その点、ナイジェルは慎重な性格で、様々な角度から的確に判断することができた。気分のむらも少なく、落ち着いて穏やかだった。プライドが嵩じて少々傲慢なところのあった兄とは違い、誰に対しても礼儀正しく親切だった。
「全然違ってたから、かえって気が合ったのね。ひょっとしたら兄はナイジェルに甘えていたのかもしれないわ。一緒にいると気が楽なのか、ずいぶんやんちゃにふるまってた。──去年の夏、ナイジェルはわたしたちと田舎で休暇を過ごしたの。そのとき兄があんまり勝手放題にふるまうので、心配になってこっそり謝ったのよ。機嫌を悪くして出て行かれたらどうしようと思って……。彼は笑ったわ。気にしてないって。自分には家族がいないから、兄弟ができたみたいで嬉しいって」
 あふれそうになる涙を押しとどめようと、思いつくままナイジェルとの思い出を挙げた。
「彼はスポーツが得意だったわ。勉強もよくできたみたい。お兄様はいつも負けてるんだって自分で言ってた。ただひとつ、勝てるのは馬車だけだって」
「馬車ですか。ああ、レースですね」
「違うわ。ナイジェルはどういうわけか馬車が苦手だったの。ひどい乗り物酔いで」
 ぽかんとするギヴェオンに、自分でも小さく笑ってしまう。
「どんな馬車でも十分もすれば気分が悪くなってしまうんですって。御者席にいてもダメだって言ってたわ。風にあたれるだけいくらかよかったそうだけど。だから、どうしても馬車で移動しなくてはならない時は早めに出発して、気分が回復するまでの時間を取るんですって。何だか可笑しいでしょ」
「……確かに変わってますね」
「恥ずかしそうな顔でそう言って、溜息ついてた。『せめて人の身で享受できる速度くらい、存分に楽しみたかったのに』なんて、お芝居みたいにしかつめらしく眉間にしわを寄せて、嘆かわしげに首を振ってね……。悪いと思いつつ笑っちゃった」
 ソニアが笑うのを見て、ナイジェルも笑った。その笑顔が、とても好きだった。
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