第11話 そういう問題ではありません!

文字数 3,326文字

 今度こそ、ソニアは愕然とした。足元が急に崩れ落ちるような気がして、思わずよろけてしまう。ナイジェルが慌てて支えた。
「〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉……? あの、貴族を襲撃している……?」
 自分を刃物で襲った、花売り娘に扮した少年。いや、彼は〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉をはっきり名乗ったわけではないが。それにしたって、まさか兄が過激結社のメンバーだなんて……。
「──ソニア!」
 大声で名を呼ばれ、びくりと振り向く。人込みを掻き分けて兄が大股に歩み寄ってきた。ひどく顔がこわばり、血色が悪い。
「一緒に来てくれ、ソニア。紹介したい人がいる」
 ヒューバートは早口に言ってソニアの手首を握った。急に引っぱられてよろけてしまう。ナイジェルはムッとした顔でヒューバートの肩を掴んだ。
「乱暴はよせよ、ヒュー」
「こいつは僕の妹だ」
 いつになく荒々しい口調に目を瞠る。兄がこんな乱暴な喋り方をするのは初めて聞いた。
「そんなに急かさなくたっていいじゃないか。転んで捻挫でもしたらどうする」
 自分を気遣う言葉にソニアは感動したが、ヒューバートは余計に苛立って眉を逆立てた。
「急いでるんだよ。ソニア、ちゃんと歩け」
「わ、わかったわ、お兄様。一緒に行くから落ち着いて、ね」
 普段ならこんな扱いをされたら強く抗議するところだが、兄のただならぬ顔色が気になった。青ざめているなんてものじゃない。それこそ死人のような土気色なのだ。ナイジェルもそれに気付き、穏やかになだめた。
「落ち着けよ。いったいどうしたんだ、すごい顔色だぞ。具合でも悪いのか」
「何でもない。気にするな。──行くぞ、ソニア」
 ソニアは仕方なく兄に従って歩きだした。振り向くとナイジェルが唇の動きだけで『気をつけて』と囁くのがわかった。ソニアは小さく頷いた。
 ヒューバートは急ぎ足でどんどん城の奥へ入っていく。いくつもの扉を抜けて通路の角を曲がり、階段を登ったり下ったりするうちに、城のどの辺にいるのか見当もつかなくなってしまった。ずっと手首を掴まれていて、ついに我慢しきれなくなる。
「お兄様、痛いわ」
「……すまん」
 ハッとしたように力がゆるんだが、離しはしなかった。左手を兄に拘束され、右手でドレスの裾を踏まないようにからげながらソニアは懸命に早足で付いていった。
 必死に何かを押さえ付けているような兄の横顔に、心配と不安とがないまぜになって沸き起こる。ナイジェルが最後に呟いた言葉は暗雲となってソニアの心を分厚く包んでいた。
(〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉──。お兄様は本当にそんな危険な組織のメンバーなの……?)
 今すぐにでもこの手を振り払って問い質したいが、兄の切羽詰まった様子が異様すぎる。酒を飲みすぎて吐いたのかと思ったが、それにしては酒精(アルコール)の匂いがまったくしない。どこか痛むのか、気分が悪いのだろうか。苦痛を堪えるように歯を食いしばっている。顔色は死人みたいなのに、瞳だけはギラギラと狂気じみた輝きを発していた。
(そうだわ、前にもこんなふうになった……)
 エリックを辞めさせた理由を訊いた時も、急に顔色が悪くなってうわごとめいた呟きを繰り返した。今はあの時よりもずっとひどい。
 ひょっとして兄は病気なのではないか。考えたくもないが、身体ではなく心の病に冒されているのでは……?
 とめどなく沸き起こる不安が頂点に達した頃、ヒューバートはようやく足を止めた。目の前に大きな扉があった。
「……さぁ、ここだよ」
 振り向いた兄の顔は笑っていた。それは何という恐ろしい笑顔だったろう。まるで絶望にすすり泣くような、絶えがたい苦痛に呻くような、凄まじすぎてとても正視に耐えないような『笑顔』だった。
 ヒューバートは拳を振り上げ、ドアを叩いた。まず三回。間を置いて一回。素早く二回。そしてまた一回。
 内側から鍵が外される音がして、両開きの扉が重々しくゆっくりと開かれる。引きずられるように室内へ入ると、背後で扉が固く閉ざされた。
 照明が抑えられていて部屋の四隅は暗がりに沈んでいた。室内には一ダースほどの人間がいた。いずれも夜会服姿で、男性であることだけはわかっても誰が誰やら区別がつかない。というのも、全員が白い仮面ですっぽりと顔を覆っているのだ。
 異様さに足を竦ませるソニアを引きずり、ヒューバートはまっすぐ部屋の奥へ進んだ。仮面の男たちは無言のままふたりを追って向きを変え、気がつくとソニアは仮面男の包囲網の中、ひとりだけ椅子に座った人物と対峙させられていた。
 その男は金泥を塗った獅子脚の椅子にゆったりと腰を下ろし、周囲に雷状の飾りがぐるりとついた金色の仮面をつけていた。仮装パーティーでよく見かける太陽を擬人化した扮装で、その場合は裾をひきずるぶかぶかした白い衣装を着るのが普通だ。
 しかし目の前の男は仮装しているわけではなく、他の男たちと同じ夜会服姿で、ボタンホールには白い薔薇を飾っている。何ともちぐはぐな格好が、いっそうこの場の異様さを際立たせていた。
「連れてきました」
 ヒューバートがかすれた声で告げると、太陽仮面の男は重々しく頷いた。顔は見えないが、そう若くはなさそうだと何となくソニアは感じた。他の面々は兄と同じ年代の若者のような気がする。
 太陽仮面の男が黙って指を上げると、頷いたヒューバートはソニアに向き直った。ずっと掴まれていた手首がずきずきと鈍痛を訴えた。
「ソニア。おまえにやってほしいことがある」
 重病人のような顔色で兄は告げた。その額に汗の粒が浮いていることに気づき、ソニアはいてもたってもいられなくなった。
 どう見ても兄は具合が悪そうだ。今すぐ休ませなくては。ソニアは兄を刺激しないよう、おとなしく頷いた。
「なぁに、お兄様。わたしにできることがあればおっしゃって」
「来週、王宮で皇妃主催の園遊会がある。おまえも招かれているな」
 突然何を言い出すのかと面食らう。確かに招待されて出席の返事をしてあるが……。
「おまえには会場となる王宮の庭園に、あるものをいくつか隠してもらいたい。もちろん、誰にも見つからないように、だ」
「……あるものって、何?」
「知る必要はない。誰にもわからないようにこっそり置けばいいんだ。仕掛ける場所はあらかじめ指示するから、よく頭に入れて──」
「仕掛けるって何を!? そんな、わけのわからないものを王宮に隠せるわけないでしょ」
「おまえは言われたとおりにすればいいんだ」
「いやよ! まさかお兄様、わたしに爆発物でも置かせるつもりじゃないでしょうね!?
 兄の顔が固くこわばり、ソニアは一気に絶望に包まれた。
「……ただの花火さ」
「嘘! お兄様、本当に変な結社に入ってるのね!」
「ナイジェルが喋ったんだな。余計なことを……」
 ヒューバートは不愉快そうに吐き捨てた。
「お兄様、こんなことは今すぐやめて!」
「僕たちはアスフォリア帝国を少しでもよくしたいと願ってるだけさ。この国を守るべき貴族は、長く続いた平和に浸かりきってすっかり緊張感をなくしてしまった。このままでは六王国のいずれかに取って代わられるのは時間の問題だ。いや、それ以外の新興国に攻め込まれて滅んでしまうかもしれない。実際、二十年前の北方戦争の時は危なかった」
「だからって暴力で叩き起こすわけ? まさかわたしが襲われることも、お兄様は知っていて黙ってたの!?
「別にケガもしなかったし、すぐに助けが入っただろう」
「ギヴェオンが助けてくれなかったら死んでたわよ!」
 憤激してソニアは叫んだ。兄はちょっと脅かすだけのつもりだったのかもしれないが、実際に襲ってきた女装の少年には完全に殺意があった。
 間近で見た少年のあの眼。あれを見てしまったら、悪ふざけだなんてそんな言い訳は通じない。
「大袈裟だな。たかがドレスが一着、濡れてだめになっただけじゃないか。ああ、ソニア。おまえも結局身を飾りたてることにしか興味のない腐った貴族女なのか。がっかりしたよ」
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