第56話 破門通知です。

文字数 1,759文字

 アステルリーズの大司教は、屋敷の奥まった一室にいた。面談を申し入れる人間は多いが、ここまで招じ入れられる者はごく限られている。
 召使でも特定の者しか立ち入りを許されないその部屋で、大司教ともうひとりの人物が優美な寄せ木細工の丸テーブルを挟んでいた。ふたりとも座り心地のいい天鵞絨張りのクッションがついた重い花梨材の椅子にどっしりと腰を下ろしている。異様なのは大司教と向き合う男が白い半仮面で顔を隠していることだ。
「いよいよ明日ですな」
 グラスを傾けた大司教は、唇をちろりと舐めて口角をつり上げた。アステルリーズ近郊で作られるワインは彼のお気に入りだ。悪魔の化身を神と崇めるアスフォリア帝国は彼にとって侮蔑と憎悪の対象でしかなかったが、そこで作られる酒は美味い。向かいに座った半仮面の男は、大司教の言葉に頷いてグラスを掲げた。
「女神の死に、乾杯!」
 大司教もまたおもねるようにグラスを掲げる。空になった双方のグラスをふたたび満たしながら、大司教はねっとりした口調で尋ねた。
「ところで……。殿下が帝位に就かれると同時に改宗を宣言するというお約束は、信じてよろしいのでしょうな?」
「くどいぞ、大司教。何度もそう言ったではないか」
「疑うわけではございませんが、何ぶんにも口約束に過ぎませんのでな。是非とも殿下のご署名入りの念書をいただきたいものです」
「わかっておる。前にも言ったとおり、それはあの目障りな宰相を始末してからだ。あ奴さえいなければ、寄る辺ない子どもに過ぎぬ皇帝などどうにでもなる。グィネル公爵が死んだ今、宰相さえ消えれば御前会議を動かすのもそう難しくはない」
「殿下のご帰国に反対の貴族も、ほとんど姿を消しましたからな」
「そう、不幸にも〈月光騎士団〉の犠牲となってな……」
 ククッと喉の奥で笑い、殿下と呼ばれた半仮面男は美味そうにグラスを干した。
「やっとここまで来た。判断力に欠ける幼帝を忠義面して操り、国政を恣にするヴィルヘルムめ。奴の讒言で追放された屈辱は片時も忘れたことはない。大司教よ、宰相を始末する手筈は整っているのであろうな?」
「聖廟の破壊と同時に、宰相もまた命を失う算段になっております。帝国中枢は大混乱に陥るでしょう。そこへ殿下が颯爽と現れ、事態の収集を計るというわけです」
 露骨なおべんちゃらを言われた男が満足そうに頷いた時、扉の向こうから不穏な物音が伝わってきた。必死に制止する執事の声と、低く聞き取りにくいが威嚇するような声が入り交じる。何事かとふたりが腰を浮かすと同時にノックもなく扉が開いた。
 なだれ込んできた兵士たちに銃剣を突きつけられて目を白黒させていると、兵士たちの壁が割れて将校服の男が悠然と現れた。大司教はようやく気を取り直して怒鳴った。
「い、いったい何の真似だ!? 大司教の公邸に許可も得ず踏み込んでくるとは」
「許可はありますよ。あなた方ふたりに対して皇帝陛下より正式な逮捕状が出ています。アステルリーズ大司教。そして、ルーサー元皇子」
 つかつかと歩み寄った将校が硬直している男から半仮面をむしり取る。四十代後半と思われる男の顔が現れた。濃灰色の軍服を着た将校は皮肉な笑みを浮かべた。
「ご尊顔を拝し奉り光栄です。皇帝陛下の叔父君、ルーサー元皇子殿下。いや、エストウィック卿とお呼びした方がいいですかな」
「ぶ、無礼だぞ。下がれっ」
「あなたに科された国外追放処分は未だ継続中です。領地として認められた土地を除き、あなたはアスフォリア国内に一切足を踏み入れてはならないはずですが?」
「領地だと!? あんな辺境の、猫の額ほどの土地に閉じこもってなどいられるか!」
「たまに息抜きをするくらいなら大目に見ることもできましょうが、創造主教会の過激派と組んで陰謀など企まれては見逃すわけにもいきませんな」
 将校の合図で、兵士たちがエストウィック卿ことルーサー元皇子を引き立ててゆく。何とかしろとルーサーは大司教に対しわめきたてていたが、こちらも逮捕状を突きつけられてそれどころではなかった。
「わ、私は創造主教会の大司教だ。せ、聖職者の逮捕には教主の許可がいる」
「これがあなたの逮捕を認める教皇の書状。こっちがあなたに対する破門通知です」
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