第53話 ここにいられると邪魔なんですよ。

文字数 2,129文字

 情け容赦なく馬車から引きずり下ろされ、ソニアは遮二無二抵抗した。
「離してよ! 離してったら、この変態!」
「何だとぉ!?
 ジャムジェムは猛々しく目をつり上げ、ソニアの横面を叩こうと手を振り上げた。無我夢中で頭突きを食らわせると、みごと少年の左半面にぶち当たる。ジャムジェムは切羽詰まった悲鳴を上げ、ソニアを突き放した。仮面が外れて地面に落ちた。
 ジャムジェムは両手で顔の左半分を覆いながらよろよろと後退った。必死で隠そうとしても指の隙間から見えてしまった。日に焼けた紙のような、カサカサして皺だらけの皮膚。たるんで萎びた唇。落ち窪んだ眼窩の奥で黄色っぽく変色して血走った瞳が、怒りと狼狽でギラギラ光っている。以前と同じく陶器のようになめらかで瑞々しい右半分との落差には胸が悪くなるほどだ。ジャムジェムは呪詛まじりの叫びを上げた。
「見るなぁ――っ!!
 血管が浮くほど強く拳を握ると、指の股から柳の葉のような形をした刃が四本にゅうと顔を出した。目をぎらつかせたジャムジェムが腕を振る。飛来する刃になすすべもなく茫然とするソニアの視界を黒い翳が覆った。叩き落とされた刃が地面に落ちる。
「ギヴェオン……!」
「下がって」
 短く命じ、ギヴェオンはどす黒い怒りに身をふるわせている少年と対峙した。ふっふっ、と吐き出される短い吐息がいびつな嗤い声に変わった。
「あんたも、いい加減しつっこいよなぁ……。すっごい腹立つんだけど」
「その言葉はそっくりそのままお返ししますよ」
「今、僕の攻撃でまっぷたつにならなかったっけ」
「錯覚でしょ。まっぷたつになんかなったら、そこらじゅう血の海ですよ」
「――ふん。まぁいいや。今止めてくれたことには礼を言っとく。その女、すっげ気に食わないんだけど、生かしたまま連れてかないと顔を治してもらえないからね。うっかり殺したりしたら、もう片っぽもミイラにされちゃう」
 調子外れな笑い声を上げ、ジャムジェムはべろりと舌を出した。先端が尖り、うねりながら爬虫類の尻尾のように伸びて行く。めり、と口が裂けて口吻が長く伸びた。ほっそりしていた身体が筋肉で膨れ上がり、時代がかった衣装が弾ける。
「コレ醜いからキライなんだケドなァ。ホント、あったま来る。オマエ絶対ユルさない」
 にた、と獣と人が入り交じる異形の怪物が嗤った。同時に大人の頭ほどもある巨大な拳が超速で迫る。ギヴェオンは身体をひねりざまソニアを抱えて跳んだ。大地を割った拳を引きながら、怪物は赤黒い舌をぐるぐる回して耳障りな笑い声をたてた。
 ソニアを下ろしたギヴェオンが右手を閃かせると、無数のきらめく針のようなものが現れて怪物に向かって飛来した。しかし瞬時に怪物の身体を覆った鋼のような鱗に弾かれ、消し飛んでしまう。怪物は鼓膜がビリビリするような哄笑を上げた。
「バーカ。そんなちゃちな術が通用スルと思う? シロートじゃナイんだからさァ、もうちょっとマシな錬魔術使ってみなよォ。ムダだと思うケド」
「……ティム。お嬢様を連れて先に行ってください。この先に小さな御堂があります。古いものですが、今も結界が生きているはず」
「は、はいっ」
 背後で上擦った声が上がる。よろよろと起き上がった少年の額からは赤い筋が流れていた。ティムはおぼつかない足どりでソニアに歩み寄った。
「血が出てるわ、ティム!」
「だ、大丈夫です。ちょっと切っただけで……。それよりお嬢様、早く行きましょう」
 手を引かれて振り向くと、ギヴェオンは背を向けたままぴしゃりと言った。
「ここにいられると邪魔なんですよ」
 突き放した言い方に、冷たさよりも余裕のなさを感じる。ソニアは意を決し、まだふらふらしているティムを逆に引っぱるように駆けだした。
 ふたりをギヴェオンの肩ごしに眺め、怪物はニタリと目を細めた。
「ぐふっ、ぐふっ。これで心置きナク戦えルってか? だったらかかっておいでヨ」
 身構えた瞬間、背後で甲高い悲鳴が上がった。弾かれたように振り返ったギヴェオンの視界に、ティムによって羽交い締めにされるソニアの姿が映る。小柄な小姓の姿もまた、いつのまにか半獣人に変貌していた。両腕で首元を締めつけられたソニアはほとんど失神寸前だ。ジャムジェムは喉を逸らし、けたたましく笑った。
「ばっかだなァ。メイドひとり始末して終わりと思った? んなわけないじゃん。メイドなんか最初から目眩ましサぁ。あの小僧は火事の時に煙を吸って死にかけてたのを助けてヤッタんだ。わざわざ貴重な霊薬を使ってネ。そんでアノ小娘を見張らせといたの」
 怪物は舌を口腔に収めて嘲笑い、芝居がかって一礼した。ギヴェオンが体勢を戻すと同時に、何かが弾丸のように左胸を貫く。息も絶え絶えのソニアは、霞む視界でぼんやりとそれを捉えた。禍々しく赤黒い鞭のようなものが怪物の口腔から長く伸び、ギヴェオンの胸を射抜いていた。引き戻された鞭状のものが反動で高く空中に跳ね上がる。
 それは怪物の舌だった。長大な舌がその先端にしっかりと絡め捕っているものが、ちぎり取られたギヴェオンの心臓だと気付いた瞬間――。ソニアの意識は暗転した。
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