第3話 我らが創造主は戦いを好まれません。

文字数 3,675文字

「八つ当たり? 何のことです」
「だってあなたは神々を認めない創造主教会の信者だもの。〈光の書〉の内容だって本当は信じていないんでしょ。なのにこの国はアスフォリア女神を崇め、建国千年の祝賀ムードで浮かれ騒いでいる。さぞかし苦々しいことでしょうよ」
「創造主教会は神々を認めていないわけではありません。この〈光の書〉も、教会聖典の中にちゃんと入っています」
「偽書の疑いが強い外典扱いじゃないの!」
 開いていた〈光の書〉をぱたんと閉じて、アイザックは嘆息した。
「ミス・ソニア。私はあなたのお父上からひとつだけ禁じられていることがあります。この屋敷内で創造主教会の教義を説いてはならないということ。破れば私は即刻お役御免となります。私をクビになさりたいのですか?」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
「創造主教会の教えに興味がおありならいつでも教会の方へどうぞ。歓迎いたしますよ」
「行かないわよ。わたし、女神様を信じてる──」
 びゅっと耳元で風切音がした。
 ソニアは茫然と青年を眺めた。
 右手に持っていた白墨がない。そして彼の右手はまさに何かを弾き飛ばした形になっている。
 背後できゃっと悲鳴が上がり、振り向くとフィオナが目を瞠って床を見下ろしていた。
「蜂ですわ、お嬢様! ノーマン先生の白墨がこの大きな蜂を落としたんです」
「──ほう、これは珍しい。猛毒で知られるマダラサイミョウオニバチだ」
 アイザックは片膝をつき、床に落ちた虫をしげしげと眺めた。
 こわごわ覗き込むと、ミツバチの五倍くらいありそうな巨大な蜂がひっくり返っている。
「初めて見たわ……」
「この辺には生息していませんからね。風に乗って運ばれてきたのでしょう。マダラサイミョウオニバチ本来の棲息地は、ここよりずっと南、南部三州の辺りです。今はちょうど巣分かれの季節で、そういう時期になるとこの蜂は高く舞い上がる習性があると聞きます。おそらく強い南風に乗ってはるばるここまで運ばれて──」
 ブン、と不穏な羽音がして、蜂が空中に躍り上がる。目にも止まらぬ速さでソニアに向かった蜂が突如として燃え上がった。アイザックが厳しい顔で、左手に掴んだ十字形を突き出していた。先端に切り込みの入った同じ長さの棒を組み合わせて作られる正十字は創造主教会のシンボルで、魔除けの護符でもある。ソニアは大きく息をついた。
「アイザックが錬魔士(パラケミスト)で助かったわ……」
 黒焦げになって床に落ちた蜂の残骸を、アイザックは靴先で軽くつついた。
「残念。標本にしたかったのに」
「こんな蜂にアステルリーズで巣作りされたら困るわね」
 何だか心配になって首をすくめると、アイザックは笑ってかぶりを振った。
「この蜂は寒さに弱いから、この辺りの気候では冬になれば全滅してしまいますよ」
「よかった。でも散歩の時は気をつけなきゃ。まだ仲間がいるかもしれないし」
 聞きとがめたアイザックが眉をひそめる。
 慌ててソニアは口を押さえたが時すでに遅し。家庭教師(チューター)はせっかくほぐれた美貌を厳しく引き締めた。
「散歩は当分自粛するよう、公爵様からお達しがあったはずですが?」
「だって……、退屈なんだもの。アステルリーズが建国千年祭で盛り上がってるのに、どうして屋敷に閉じこもっていなけりゃならないの。せっかくドレスを新調したのよ。ねぇ、フィオナだって新しい外出着に新作のパラソル差して散歩したいわよねぇ?」
 気まずそうにフィオナは口許をひきつらせた。
 彼女はソニア個人に仕える侍女(レイディーズ・メイド)なので、家女中(ハウス・メイド)のようなお仕着せは着ていない。同い年で背格好や髪の色が似ているふたりは、しょっちゅうお互いの服を借りたり貸したりしている。
「そういうお楽しみは建国祭の後にごゆっくりとどうぞ。今はダメです。〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉と名乗る連中が貴族を標的にしていることはあなたもご存じでしょう。今は建国祭で国中の貴族がアステルリーズに集まって来ているから、なおさら危険なんです。彼らは女性でも容赦しませんからね。逆さ吊りにされた貴族女性もいるそうですよ」
 思わずごくりと唾を呑むと、さっとソニアの前に出たフィオナが毅然と抗議した。
「ノーマン先生、お嬢様を怖がらせるのはやめてください」
「怖がって屋敷でおとなしくしていてくれれば本望です。いいですか。今年の建国祭はいろいろと節目の年でもあり、帝都には例年以上に人が詰めかけています。国内の主だった貴族はもとより大勢の平民、外国からの見物客もいます。彼らの懐を狙う犯罪者も流れ込んでくる。警察はただでさえおおわらわなのです。あなたのような身分の高い貴婦人は外出を控え、少しでも彼らの負担を抑えるよう気を配らねばなりません」
 お説ごもっともと頷いたものの、一言くらいは言い返したい。
 ふとソニアは小耳に挟んだ話を思い出した。
「……そうだわ。〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉は創造主教会の手先だって噂があるそうよ。教会の過激セクトだとか。襲われた貴族は神殿派──聖神殿の信者ばかりだもの」
 アイザックは端麗な顔をうんざりとしかめた。
「何を言い出すかと思えば……。この国の貴族は大半が神殿派でしょうが。教会派の貴族は子爵以下の平貴族で、それもほんの一握り。〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉が狙うのは昔ながらの帯剣貴族が中心だから、被害者が神殿派の貴族ばかりになっても不思議はありません。言っておきますがミス・ソニア、創造主教会は暴力行為によって信仰表明することを厳しく禁じています。我らが創造主は戦いを好まれません。戦争好きは神々のほうなのでは」
 あてこすられ、ソニアはムッとして言い返した。
「襲撃現場にはいつも十字形が残されてるって言うじゃない。ティムから聞いたわ」
「誰です?」
「うちの小姓(ペイジ)よ」
「さてはあなたのゴシップ仕入れ元ですね」
「ゴシップじゃないわ。情報よ」
「〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉に創造主教会の使徒が混じっていることは、遺憾ながら事実のようです。しかし、今言ったとおり教会は暴力行為を認めていません。教皇様は〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉に対し、貴族襲撃をやめるよう何度も呼びかけています」
「全然聞く耳持たないみたいだけど?」
「ええ、残念なことに。というわけで、危険性が高止まりしているからには、やんごとなきご令嬢には無用の外出をお控えいただきたく」
 結局『周囲に迷惑だから外へ出るな』とクギを刺されてしまう。藪蛇だった、とソニアはがっくりした。
「──では、来週またお会いしましょう。週末にはきちんと宿題をやっておくように」
 いつ出たのだ、そんなもの。アイザックはぽかんとするソニアをしかめっ面で睨んだ。
「やはりもっと頭を刺激してさしあげるべきでしたね、ミス・ソニア。あなたは『高等数理第三課』の途中で舟を漕ぎだし、『錬魔術(パラケミー)概論超入門編』で堂々と机に突っ伏し、『古代神話研究序説』を爆睡し倒した挙げ句、建国祭の余興で私が〈光の書〉を朗読している最中に派手なイビキを轟かせたのです。授業内容はフィオナがしっかり聞いていましたから、後で彼女からよく教わっておくように。──いいですね、フィオナ。人に教えると自分もよく身につくのですよ」
「はい、ノーマン先生」
 目をキラキラさせてアイザックを見つめるフィオナを、ソニアは半眼でじとっと見た。
 いくら美形だろうとこんな口の悪い男、自分はごめんこうむる。
 アイザックが退出したあと実際にそう言うと、フィオナは苦笑した。
「確かにはっきりした物言いをなさいますが、けっして悪気があっておっしゃっているわけではありませんわ。ノーマン先生はとっても正直な方なんですよ、きっと」
「フィオナ。あなたはわたしの侍女なんだから、わたしをフォローすべきじゃなくて? アイザックをかばってどうするの」
「す、すみません! そんなつもりでは……」
「いいけどね。アイザックは憎たらしいけど別に嫌いじゃないわ。お昼を食べたら、さっき寝倒して聞きそびれた分を教えてちょうだい。どうせ散歩にも行かれないし」
 はい、とフィオナは澄んだ声で答えた。
 やわらかな物腰といい楚々とした風情といい、まったくフィオナの方が『公爵令嬢』の一般的イメージに合っているとしみじみ思う。
 ソニアは昔から勝気なお転婆娘で、お人形遊びより兄や兄の友だちと駆け回って遊ぶことを好んだ。
 乗馬も貴婦人の横乗りスタイルではなく、跨がって疾走するのが好きだ。
 そんな娘の勝手放題を許してくれる鷹揚な父も、さすがに〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉と名乗るならず者が横行している状態では監督を厳しくするのも無理はない。フィオナと並んで廊下を歩きながら、ソニアは大きな溜息をついた。
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