第63話 また会えて嬉しいよ。

文字数 1,747文字

「やぁ、ソニア。また会えて嬉しいよ」
 ナイジェルは凍りつくソニアに向かってにっこりと笑った。どくんどくんと重い鼓動が胸郭で暴れ回っている。混乱と疑惑が頭の中で激しく渦巻いた。
 兄が彼を拳銃で撃つのをこの目で見た。夜会服を血に染めて、完全にこと切れていた。葬儀にも行った。彼の亡骸に薔薇を手向け、柩を守る忠義な老犬の頭を撫でた。
 その彼が、何故ここにいる? 何故、何事もなかったように笑って現れる?
 わかっているはずの答えが頭に浮かぶのを、反射的にソニアは拒否した。震える口許を押さえ、頼りなく首を振る。ひたひたと音もなく、絶望が心を侵食し始めた。
「……なるほど。あなたが黒幕だったとは、さすがに思ってもみませんでした」
 冷えきった声音でギヴェオンが呟く。ナイジェルは少年のように無邪気に笑った。
「きみとは初対面だね、ギヴェオン・シンフィールド。いや、葬儀の時に会ったっけ。あの時はさすがに緊張したよ。死んだふりがバレるんじゃないかと」
「残念ながら、亡くなったとばかり思っていたので。やはり思い込みは危険ですね」
 冷徹な声にナイジェルは肩をすくめた。
「わずかでも疑われていたら、あの場でバレたな。きみとは面識がなくて本当によかったよ。オージアスからきみのことを聞いて、どうも厄介そうだと思ってたんだ」
「説明してもらえませんか。私を欺いたのは別にかまいませんが、わざわざソニア様の目の前で死んでみせる必要などなかったのでは?」
「必要はあったさ。ソニアには私が完全に死んだと証言してほしかったからね。とはいえ協力してもらった礼はすべきだな。どこから話そうか。きみはどこまで知っている?」
「錬魔術研究所が、発掘された神の亡骸から霊薬を創り出し、封印されたそれがいつのまにか消えていた、ということまではわかっていますよ」
「ああ! それは我が父の仕業さ。研究所から霊薬を盗み出したのは私の父親なんだ。父は錬魔術研究所の主任研究員で、霊薬で強化兵を生みだす極秘プロジェクトの一員だった。国境紛争が終結し、強化兵も副作用によるデメリットが大きすぎてプロジェクトは封印されたが、父はあらかじめ霊薬を全て盗み出しておいたんだ。どうしても試してみたいことがあってね」
「何です、それは」
「被験者の生存率はせいぜい二割だったが、年齢が若いほど生存率が高くなる傾向が見られた。ということは、幼児のうちに霊薬を接種すれば拒絶反応を起こさずにすむかもしれない。かつてこの世界を支配した神、人間よりも遥かに優れた能力と身体機能を併せ持つ神を自分の手で蘇らせることができるかもしれないと、父は考えたんだ。しかし充分なサンプルがなくて統計的に有意とは言えず、未成年の被験者は合法的には得られない。かといって、父には子どもを攫ってくる勇気もなくてね……。そこで私に目をつけた」
 皮肉な笑みを浮かべ、ナイジェルは胸に手を当てた。
「私は次男で、万が一死んだとしても跡取りの兄がいるからかまわないと思ったのさ。父は予防接種だと母を偽り、私に霊薬を投与した。そして地獄が始まった。死ぬかと思った。いや、死んだ方がずっとましだと、本気で死を願ったよ……」
 ナイジェルの笑みがにわかに凄味を増す。青と金と蛋白石の瞳に憎悪の炎が燃えた。
「凄まじい苦痛に三日三晩苛まれた。神経が焼き切れそうだった。どうやって耐え忍んだのか自分でもわからない。ただひたすらこの苦痛から解放されたい、死んで楽になりたいと願った。痛みのあまり気絶して、痛みのあまり覚醒する。その繰り返しだった」
 淡々とした口調が却って不気味だ。ソニアは凝然とナイジェルを見つめた。
「四日目の朝、気がつくと苦痛は拭い去ったように消えていた。そして、自分がかつての自分ではないと気付いたんだ。私は私であると同時に別の存在に成り代わっていた。かつて裏切り者の女神アスフォリアと戦い、敗れた〈神〉。だが、たとえ死しても神はその精髄さえ残っていれば別の肉体で復活できる。かつての記憶を保ち、新しい器に手を加えて再び蘇ることができるんだ。だが、器は誰でもいいわけではない。適合性を持ち合わせた幼い子どもでなければだめだ。そう、父の考えは確かに正しかった」
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