第18話 駆けっこは得意なのよ。

文字数 2,656文字

 バン、バン、と立て続けに銃声が上がり、泡を食った住民が叫びながら逃げまどう。
 ソニアは片手でティムの手を引き、もう片方の手でスカートの裾を思いっきりたくし上げて全速力で走った。裾にレースのついた白いドロワーズがむき出しになったが、恥じらっている場合ではない。
「待てこのーっ」
 すっかり逆上した少年は二丁拳銃を乱射しながら追いかけてくる。通行人の多い大通りへ逃げたら人死にが出そうだ。
 ソニアはやむなく人がいなさそうな路地裏へ逃げ込んだ。弾丸がすぐ脇の煉瓦壁をかすめ、ティムが「ひぃっ」と首をすくめる。
「走るのよ、ティム! 急いでっ」
「は、走って、ますっ。ってか、お嬢様、足速っ」
「駆けっこは、昔から、得意なの、よっ」
 ぎゅん、と勢いをつけて角を曲がる。耳障りな音をたてて弾丸がまた側をかすめ、ひぃ~とティムが泣き声を上げた。
 息を切らせてT字路で左へ曲がる。ソニアは反射的にたたらを踏んだ。そこは行き止まりだった。
 後ろからは怒号と靴音が追いかけてくる。引き返す余裕はない。
 ソニアは目についたドアに飛びついたが、内側から閉まっていた。突き当たりの壁は建物ではない。かつては門がついていたらしいが、どういうわけか煉瓦が積まれて塞がれていた。
 壁際に古びた木箱がいくつも転がっているのを見て、ソニアはティムを促した。
「あれを積んで向こう側に出るのよ」
 壁際にたどり着くと同時に銃声が響き、衝撃がソニアの頬をかすめた。
「お嬢様!」
 真っ青になってティムが叫ぶ。振り向くと、袋小路の入り口にジャムジェムが立って荒々しく肩を上下させていた。
「このォ、ちょこまかと逃げ回りやがって……!」
 少女と見紛う美貌を憤怒にゆがめ、乱れた金髪が顔にかかっている。
 ジャムジェムは金緑色の瞳をギラギラさせ、壁に貼りつくソニアとティムに二丁拳銃を向けた。
「絶対、楽には殺してやらないからな。さっきはすっごく痛かったんだぞ。お返しにおまえの鼻を粉砕してやる」
 息を荒らげていても銃口はぴたりとふたりに向けられている。どこにも逃げ場はない。
 ソニアが絶望に呻きそうになった瞬間、ビュッと何かがジャムジェムに向かって超高速で飛んできた。反射的に引き金を引くと、茶色い陶器のかけらと土砂が降り注いだ。
「なにっ!?
 ジャムジェムは慌てて後退った。そこへまた続けて同じような物体が飛来する。今度はソニアにもわかった。花の植わった植木鉢だ。
 避けようとして間に合わず、ジャムジェムはふたたびそれを銃で撃つ。粉砕された鉢の向こうから間髪入れずにもうひとつ飛んできた。
 反射的に腕を上げて頭部をかばったものの、代わりに銃を取り落としてしまう。石畳に落ちた銃は狙い済ました礫に弾かれ、手の届かぬ場所まで滑って行った。
 ソニアが上を見上げると同時に、目の前に人影が降り立つ。後ろ姿だったが、ひょろりとした長身と青みがかった銀の髪は見間違えようがない。
「……ギヴェオン!」
「先に行ってください。馬車を待たせてあります」
「行けってどこから──、っていうか、あなたがこの人にわたしの居場所を知らせたんじゃないの!?
 振り向いたギヴェオンは、完全に面食らった面持ちだった。
「はぁ? 何くだまいてんですか、お嬢様。いくらお祭期間中でも、昼間から酔っぱらうほど飲むのは感心しませんね」
「飲んでない、わッ──!?
 殺し屋少年が放ったナイフを、寸前でギヴェオンが受け止める。
「話は後で。ティム、そこの壁、ちょっと蹴れば崩れるから」
 ちょいちょい、と例の塞がれた跡を指さす。半信半疑の面持ちで、それでもティムは素直に指示に従った。
 思い切って蹴飛ばすと、大した抵抗もなく煉瓦は崩れ、くぐり抜けられるくらいの穴が開く。ソニアは唖然とした。
(そんな馬鹿な。がっちり固めてあったはずよ……)
「さぁ、早く」
 ギヴェオンに急かされ、ティムはおずおずとソニアの袖を引いた。
「お嬢様、行きましょう」
「まっすぐ行くと路地の出口に黒塗りの馬車が止まってます。手綱を取っているのは金髪の垂れ目男で、私の知り合いです。先に出発してください。後で追いつきますから」
 ソニアはギヴェオンの背を茫然と眺めた。
(本当に関係ないの……?)
「早く!」
 鋭い声音に、鞭で打たれたようにハッとする。ソニアはティムに手を引かれるまま、崩れた穴を潜って走り出した。
 ギヴェオンは手にしていた少年のナイフを何気ない動作で放った。それは少年が折しも取り出したもう一本のナイフに当たって弾き飛ばした。
「危ないですよ。刃物なんてやたら振り回すもんじゃないと言ったでしょう」
 にっこり笑う黒縁眼鏡の青年を、ジャムジェムは憎々しげに睨んだ。
「何なんだ、おまえ。こないだから邪魔ばかりしてくれて。ずいぶん手慣れてるみたいだけど、軍の関係者かよ?」
「ただの家事使用人です」
「ふざけんなっ」
 にっこり笑うギヴェオンに、少年は激怒して飛びかかった。
 一方ソニアは言われたとおり壁の向こうに続いていた路地を全速力で走り抜けた。高い建物に挟まれた薄暗い路地から急に開けた通りへ出る。
 眩しさに顔をしかめたソニアは、ちょうど目の前に停まっている小型馬車に気付いた。
 御者席にいた男がこちらを向いて微笑む。やけに暢気そうな笑みが、普段のギヴェオンと重なった。
 やや癖のあるやわらかそうな黄金の髪に、青灰色の瞳。ギヴェオンの言ったとおり垂れ目気味で、右の目尻にある小さな黒子でさらに強調されている。
「待ってたよー。さ、どうぞ乗ってちょうだい」
 とろんと間延びした声は昼寝から起きたばかりみたいだが、笑みをふくんだまなざしはこちらを見通すように深い。ソニアはためらった。
「でもギヴェオンが……」
「きみらふたりで来たってことは、先に行けってあいつが言ったんでしょ。だったらそのとおりにしないと、僕が後で怒られる。さ、乗った乗った」
 顎で示され、ティムが慌てて馬車の扉を開ける。疑り深く金髪青年を睨むと、彼は上機嫌な猫みたいにふにゃっと微笑んだ。ギヴェオンよりもさらに脱力させる笑みだった。
(ええい、ままよ!)
 ソニアは腹を括って馬車に乗り込んだ。扉を閉めたティムが馬車の後部席に上がるのを確かめ、青年はぴしりと手綱を鳴らした。
 最小限の反動でなめらかに動きだした馬車は、花で飾られた螺旋大通りを軽快に走り出した。
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