第51話 ごめんな、守ってやれなくて

文字数 1,657文字

 アビゲイルはソニアの乗った馬車をうやうやしく送り出すとダフネを従えて建物内へ戻った。歩きながらメイド用の室内帽を脱ぎ、髪を留めていたピンを次々に外す。手を後ろに回してエプロンの紐を解こうとするのを、ダフネが後ろから追いついて手伝った。
「すぐにお召し換えの支度を――」
 アビゲイルが外したエプロンを腕にかけたダフネは、反対側から廊下を歩いてきた人影に絶句した。軽く手を上げたユージーンが、いつもと同じ軽薄な笑みを浮かべる。後ろには困惑顔のフィオナが従っていた。
「ユージーンさん!? もう戻ってきたんですか? でも、何でフィオナさんと一緒に」
「そこらをぐるっと回って引き返してきたギヴェオンとあらかじめ入れ代わってたのさ」
「で、でもそれじゃ囮にならないんじゃ……」
「いいんだよ。先に出た馬車は絶対に狙われないってわかってるんだから、うろうろしてても意味ないしね。――どうした、ダフネ? 顔が引き攣ってるよ」
 メイドの少女は口ごもりながら後退った。
「い、いえ、あんまりびっくりして……。あ、あたし、お召し換えの支度をしないと」
「着替えは後でいいわ」
 ぴしゃりと遮られて振り向くと、いつのまにかアビゲイルがさりげなく背後に回り、退路を塞いでいた。ダフネはうろたえて左右を見回した。
「あ、あの、フィオナさんがいらっしゃるなら、人数の変更を料理人に知らせなきゃ。早めに言わないとすごく怒られるんです」
「知らせる相手は料理人じゃないでしょ。誰に知らせるのか教えてもらえないかしら」
「な、何をおっしゃっているのか……」
「ちょっとやりすぎたね、ダフネ。僕が軍人と喋ってたと所長にご注進に及んだとか?」
「本当に見たんです! あの方がユージーンさんのお友だちだなんて全然知らなくて」
「へぇ? じゃあ何で今は知ってんの」
「だ、だって、訪ねてきたあの方をご案内しようとしたら、ユージーンさんが来てそうおっしゃったじゃないですか」
「おかしいわね、ダフネ。わたしに報告した時、軍人の顔は見えなかったと言ってたでしょう。制服で軍人とわかったんだと。彼はここへ私服で来たのよ。顔を知らず、服装もぜんぜん違うのに、どうして同一人物だとわかったのかしら」
「俺をスパイと疑わせておいて、ソニア様を攫った犯人に仕立て上げるつもりだった? 案としては悪くないけど、俺らの上下関係取り違えてたのは致命的だったねぇ」
 ダフネの口から呪詛めいた叫びが上がる。ざわりと頭髪が逆立ち、口が耳まで裂けて鮫のような鋭い歯が真っ赤な口腔からぞろりと覗いた。ひくっと喉を鳴らしたフィオナを、ユージーンは素早く背後に隠した。鋭い気合とともにアビゲイルの回し蹴りが容赦なく襲いかかる。かろうじて避けた異形の少女は、バランスを立て直しながらユージーンに向かって突進した。フィオナを背中に庇いながら、彼は哀しげな微笑を浮かべた。
 飛びかかったダフネが、ゆったりと佇むユージーンの眼前で、見えない力に弾き飛ばされる。無数の槍で一気に貫かれたように、ダフネの背中全体から鮮血が噴出した。吹き飛ばされて廊下に叩きつけられたダフネは、ぴくりとも動くことなく絶命していた。歩み寄ったアビゲイルが覗き込み、無表情な顔を上げる。
「フィオナを頼む」
 嘆息したユージーンに言われ、小さく頷いたアビゲイルはフィオナが惨状を見ないように気をつけながらその場を去った。ユージーンはもはや原型を留めていないダフネの亡骸に向かって低く呟いた。
「……ごめんな、守ってやれなくて」
 ダフネは何も知らない純朴な娘だった。ブラウニーズに関わっていたがために巻き込まれたのだ。霊薬は一度投与されたら取り返しがつかない。拒絶反応を乗り越えた者を待ち受けるのは、ただひとりの例外を除けば傀儡としていいように操られる運命だ。
「オージアスめ。こんな可愛い娘を化け物にしやがって。絶対許してやんないぞ」
 ユージーンのふざけたような口調には、滅多にない真の怒りがこもっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み