第35話 この、方向音痴──!!
文字数 1,920文字
「────はぁ!?」
何を突飛なことを言い出すのかとソニアはぽかんとした。ギヴェオンは大真面目な顔で、ついと眼鏡を押し上げる。
「さっきから気になってたんです。何かこう、ゴボゴボと水の流れる音がするような……。温泉が湧いてるんじゃないのかなぁ」
「水道管でも埋まってるんじゃないの?」
「でも何だか温かいんですよ。ほら、ここ。触ってみてください」
「ええ~?」
はなはだ疑わしかったが、ギヴェオンがしつこく言い張るのでしぶしぶ屈み込んで示された場所に触ってみる。
「……別に温かくなんてないわよ。っていうか冷たいじゃないの」
「もっとしっかり押しつけてみてください。下のほうからじわじわと熱が伝わってくるのを感じませんか?」
ソニアは眉を寄せ、床に両手を押しつけて掌の感覚に集中してみた。
「自分の体温でぬるくなってきたわ。水音も聞こえない。気のせいよ。大体この辺で温泉が湧いたなんて話、聞いたことないもの。温泉といえばバールスルドの保養地でしょ」
「アステルリーズにも温泉があったらいいと思いません?」
「そりゃそうだけど……、とにかくここは違うわよ。だいたいアステルリーズの地下はずっと要塞になってるんでしょ。温泉が湧く余地なんかないんじゃない?」
「いや~、神々が風呂に入るために地下深くから引いてきたんじゃないかなぁ、と」
「もうっ、馬鹿なこと言ってないで出口を探しなさいよ!」
頭に来てソニアはずんずん歩き始めた。
このまま地下を通ってブラウニーズまで帰るなんて、はなから無茶だったのだ。どこでもいいからとにかく地上に出て、馬車を拾って帰る!
最悪徒歩でも、迷路みたいな地下通路をあてどなくうろつき回るよりよっぽどいい。
「あ。お嬢様、こっち! こっちですよ、この辺、見覚えがあるような気がします」
ギヴェオンが二股道の細いほうを指して言う。
「本当に?」
疑わしげに睨むと、ギヴェオンは自信ありげに大きく頷いた。ソニアが見る限りでは、これまでの通路とあまり違いはないような気がするのだが……。
かといって自分が行こうとしたほうが正しいという保証もなければ確信もない。
蛇行する狭い通路をしばらく進むと、凹んだ壁の中に扉がついている箇所を見つけた。
「ほら、あった! ここから横穴を掘って屋敷の地下室に繋げてあるんです。──あれ、おかしいな。中から鍵がかかってるみたいだ」
「それはそうなんじゃない? 開けっ放しだったら泥棒が入ってきちゃうわ」
「なるほど!」
素直に感心されても困る。ソニアは半眼でギヴェオンを睨んだ。
彼は扉を拳でどんどん叩き、おーいと声を上げた。何の反応もない。
「仕方ない、壊しましょう。非常事態ですからやむを得ません」
ギヴェオンは指輪に嵌めた赤い石で扉に重なり合う逆向きの三角形を描いた。アスフォリア女神の霊印、六芒星だ。
かすかに赤く色づいた星型の線画を覆うように掌を扉に当てる。聞き取れないくらいの低声で何かを呟くと扉に赤い光の星型が浮かび、内側に向かって吹き飛んだ。
「真っ暗ね……」
これまでの通路と違って敷きつめられているのは普通の煉瓦のようだ。
「後から作られた通路ですから」
ギヴェオンは木っ端を手にとり、赤い石で先端をこすってふっと息を吹きかけた。ボッと音をたてて炎が燃え始める。
臨時の松明を掲げたギヴェオンに続いて通路を行くと、ふたたび扉に遮られた。これも鍵がかかっていたので破壊する。
後でアビゲイルにみっちり怒られそうだが、とにかく今はさっさと地上に出たい。
がらんとして埃っぽい地下室を抜けると、またまた扉があった。
「やれやれ、これで最後のはずです。後で修理しなきゃ」
景気よく扉を吹っ飛ばすと、急に明るい光が射し込んで目が眩む。
「やったー、文明の光──」
ギヴェオンの歓声が不自然に途切れた。
ようやく光に目が慣れてきたソニアはその場で凍りついた。ふたりは無数の銃口に取り囲まれていたのだ。詰め襟の濃灰色の軍服を着た兵士たちの真ん中に、やはり濃灰色の将校服をまとった若い男が立っていた。
アラス城で出会った特務隊の指揮官だ。彼は端整な顔を皮肉っぽい笑みの形にゆがめた。
「変わったところからお出ましですね、ソニア嬢」
絶句するソニアの隣で、ギヴェオンがぽりぽりと頬を掻いていた。
「あれ? 変だなぁ……」
キース・ハイランデル少佐が無言で手を上げる。一斉に飛びかかってくる兵士たちに血の気を失いながら、涙目でソニアは罵った。
「この、方向音痴──!!」
ギヴェオンの謝罪は兵士たちの怒号に紛れてよく聞こえなかった。
何を突飛なことを言い出すのかとソニアはぽかんとした。ギヴェオンは大真面目な顔で、ついと眼鏡を押し上げる。
「さっきから気になってたんです。何かこう、ゴボゴボと水の流れる音がするような……。温泉が湧いてるんじゃないのかなぁ」
「水道管でも埋まってるんじゃないの?」
「でも何だか温かいんですよ。ほら、ここ。触ってみてください」
「ええ~?」
はなはだ疑わしかったが、ギヴェオンがしつこく言い張るのでしぶしぶ屈み込んで示された場所に触ってみる。
「……別に温かくなんてないわよ。っていうか冷たいじゃないの」
「もっとしっかり押しつけてみてください。下のほうからじわじわと熱が伝わってくるのを感じませんか?」
ソニアは眉を寄せ、床に両手を押しつけて掌の感覚に集中してみた。
「自分の体温でぬるくなってきたわ。水音も聞こえない。気のせいよ。大体この辺で温泉が湧いたなんて話、聞いたことないもの。温泉といえばバールスルドの保養地でしょ」
「アステルリーズにも温泉があったらいいと思いません?」
「そりゃそうだけど……、とにかくここは違うわよ。だいたいアステルリーズの地下はずっと要塞になってるんでしょ。温泉が湧く余地なんかないんじゃない?」
「いや~、神々が風呂に入るために地下深くから引いてきたんじゃないかなぁ、と」
「もうっ、馬鹿なこと言ってないで出口を探しなさいよ!」
頭に来てソニアはずんずん歩き始めた。
このまま地下を通ってブラウニーズまで帰るなんて、はなから無茶だったのだ。どこでもいいからとにかく地上に出て、馬車を拾って帰る!
最悪徒歩でも、迷路みたいな地下通路をあてどなくうろつき回るよりよっぽどいい。
「あ。お嬢様、こっち! こっちですよ、この辺、見覚えがあるような気がします」
ギヴェオンが二股道の細いほうを指して言う。
「本当に?」
疑わしげに睨むと、ギヴェオンは自信ありげに大きく頷いた。ソニアが見る限りでは、これまでの通路とあまり違いはないような気がするのだが……。
かといって自分が行こうとしたほうが正しいという保証もなければ確信もない。
蛇行する狭い通路をしばらく進むと、凹んだ壁の中に扉がついている箇所を見つけた。
「ほら、あった! ここから横穴を掘って屋敷の地下室に繋げてあるんです。──あれ、おかしいな。中から鍵がかかってるみたいだ」
「それはそうなんじゃない? 開けっ放しだったら泥棒が入ってきちゃうわ」
「なるほど!」
素直に感心されても困る。ソニアは半眼でギヴェオンを睨んだ。
彼は扉を拳でどんどん叩き、おーいと声を上げた。何の反応もない。
「仕方ない、壊しましょう。非常事態ですからやむを得ません」
ギヴェオンは指輪に嵌めた赤い石で扉に重なり合う逆向きの三角形を描いた。アスフォリア女神の霊印、六芒星だ。
かすかに赤く色づいた星型の線画を覆うように掌を扉に当てる。聞き取れないくらいの低声で何かを呟くと扉に赤い光の星型が浮かび、内側に向かって吹き飛んだ。
「真っ暗ね……」
これまでの通路と違って敷きつめられているのは普通の煉瓦のようだ。
「後から作られた通路ですから」
ギヴェオンは木っ端を手にとり、赤い石で先端をこすってふっと息を吹きかけた。ボッと音をたてて炎が燃え始める。
臨時の松明を掲げたギヴェオンに続いて通路を行くと、ふたたび扉に遮られた。これも鍵がかかっていたので破壊する。
後でアビゲイルにみっちり怒られそうだが、とにかく今はさっさと地上に出たい。
がらんとして埃っぽい地下室を抜けると、またまた扉があった。
「やれやれ、これで最後のはずです。後で修理しなきゃ」
景気よく扉を吹っ飛ばすと、急に明るい光が射し込んで目が眩む。
「やったー、文明の光──」
ギヴェオンの歓声が不自然に途切れた。
ようやく光に目が慣れてきたソニアはその場で凍りついた。ふたりは無数の銃口に取り囲まれていたのだ。詰め襟の濃灰色の軍服を着た兵士たちの真ん中に、やはり濃灰色の将校服をまとった若い男が立っていた。
アラス城で出会った特務隊の指揮官だ。彼は端整な顔を皮肉っぽい笑みの形にゆがめた。
「変わったところからお出ましですね、ソニア嬢」
絶句するソニアの隣で、ギヴェオンがぽりぽりと頬を掻いていた。
「あれ? 変だなぁ……」
キース・ハイランデル少佐が無言で手を上げる。一斉に飛びかかってくる兵士たちに血の気を失いながら、涙目でソニアは罵った。
「この、方向音痴──!!」
ギヴェオンの謝罪は兵士たちの怒号に紛れてよく聞こえなかった。