第7話 褒め言葉と取っておきます。

文字数 1,393文字

「スリリングな体験をなさったそうですね、ミス・ソニア」
 週明け、教室として使っているいつもの部屋で顔を合わせるなり、アイザックが無表情に尋ねた。反射的に横目でフィオナを見ると、鞭打つようにぴしゃりと言われる。
「ちょうどお出かけになる公爵閣下と玄関ホールで行き会ってお聞きしたんですよ」
「えっと、そのぅ、ほんの少ーし息抜きをしたかっただけなのよ。雨が降っていたから、あんまり人もいないだろうと思って……」
「人が少ないということは、助けてもらえる可能性も低いということです。息抜きで死ぬくらいなら、息苦しさで気絶した方がマシでしょう。ミス・ソニア、あなたは曲がりなりにも貴婦人の端くれなのですから、もう少し自覚をお持ちなさい」
「……何だかひっかかる言い方ね」
「ほう。正統派のご令嬢だと主張なさるおつもりで」
「そうは言わないけど……。この前は、確かに自分でもちょっと軽はずみだったわ。まさか刃物を突きつけられるとは、正直思ってもみなかった」
 その瞬間はただもうびっくりしていたし、すぐにギヴェオンが割って入ってくれたから恐怖に支配されずに済んだのだ。後になって思い出すと、今さらながら背筋が冷える。
「ともかく、ご無事で何よりでした。──では宿題を出して」
「なかったことにはしてくれないのね」
「ケガでもしたならともかく、かすり傷ひとつ負わず、雨にぬれて風邪をひいたわけでもないでしょう。特別扱いはしませんよ」
 ソニアは溜息をつき、ノートを広げた。その日は居眠りすることもなく、順当に進んだ。授業を終えたアイザックは、帰り支度をしながらふと思い出したように尋ねた。
「そういえば今日でしたか、若君がお帰りになるのは」
「ええ、そうよ。今夜戻っていらっしゃるの」
 ロイザの大学に行っている兄ヒューバートが、久しぶりに帰省してくるのだ。大学入学以来、兄とは夏と冬の長期休暇以外めったに顔を合わせなくなった。
「楽しみだわ。お正月以来なのよ」
「それはお話が弾むでしょう。ちょうどよかった、と言うべきかな。次の授業はお休みさせていただきます。用事がありまして」
「それじゃ次は金曜日ね?」
 アイザックが講義に来るのは週三回、月水金だ。
「そうなりますね。少々間が空きますから、宿題をたっぷりと」
 ソニアが絶句するのを見て、アイザックはくすりと笑った。
「……出すのはやめておきましょう。お兄様とゆっくりお話なさい」
「ありがとう、アイザック!」
 玄関ホールで、預かっていた帽子をギヴェオンが差し出す。受け取ったアイザックは訝しげな顔になった。
「おや。新しい方ですね」
「土曜日からこちらでお世話になっております」
「あ、彼はギヴェオンよ。急に辞めたマーティンに代わって来てもらったの」
「そうですか。では、ミス・ソニア。また金曜日にお会いしましょう。進み具合を確認する意味で試験をしますから、これまでの講義内容を見直しておくように」
「ええっ、それじゃ宿題なしの意味ないじゃない!」
「その後は二週間のお休みです。お祭騒ぎを心ゆくまで楽しみたいなら頑張りなさい」
「オニ!」
「褒め言葉と取っておきます。では」
 アイザックは帽子の縁に手を添えて会釈すると、ギヴェオンが開けた扉から悠々と出て行った。がっかりと溜息をつくと、後ろに控えて見送っていたフィオナが苦笑した。
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