第61話 馬鹿め

文字数 1,559文字

 オージアスは答えない。だがその悠揚とした微笑は肯定以外の何ものでもなかった。
「やめて! そんなに女神が憎いなら、子孫の私を殺せばいいわ!」
「もちろん、殺してさしあげます。我々の役に立っていただいた後にね。いいんですよ、人間なんか大勢いるんだから、ちょっとくらい死んだって。我々は何も人類を殲滅しようというわけじゃないんです。世界をこの手に取り戻したいだけ。もともとこの世界は神々のもの。我々は〈世界の支配者〉として正当な権利を行使しようというだけです」
「自分が神だと言うの!?
「私は神の精髄を与えられ、試練を生き延びて選ばれた。我らは新しき神となり、この世界を支配する。アステルリーズを焼き尽くす炎は、その喜ばしい先触れとなるのです」
「どうかしてるわ!」
「どうかしてるのは神でありながら人間に肩入れしたアスフォリア女神の方だと思いますがね。道具にすぎない人類の扱いを巡ってわざわざ身内と殺し合うなんて、狂ってますよ。アスフォリアに与した神々も同様だ」
「……千年たっても、意見は合わないようですね」
 突然、別の声が闇に響いた。オージアスが振り向くと同時に、霧が晴れるように闇が後退する。早朝のような仄昏さを含んだ光が周囲を満たした。見たこともない、ソニアには理解できない立体物やパネルのようなものが、整然と室内を埋めていた。
 それよりさらに理解できない光景が、そこにはあった。死んだはずのギヴェオンが静かに佇んでいたのだ。まるで仕事の途中で屋敷からちょっと抜け出してきた、といった風情で。裾が膝上で切り詰められた金ボタン付きの短燕尾服。縞のベスト。いつもと同じ格好。違うのはただ一点、太い黒縁の眼鏡をしていないこと──。
「し、死んだはずだ! 確かに心臓をえぐり取ってやったのに……!?
 すっかり顔色をなくしたジャムジェムがわめきたてる。ギヴェオンは平然と微笑した。
「美味しかったですか? 私の心臓は」
 ぴくりとオージアスの表情が動く。彼は冷やかにジャムジェムを見やった。
「喰ったのか。馬鹿め」
 ジャムジェムは抗議の声を上げることができなかった。突然身体のあちこちがぼこぼこと盛り上がっては凹み、糸で操られる人形のような奇怪なダンスを踊り出す。
 少女めいた美貌と醜悪な怪物の相貌が絶え間なく入れ替わり、せめぎ合う。反り返った喉から凄惨な絶叫を放ち、ジャムジェムは糸が切れたようにばったりと倒れ伏した。その姿は美しい少年に戻っていたが、虚ろに見開かれた瞳にもはや光はなかった。
「……もしかしたら中和できるかと思ったけど、手遅れだったようですね」
 眉根をわずかに寄せ、ギヴェオンは呟いた。助けようとする素振りさえ見せずに死の舞踏を眺めていたオージアスは、冷笑まじりに吐き捨てた。
「無理だな、もともと死にかけだ。こいつは道楽貴族の愛玩物でね。群を抜いた美貌と利発さでちやほやされていたが、病み衰えて回復の見込みもないと知った飼い主は文字どおりこいつを捨てた。壊れた玩具を捨て去るように、あっさりと」
「それをあなたが拾ったというわけですか。霊薬を与えて」
「試しに投与してみたのさ。被験者が瀕死の状態だと何か違うかと思ってね。苦痛は一瞬で終わり、即座に傀儡化した。これは使えそうだと思ったのに、期待外れだったな。屈辱感の裏返しで自尊心ばかりが異様に肥大した、手におえない小さな怪物だった。己の分も弁えず、敵の力を冷静に推し量ることさえできなかった。こうなったのも自業自得だよ」
 まるで悼む様子もなく切り捨てるオージアスに、ソニアは怒りを覚えた。ジャムジェムにはひどいことばかりされたけど、仲間にまでそんな言い方をされてはあんまりだ。
 オージアスは興味深そうにキヴェオンを眺めた。
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