第54話 お手数かけますねぇ。

文字数 1,491文字

 心臓を一呑みにしたジャムジェムは、今までの鬱憤を晴らすかのように絶命したギヴェオンの身体を巨大な拳で幾度となく殴った。仕上げとばかりに力任せに蹴り飛ばす。ぼろ布のようになった身体は太い木の幹にぶち当たり、座り込む格好でずるずると崩れ落ちた。
 ジャムジェムは地面に転がった眼鏡を踏み砕き、ひとしきり変調した哄笑を上げると、気絶したソニアを抱えたティムを従え、悠然と去って行った。
 森がようやく静けさを取り戻した頃。がっくりと項垂れていたギヴェオンの亡骸に小さな異変が起こった。力なく地面に落ちていた指先が、ほんのわずかぴくりと動いたのだ。
 半開きの口から細く深い息が吐き出された。もう一度指先が痙攣し、今度は唇からはっきりとした言葉が洩れた。
『生命兆候消失から三百秒経過。規定により自動修復を開始する』
 感情のない声が告げると同時に、胸郭に開いた血まみれの穴が塞がり始めた。奇妙な声は平淡に経過を確認し続ける。
『修復率五十パーセント、七十パーセント、九十パーセント。――修復完了。再起動』
 雷撃でも受けたかのようにギヴェオンの身体が大きく跳ねた。のけぞった拍子に後頭部がごつごつした幹にぶつかり、「あだっ」と情けない悲鳴が上がる。頭をさすりながらギヴェオンは顔をしかめた。謎の声が冷やかに問う。
『目は覚めたか』
「あー、お蔭様で。できればもうちょっと優しく起こしてほしかったなぁ」
『頭がぶつかったのは偶然だ。私が意図したわけではない』
「はいはいどうも、お手数かけますねぇ」
 ギヴェオンは両手を眺め、確かめるように指を折ったり伸ばしたりすると、よっと軽い掛け声をかけて立ち上がった。自分の身体を見下ろし、うんざりと顔をしかめる。
「あーあ、ひどいな。こんなボロボロにしてくれて。〈管理者〉、服も直してくれよ」
『そんな面倒まで見る義務はない。自分でやれ』
 ぶつくさ言いながらギヴェオンは両手を広げて軽く息を吸った。瞳が青と金と蛋白石の彩りに変わる。ふわりと風が周囲を螺旋状に取り巻いたかと思うと、見るも無残な襤褸は見慣れた従僕のお仕着せである金ボタン付きの短燕尾服に変わった。
 ギヴェオンは壊れた眼鏡を地面から拾い上げ、首を傾げてしげしげと眺めた。
『……のんびりしてていいのか? あの娘、連れ去られてしまったぞ』
「ま、そういう計画だからね。――だめだな、これは」
 封印を施したガラスは割れてしまい、蔓も折れている。それでも一応ポケットに入れた。
『計画というと、最初からあの娘を攫わせるつもりで?』
「アジトが地下第二層にあるのはわかってるんだけど、入り口が見つからなくてさ。いっそのこと彼ら自身に案内してもらおうと」
『どうやって追う? おまえが娘に持たせた血髄晶なら、とっくに見つかって捨てられたぞ。ここから南西方向四五二メートル先に破壊されて落ちてる』
「あれはブラフだからいいんだよ。お嬢様には内緒でもうひとつ靴に仕込んである」
『それを知ったらあの娘、さぞかし怒るだろうな』
「二、三発殴られるのは覚悟の上さ。――ああ、見つけた。やはり市内に戻るようだな」
 ギヴェオンは倒れてもがいている馬に歩み寄り、自分の指を噛んで軽く振った。血の雫が飛び、青い炎が馬を包む。絡みついていた馬具が燃え上がり、跳ね起きた馬は身体を揺すって鋭く嘶いた。静まった馬の背にはすでに鞍と鐙がセットされていた。
 金色の瞳を覗き込んでよしよしと鼻面を撫で、ギヴェオンはひらりと鞍に跨がった。腹にかかとを当てると闇色の馬はぶるると鼻を鳴らし、疾風のごとく走り出した。
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