その語調とは裏腹に重大な使命を
託すような言い方を受け、カリムは
安堵するどころか困惑してしまった。
「…どういうことですか?
皆さんと共に議長と
相対するものだと勝手に想像していたんですが…。」
『
勿論そのつもりやったけどな。うちらの
居る世界と
君の
居る世界が時間も空間もきっちり重なっていると判明した以上、第三者に目撃されへんよう夜明けまでには
全てを終わらせなあかん。うちらの魔力を一気に全部注ぎ込んで、ドランジアの
居る場所までの道を
直ちに
拵えなあかんという結論になったんや。』
『それにドランジアがやっとることは、
疾うに生身の人間に
出来る
範疇を超えとる。うちらのような魔力で
出来た存在になっている可能性が高い。つまり
君の持つディヴィルガムが奴への最大の打点になる…
君さえ奴の元へ
辿り着ければ充分と考えたわけや。』
「それが…
皆さんで出した結論なんですか? それで
皆さんが、納得されたんですか?」
拍子抜けして遠慮がちに問い返すカリムに対し、今度はイリアからの答えが脳内で響いた。
『
皆が
皆素直に受け止められたわけではない。今は
暫し
暇乞いといったところだ。私もリヴィア
女史も議長には面と向かって言いたいことは多少なりともあったが…我々が湖の底で魔力を
揮って暴れるなど無謀な策だし、何より優先すべきは生きている
君の時間だ。ただでさえ短い
猶予を、死人の口数で
摺り減らすわけにはいかない。』
軍隊を
率いた者らしく割り切った言い回しには説得力があったが、それでもカリムは自分が介入したことで、かえって『宿主』達の存在を
等閑にしてしまったのではないかと
気後れしていた。
その無言の反応を推し量ったクランメとイリアが、励ますように言葉を付け足した。
『
今更何を
臆しとんねん。
君は
既にうちらの命を犠牲にして進んで来とんのやろ。うちらは
蘇ったわけでもないし
蘇る
術もない、夢みたいな時間が奇跡的に続いとるだけや。夢は…いつかは
醒める。二度と
醒めないうちらの代わりに、
君が夢の
出来事を覚えていてくれればそれで充分や。』
『そうだな。未来を直接
託せる死人など、現実に
又と聞くことはないだろう。ドランジアの血を引く
君なら、何事もめげることなく成し
遂げられるはずだ。』
「……ありがとうございます。」
次第にカリムは気恥ずかしさが込み上げ、杖を両手で握り締めながら
尚更委縮するように謝意を
呟いた。
だがその感覚はクランメも同じだったのか、
紺青色の
靄が
悶えるように
忙しく揺らいでいた。
『ああもう、
年甲斐もなく
臭い
台詞吐いてしもた。こんなしみったれた空気は
性に合わへんのや、さっさと本題に入らせてもらうで。…おいイリア、何を
薄っすらと
笑てんねん。』
そこから少しの間クランメとイリアが互いに言葉を交わし合っていたのか、カリムには何も聞き取れなくなった。他方でぼんやりと淡い2体の
靄を見上げていると、身震いするような
名残惜しさが込み上げてきた。
——
譬え夢だとしても、二度と声を聞けなくなることは残念で仕方がないんだよ。この2人には特に頼ろうとしていた。理解と共に進むべき道を示してくれると期待していた。それなのに、こんなにもあっさりと
最期が訪れるなんて…。
カリムが
悄然としかけていると、透かさずクランメの呼びかけが脳内に飛び込んできた。
『カリム君、いい加減始めさせてもらうで。時間も惜しい…
勿論君から話を聞くことも含めてな。ディヴィルガムにどないな力を
見出してうちらと接触しとんのか、そして
君がドランジアを
踏み台に
どないな未来を
描こうとしとんのか、
纏めて聞かしてもらおうやないか。』
「…ネリネ嬢様、落ち着かれましたか?」
黒一面の湖の岸辺では、目元を赤らめたネリネことリリアンがロキシーに
凭れかかりながら座り込んでいた。
稚児同然に泣き
腫らしたリリアンを前にして、クランメとイリアは
最期までの
細やかな
猶予を提案し、
暇乞いに
充てられた。
羞恥を
逸脱して
最早何も考えられなくなっていたリリアンは、ロキシーに抱き寄せられるままに身体を預け、
嗚咽が治まるのを
呆然と待っていた。
その間にも『
虚栄』が徐々に弱まり、
艶やかな金髪がうねって乱れていくのが
解った。
——力が、入らなくなっていく。これじゃあもう、風に乗って逃げることなんて
出来やしない…。
だがその感覚は決して
辛く息苦しいものではなかった。温度を感じない今の身体でも、ロキシーに寄りかかっていることで不思議と
温もりを感じていた。
この世界で目覚めてから正体を疑われる
度に、危機感が痛烈な
痺れとなって全身に
奔っていたが、今ならそれを丸ごと包み込んでくれるような気がした。
——
本当の死
が訪れる前に、この
娘には言わないといけない。どうせ
全てが終わるのなら、
盲目的に
仕えて尽くしてくれたこの
娘だけには、せめて本当のことを……。
「…ロキシー、あたしはね…本当は令嬢なんかじゃない。悪魔の力でネリネ・エクレットという令嬢に
化けてるだけの、
卑しい海賊の娘だ。本当の名は…リリアン・ヴァニタス。」
リリアンは弱々しく言葉を絞り出したが、正体を打ち明けて
口調を戻しても
危惧した痛みなどなく、肌が
透けたりするようなこともなかった。
「…リリアン…様……?」
「敬称なんて
要らない。だってあたしもあんたも…その…
齢は同じくらいなんだし。いいんだよ、対等で。」
ロキシーの間の抜けたような
相槌を聞いて、リリアンの口元からは乾いた笑いが
零れた。
それはネリネという
借物の姿ではなく、死して
尚捨て去ることの
出来なかったリリアンとしての
素直な感情だった。
「対等……それなら私も、1つ隠していたことを打ち明けますね。」
目を丸くしていたロキシーだったが、
口調は変えることなく、黒い湖面を見つめながらリリアンへ静かに言い聞かせた。
「私…
妾の子だったんです。セントラムのフォンス
伯爵と、使用人だった母との間に生まれた不倫の子。その母も元は大陸東部の没落貴族の
出自で、奴隷商に使用人として売られたことが始まりだったらしいのです。」
まるで
他愛のない話を語るかのような口振りだったが、ロキシーの
繊細な秘密を聞かされたリリアンは開いた口が
塞がらなかった。
その
忌むべき出生が彼女の
卑屈な性格を
育んできたのかと
腑に落ちた一方で、『
虚栄』を宿すリリアンにとって皮肉な事実がまざまざと突き付けられていた。
「何だよそれ…じゃああんたは
生粋の貴族令嬢ってこと!?」
「そういうことになります…けど、
自他共に認められるような
肩書じゃないですよ。私はただ…道具のように
遣われていただけですから。」
ロキシーは
自嘲気味に作り笑いを浮かべたが、露骨な
溜息を付いたリリアンは対岸の街並みを
睨みながら言い放った。
「ふぅん。あんたも相当
厄介なところで生まれて、
窮屈な育ち方をしていたんだな。」
「あっ…でも、
痩せ細ることなく育ったことには感謝をすべきかと…。」
「
今更良い子
振るなよ。あんたは結局その領主貴族を殺したんだろう? …あの
豪勢な寝室で、悪魔の力を使って。」
「…そう、ですけど…。」
「あたしだって悪魔の力で人身売買に
勤しむ
輩を街ごと
潰して、吹き飛ばしてやった。
女子供を物のように
搾取する
輩の命は、物のように粗末に扱われて当然の
報いなんだよ。そこに悪魔だ厄災だなんて因果は関係ない。でも
何なら…あのときそのまま竜巻を北上させて、セントラムにも突っ込んでおけばよかった。」
「ど、どうしてそんな…!?」
「あんたはもっと
真っ
当に生きて幸せになるべきだった。そうなれるだけの価値があった。それを知っていれば…あんたをあの真っ黒な
館から引っ張り出して、自由にしてやれたかもしれないのに。」
声音を低くして苦々しく語るリリアンの横顔を、ロキシーは
呆気に取られて見つめていた。
突然
湧いた
戯言ではなく粗暴な未練として告白する姿がリリアンの本性なのだと
解り、
菫色の瞳を大きく揺らめかせていた。そして口元を手で
覆って、密かに
微笑んだ。
「あーあ、思い出したらなんだか色々腹が立ってきた。なんであたしはこそこそ逃げ隠れるような
真似をしようとしたのかなぁ。どうせ
宛がないのなら、メンシス以外でも
醜悪で
性悪な男
共を片っ
端からぶっ飛ばす旅にでも出れば良かったかなぁ。」
「その旅…
是非私もお
供させて
頂きたかったですね。」
ずらした肩を並べるような
然り
気無いロキシーの
呟きに、リリアンは動揺して
頬をやや
紅潮させた。
「…はぁ!? 何でそうなるんだよ!? あたしに付いてきたら自由にした意味がないだろう!?」
「私だって行く
宛がないのは同じですよ。ですから
貴女に恩を返そうと、意地でも付いていってお世話をするのだと思います。
独りの旅路はきっと寂しいでしょうし…私は自分が幸せになる前に、リリアンの幸せの為に生きるでしょう。」
ロキシーが真顔で食い入るように主張したため、リリアンは思わず視線を
逸らした。耳当たりの良い言葉の
羅列に加えて、面と向かって本名を呼ばれたことも想像以上に気恥ずかしかった。
だがこの世界で
桃色地のドレスを貸し与えたときも似たような言い回しをしていたことを思い出すと同時に、彼女の単純な
直向きさがネリネの
面影と
綺麗に重なって映っていたことに気付いた。
そして内心で、
呆れたように苦笑した。
——きっとあたしは生前も今も、
人並みに友人を求めていたんだろうな…
疚しさも
柵も
抱かずに言葉を交わせる同年代の女子を。
——でもネリネもロキシーも、本来あたしが並び立つに
相応しいような人間じゃない。生きてる世界が違うから…あたしが自分を
偽って、
装って、
見栄を張らなければ、そもそも
眼前に足を踏み入れる余地すらない。
——仮に親しくなったつもりでも、
所詮それは見せかけの土台に根付いた芽吹きでしかない。嵐が来ればいとも
容易く吹き飛んでしまうような、
儚い
幻。今だってそう、あたしが令嬢を演じていなければロキシーは近付いてこなかったかもしれないし、こうして
慰められることもなかったと思う。
——でもどうせ無に
帰す命なら、せめてこの
凪のような静かな世界で
最期まで
他愛のない話をしていたい。どんなあたしでも受け止めてくれる、
呑気だけど
愚直で、
慎ましいけど
端麗なこの
娘と。それこそが本当に欲しかった、あたしにとっての……。
「ははっ。
今更夢見るようなこと語ったって仕方ないよな。それよりあたしは死ぬ前に、あのカリムとかいう男との
馴初めを
訊きたいね。」
「…ええっ!? な、
馴れ…
初め…!?」
リリアンが押し返すように
悪戯っぽく口元を緩ませると、
途端にロキシーは
慄いて鼻から耳の先までほんのりと顔を赤らめた。
それから
暫しの間、2人の少女は
湖畔で
屈託のない会話を弾ませていた。