「『
陰の部隊』から
詮索を…? 我々の存在が暴かれているとでもいうのか?」
影の青年からの
切羽詰まった
一言に対しイリアが再度問い返したが、青年はまたもや置物のように押し黙ってしまい反応がなく、足元ではロキシーが不安そうにその
輪郭を見上げていた。
白黒の世界には依然として青年以外に人影すら見当たらず、静かに金色の
塵が
漂っているだけであった。
一方でその届かぬ問いを
傍らで聞いていたドールが異変の原因に思い当たり、恐る恐るイリアへ言い聞かせた。
「カリム君、確かこう言ってました。…私達が放っている魔力は、厄災として現実の世界で観測されていると。そしてここがトレラントの近郊であり、街の地下には『
陰の部隊』の本拠地がある…と。」
「…何だと!?」
元よりイリアはディレクタティオから転移する際、雷撃を広範に放っても支障のない行先として、
咄嗟にトレラントの西側地帯を
脳裏に導き出していた。
今
居る世界が現実世界と重なり合っている可能性はクランメから再会したときに
示唆されており、ソリス港での騒動を踏まえ、現実世界で魔力を
揮ったとしても人的および物的影響の出ない場所として最適な地点を選んだつもりだった。
だがそこに『
陰の部隊』の拠点が隠されているとは
露知らず、イリアは生前
対峙した
冷徹無比な集団を思い返して胸騒ぎを覚えていた。
そうして動揺したイリアの視線はドールに向けられたのち、ステラの方へ自然と移ろいだ。ステラもその意味を察し、慌てて青白い
蔓を地中に引っ込めながら捕らえていたネリネとピナスを解放した。
2人は
疾うにドールへの戦意を鎮静させていたが、着地したネリネは
寧ろ
膠着した現状に
辟易していた。
「話を聞く限り、もう隠しても遅いと思うけどね。で、これからどうするの? こいつがどうやって私達と接触しているのか知らないけど、その部隊とやらの命令が下れば
今度こそ私達を殺すことも
出来るんじゃないの? それでも
未だ、ここでこいつと話を続けるつもり?」
その冷淡な推測に、ドールとステラは困惑した表情を浮かべた。再び青年に敵意を向けられる展開を想像し、一気に不安に
駆られていた。
だがそこへ割って入るように、クランメが落ち着き払って提案を述べた。
「いずれにせよ、この場に
留まり続ける理由はあらへん。時間も惜しいからな、早いとこセントラムに戻った方がええ。問題はカリム君を連れて行くべきかどうかやねんけど…恐らく向こう側の状況を考えたら、その議論すらしとる余裕はないやろな。」
そしてその意見を、イリアが
傍らに歩み寄りながら支持した。
「そうだな。依然としてディヴィルガムが我々に対する脅威となるのであれば、それを今託されている彼を手引きするに越したことはない。『
陰の部隊』から何らかの命令が下る前に、彼を連れてセントラムに移動するべきだろう。」
その方針に対して異を唱える者はいなかったが、ネリネが
透かさず疑問を差し挟んだ。
「でも私達はともかく、あいつを
伴って転移することは
出来ないでしょう? 現実にある生身の肉体を、物理法則を無視して移動させることになるもの。」
「ああ。だからピナス・ベルよ、もう一度
貴女の力をお借りしたい。鳥の姿になった
貴女の背にステラとネリネ嬢を乗せることは可能か? ステラが魔力を供給しつつネリネ嬢の風を推進力として、彼を急ぎ運んでもらいたい。残った者は従来通りセントラムに転移する。」
イリアが
口早かつ具体的にピナスに依頼をかけたが、ピナス自身もその指名をある程度
勘付いており
渋々提案に乗っていた。
「
蒼獣と化した
儂の姿は向こうの世界で観測されるのであろう? ならば貴様らは転移の前に派手に
目晦ましでも
仕掛けよ。」
そうして
瞬く間に段取りが組まれ、ステラは大柄な
隼と化したピナスの背中に青白い
蔓を巻き付けて自分とネリネの身体を固定し、
鉤爪に捕らえられた影の青年と共にその場を離脱していた。
だが体感したことのない高度と移動速度に
慄き、
真白の空を突き進む中で周囲を見渡す余裕もなく、
蒼獣の背に
這い
蹲っていた。
身体が
捩れそうな恐怖に呑まれないよう必死で
堪えながら、一刻も早くこの旅程が終わることを
希っていた。
だが影の青年が発した感謝の言葉が
脳裏に響くと、動転していた胸の内が少しだけ落ち着きを取り戻していた。
直接表情や立ち振る舞いを
窺いながら会話を交わすわけではなかったが、孤児院で面倒を見てきた先生として
醜態を
晒したくないという意地が
未だ心の奥底に根付いていた。
その一方で、生と死の境界を乗り越えて
意思疎通出来る奇跡を歓迎しつつも、
嘗て悪魔への
復讐心に
溺れていたカリムに
今更掛けるべき言葉を
捻り出せずにいた。
剰え死後になって知った青年の左目の秘密とイリアの発した『
私怨』という言葉が尾を引いており、以前よりも更に
葛藤を膨らませていたカリムに何を
以て寄り添うべきか思い悩んでいた。
それでもこの奇跡が
永く続かないものであることを
噛み締め、今度こそカリムから納得
出来る答えを引き出そうと意を決していた。その結果、ステラの脳内には青年の
淡泊な答えが返って来ていた。
『別に…構わないよ。
伯母さんの計略を阻止することは、
伯母さんを犠牲にすることと同義だと思うから。』
「本当にそれで、後悔しないのね?
貴方はルーシーさんの何もかもを奪うことになったとしても、そこにちゃんと意味を
見出してくれるのよね?」
『……。』
ステラはグリセーオで再会したカリムに
刹那的な衝動を
咎めたときと同じように、ルーシー・ドランジアに手を掛けることへの覚悟を問い
質していた。
諄い追及であることを自覚しつつも、命の
尊さと
儚さを覚えて生きて欲しいという願いから、カリムに対して明確な意思表示を求めていた。
案の
定カリムは押し黙ってしまったのか
暫し何の声も届くことはなく、ステラは
蒼獣の背に顔を
埋めているしかなかった。
その代わり、会話を聞き流していたピナスの鼻で笑ったような声音が
脳裏に横槍を入れてきた。
「人が人を
殺める理由は大きく分けて2つある。1つは偏見や恐怖といった、主に人の外面に起因した感情的な殺意。もう1つは思想や言動を
違えるが
故の、人の内面に起因した打算的な殺意だ。」
「だがいずれにせよ邪魔な存在を同じ世界から消し去り、
己の意志を体現したいという結論に変わりはないであろう。
殺めることそれ自体に意味があるのであり、
殺めた後の意味など
幾ら
象ろうとも空虚なものとしかなり得ないのではないか。」
それに対しステラは何か言い返そうとしたが、その前に背後で気流を操作しているネリネからも同様にして口を挟まれた。
「同感ね。私の人生は私だけのものでしかない。
私を殺した誰かさん
に私の分まで人生を充実させて欲しいだなんて
微塵も思わないわ。
寧ろそんな
柵に
幾つも
囚われていたら、結局自分が生きやすいようになんて生きられないでしょう。」
ステラは高速で飛行する
虚空の中で、思わぬ孤立を味わっていた。
悪魔の『宿主』達は
紆余曲折を経て和解し互いに協力的になったものとステラは捉えていたが、人の生死に対する価値観は元より両極端であることに変わりはなかった。
2人の意見がカリムに届いているのかは定かでなかったが、ステラはもう一度カリムとのか
細い
繋がりを
辿って訴えかけた。
「ねぇカリム、これだけは教えて。…
貴方はルーシーさんに
恨みや
憎しみを晴らすために動いているわけじゃないのよね? 何があったのかは知らないのだけれど、イリアさんが
私怨という言い回しをしたとき、
貴方は何も答えていなかったから……。」
本来ならイリアに尋ねて解消するべき疑問であったが、
蒼獣の背に乗って立ち去るに当たりそのような余裕は一切なかった。
カリムに問いかけを重ねることは
憚られていたが、ステラは返事を信じて
獅噛み付いていた。
『…
恨みや
憎しみなら…あるよ。
伯母さんは
本懐を
遂げる足掛かりとしてリオの命を利用したから。魔力入りのリンゴを俺に運ばせて、期待通りに厄災を引き起こして…先生がそれを
真似る元凶にもなったわけだからね。』
だが低い声音で打ち明けられたその内容に、ステラは身体を凍り付かせた。同時に
蒼獣の背筋もまた一瞬波打つように震えて、
朧げな毛並みが
弥立った。
ステラがその異変にも驚かされていたが、間もなくカリムの
台詞の続きが聞こえてきた。
『でも、その感情をぶつける気はない。
幾ら過去を悔やんで蒸し返しても、何も満たされないって
解ったから。だから血の
繋がりがどうとか、そういうのも
今更俺にとっては
軛でしかない。これは俺が納得
出来る未来を
見出すための…最後の
抗いなんだ。どんなに不義だと指を差されようと、その好機を
見す
見す
逃すつもりはない。』
「そう…。それが、
貴方の決意なのね。」
冷静に言葉を選ぶような口振りを聞いたステラは、溜息混じりの
相槌を最後にカリムへの追及を差し控えた。
カリムが感情的かつ場当たり的に行動するのではなく、過去を踏まえて将来を見定めようとしている姿勢が
解っただけでも、自分が青年に向き合おうと努めた意思が確かに
報われたのだと思えていた。
——それならもう、生きている
貴方へお節介をかける必要はないのでしょうね。私の命も
確と受け止めて生きようと
藻掻いているのが、ちゃんと伝わってくるから…。
「おい、貴様…リオとはサキナの妹のことを指しているのか。」
だがその一方で、青白い身体を
未だ
微かに震わせていたピナスが
牽制するようにカリムへ問い
質していた。
『ああ、そうだ。昔孤児院にいたとき2年ほど面倒を見ていた。そういえばあんたは、サキナと
確執があったんだったな…リオのことも知っていたのか。』
「
儂には貴様の
腑抜けた
性根が理解
出来ん。大切な存在を奪われたのなら、報復をして
然るべきではないのか。」
『以前の俺ならそう考えていた…悪魔への
復讐心が生きる
糧だった。でもその心をどんなに満たそうとしても、代わりに別の何かを失うだけだった。同じ
過ちは…もう繰り返したくない。』
「図に乗るな。人間は千年以上同じ
過ちを繰り返し続けている。貴様もまたそのうち大切な存在を
見出せば、それを
護ろうと
血眼になり、それを失えば理不尽を
嘆き我を失うであろう。」
『確かにそうかもしれない。でもその衝動に歯止めをかけられる人間になることが…失ったものに対する
報いになるんじゃないかとも思う。』
「
小賢しいぞ貴様…! 人間など
精々百年も生きられぬ癖に、
悟ったような口を……!」
ピナスが再び
癇癪を起しかけていることを察したステラは、
咄嗟に
宥めるための言葉を模索した。だが
既に遅く、ピナスは
堰を切ったように
喚き散らした。
「
儂のせいで…
儂が
浅慮にも人間と関わろうとしたせいで、リオナを死の
間際へと追いやり、サキナの心に深い
疵を負わせることとなった…それがドランジアの計略に
繋がり今へと至っているのなら、諸悪の根源は
儂にあるのだ!」
「ドランジアよりも
恨まれ、
憎まれて当然なのだ! それなのに貴様らは、
近しかったドランジアにすら
真の意味で
歯向かう意志を持ち得ない…
綺麗事を並べたり
己を
衒ったり…これでは
儂が学習能力の無い
愚かな
獣のようではないか!!」
その
自嘲と同時に
蒼獣の全身は
突如脱力し、ステラは一瞬身体が浮くような奇妙な感覚を味わった。
未だセントラムまでは距離があるにも
拘らず、ピナスの飛行高度が徐々に下がり始めていた。