「…なんだ、その目は?」
酩酊したクレオ―メの
酔眼が、ロキシーの
羞恥に震える
恵体を
舐め回すように
眺めたのち、
怯えながらも何かを訴えようとする視線を捉えた。
伯爵の顔面は
紅潮していたが、深酒に
因るものなのか
苛立ちに
因るものなのか、
或いはそのどちらでもあるように見て取れた。
「あの……私、今夜はその……薬を
貰っておりませんので……!?」
だがロキシーが縮こまりながらも絞り出す進言を最後まで聞く余地もなく、クレオ―メは
杯を机に置き、その空いた
掌でロキシーの肩を
掴むと、
力尽くでベッドの上に押し倒した。
ロキシーは小さく悲鳴を上げたが、クレオ―メは表情を変えることなく抱えられていたエプロンドレスを
剥ぎ取り、
露わになった下着姿の上に馬乗りになった。
そして
慄いて顔を引き
攣らせる女使用人を見下しながら、酒焼けし
掠れた声音で
呟くように言い聞かせた。
「そんなことは
解っている…だからといって口答えできると思うなよ……奴隷の子が……
妾の子が偉そうに……!」
肩を抑えつける力が徐々に強くなり、ロキシーは痛みと恐怖とで早くも呼吸が荒くなっていた。
だが
伯爵が
零した言葉に
未曽有の衝撃を受け、息の根を止められたかのように全身が硬直した。
——
妾の子って、どういうこと? 私が生まれたのは、母がセントラムに来る前のことじゃないの? …もしかして、私の父親って……!?
だがクレオ―メは決して
戯言を生み出したわけではなく、絶句するロキシーの様子を受けて
嘲笑うように話し続けた。
「べつにレピアとは黙っている約束を交わした覚えはないが…知らなかったのなら、今からその身を
弁えさせるために全部教えてやるよ。」
ロキシーは
驚愕と混乱の
渦中にありながら、その後クレオ―メが暴露した事実を事細かく記憶していた。
母レピアは子連れで故郷を追われたのではなく、ロキシーが
生まれる前に
『
魔性病』
で故郷を失い
奴隷として買われた、大陸東部の没落貴族の娘であったこと。
当時から領主の仕事に明け暮れていたクレオ―メが闇商人の売り込みでレピアを買い上げ、
棲み込みの使用人として従事させる一方で不倫関係を持ち、ロキシーを
孕ませたこと。
取引していた闇商人は表向きには人材
斡旋であり、数年間はレピアの身元を保証しなければならない契約だったため、レピアを一時的に
匿って出産させ、周囲には
子連れで故郷を追われた身としての再雇用
だと納得させたこと。
他方でレピア当人に対しては、親子で養う代わりにロキシーを使用人として育てつつ、毎晩の
夜伽に引き続き従事するよう命じたこと。
その際に闇商人から
丁度紹介されていた事前避妊薬『ミシェーレ』を、前提として服用させるようになったこと。
そしてロキシーが
齢12になったとき、
夜伽の従事をレピアと交代するよう事前に契約し、『ミシェーレ』の管理を
伯爵からレピアへ引き継いでいたこと。
「そういえば確かあのときレピアは俺の
実子とも関係を持たせるよう提案してきたな…事が上手く進めば次期領主の義母になれるかもしれないってか。俺はあくまで社会経験としてやらせただけだがな。今頃首都ヴィルトスの学術院で別の女と交際しているかもしれないというのに。」
クレオ―メは再び
嘲笑を浮かべながら、非情な真実に顔を
歪ませるロキシーを容赦なく呑み込むように
覆い
被さってきた。
「よく
解っただろう?俺もレピアも、
妾の子であるおまえの存在に価値を
見出し続けてきたんだ。衣食住で幼い使用人らしからぬ待遇を施してやったのもそのためさ…痩せ細った女なんて抱き
甲斐がないからな。」
そう吐き捨てると同時に、クレオ―メはロキシーの豊満な胸を下着の上から
鷲掴みにした。
その粗雑さによる痛みと逃れようのない迫力を受けてロキシーは瞳を
潤ませ、顔を背けながら小さく
掠れた声音で拒絶の言葉を繰り返した。
——嫌…私…そんな……そんなことのために…生きてきたわけじゃ……。
だがクレオ―メはいつもの
昏蒙状態とは異なる女使用人の反応に
寧ろ
嗜虐心を
煽られたのか、
昂りを隠すことなく酒乱の
儘に
捲し立てた。
「女はなぁ…その
体躯で男を欲情させて当たり前の存在なんだよ…そうしないと子孫を増やせないからな! それは創世の神様とやらが人間を男と女に分けてお
創りになったときから変わらない当然の摂理なんだよ!!」
「そしておまえにはその
恵体以外に存在価値などない…身の程を
弁えたのなら、薬が無くたっておまえの役割が変わらないことくらい理解できるよなあ!!」
ロキシーは降り掛かる
罵詈雑言から必死に涙目を
逸らし、力の限り叫んで邸宅中に助けを訴えたい衝動に
駆られていた。
だが領主貴族の男という圧倒的な権力者を前にその一切が無益に等しく、
顛末によっては使用人長である母にも見捨てられてしまうかもしれないという恐怖が、その衝動に深々と突き刺さっていた。
他方で、そうして苦痛にのた打ち回るような心を柔らかく包み込むように、不意に思い起こされる言葉が染み渡っていった。
『それでも、
嘗て確かに大陸の民が
培った尊厳は今も重んじられていくべきだ。』
『君も仕事熱心なのは構わないが、ちゃんと自分の幸せのために生きるんだぞ。』
そして
愈々我慢の限界を迎えたクレオ―メが、ロキシーの上下の下着を無理矢理
剥ぎ取り、
卑しく
紅潮した顔でロキシーの耳元に
囁きかけた。
「別に俺の子を
孕んだとしても心配することはない。レピアもおまえくらいの
齢で
孕んだ。それにおまえが俺の子を産んだとしても、ちゃんと俺が
面倒を見てやる
からな…!」
その後の出来事は走馬灯のようで、ロキシー自身はあまり詳細を覚えていなかった。
気が付けばクレオ―メは口から大量の泡を吹き出し、全身を
痙攣させて床に転がっており、眼球が飛び出て
最早身動ぎ一つしていなかった。
ロキシーはその
惨憺たる姿に発狂したい口元を必死で抑圧し、慌てて衣類を
纏い母の元へ駆け込んだ。
母レピアも同じように変わり果てた
伯爵の姿に言葉を失ったが、簡潔に事実関係を尋ねられたロキシーは、そのとき唯一不必要な確認を問いかけてしまった。
「お母様……私が
伯爵様との
妾の子だって、本当なの…?」
「!! …いまはそんなことどうだっていいでしょ!? 早く医者を呼んできなさいよ!!」
そうして突き飛ばされるように邸宅を駆け出して以来、レピアとは言葉を交わすことができていなかった。
激しく気が動転していたせいか夜分だというのに視界は弾けるように
眩しかった。それでも
伯爵の急患を
報せるため、息が上がりつつも街の医者を叩き起こしに丘を下った。
だが再びフォンス邸
別邸に戻る頃には、レピアをはじめ邸宅内に居た者は
皆似たような全身の
痺れや呼吸困難を訴えて倒れており、駆けつけた医者もまたその例に漏れなかった。
そして夜が明ける頃には、セントラムの街中で同様の症状を訴える住民が相次いでいた。
そのとき
漸くロキシーは
自らに
突如顕現した不可思議な毒の力について本能的に理解し、昨晩の自分の行動が街一帯に
甚大な被害を引き起こしてしまったことを自覚したのであった。
盆地という地形も相まってか、毒は霧散することなく
澱みのように住民を
蝕み続けており、ロキシーはその
惨状を小高い丘の上に建つフォンス邸
別邸からただ
茫然と
眺めているしかなかった。
**********
——本当に、節操のない男ほど俗悪なものはないわ。愛も責任もない情事と望まぬ子を
孕ませる可能性を、どうして長い歴史の中で結び付けられないのだろう。学習してくれないのだろう。…いや、愛と責任のどちらかが欠けても結局は同じことなのかもしれない。
——どちらかといえば、下手に責任だけ持とうとする男の方が
尚更質が悪い。その言葉を使えば女が心に負う
疵のことなんて、天秤に掛けるまでもないと思っているのだから。きっと神様はそんな男どもを
駆逐するためにこの毒を…『
魔性病』を生み出したんだわ。
——そう思いたい。けど……きっと、そうじゃない。
薄暗闇に満ちる静寂の中、空気を含ませたような口付けの音が断続的に響き渡っていた。
依然として
仰向けのまま身動ぎの叶わないカリムの身体に、ロキシーは
覆い
被さってその首筋から胸板にかけて静かな
接吻を繰り返していた。
麻酔のような毒に
冒され続けているカリムの弱々しい
息遣いは、恥辱と屈辱が混在したような苦しげなものに聞こえた。
その裏でどれほどの快楽が立ち込めているのか、どれほどの刺激を感じているのかロキシーには
解らなかった。
それでも時折その
恵体を絡ませるように
摺り寄せながら、青年が自分を受け入れてくれることを
希い、深い
菫色に満ちる瞳を輝かせて淡々と
奉仕
を続けていた。
その
最中でロキシーは、クレオ―メが振り
翳した理不尽が
強ち
過言とは言えないのではないかと
朧げに思い起こしていた。
——神様が人を男と女に分けて
創ったそのときから、双方は宿す・宿される、
冒す・
冒される相関関係なんだ。それは生物的に
理に
適った当然の摂理だと思うし、能動側で優勢な立ち位置にある男が肉欲の
儘に女を支配したいと考えるのは、きっと本能的なことで何も間違ったことじゃないのでしょうね。
——でも女の方がその相関関係を逆手に取る場合もある。決してより良い子孫を
遺すためではなく、人としての可能性を…価値を
見出すために。
——男が女の身体を道具のように扱って女を支配するのなら、女は女の身体を武器のように扱って男を支配しようとする。いずれにせよ女の身体に普遍的な価値が付いていることは、創世以来から不変の摂理なんだ。
そのうえでロキシーは、
齢に似合わぬ
恵体と多すぎる経験に加えて、男を選別する圧倒的な力を手にしていた。
望まぬ男を拒絶し
殺める毒と、望む男に執着し支配する毒という2つの武器を操る『
淫蕩の悪魔』、それこそが『
魔性病』の正体でもあった。
——結局私がやっていることは、
伯爵様と
殆ど何も変わっていない。力を振り
翳して、相手を
冒している
だけ。
ロキシーは
軈て小さく溜息をつくと、甘えるように身体を重ね直してカリムの首元に顔を
埋めた。
——それでも「違う」と言いたい。これは欲情を満たすためでも、日々を食い
繋ぐためでもないのだと。
——私は、私の生きる意味が欲しい。そしていつか…『普遍的な愛情』に触れてみたい。この
溢れんばかりの毒が、どうしようもない私の脚を動かすための活力であると信じたい。