ピナスは
歯痒さを
滲ませながらも、
威嚇するような表情で2人に
睨みを
利かせていた。
だが
蔓に捕らわれ結果的に抵抗が叶わないと判断したのか、イリアが歩み寄りながら語り掛けてきた。
「確かに
貴女の言う通り、私の
肩書などこの世界では何ら意味を成さないし、
皆を従える根拠もない。だが
皆同じように悪魔を
降されて命を奪われ、こうして
蘇りに似た感覚を得ていることには必ず何らかの意味があるはずなのだ。だからまずはそれを明らかにするため、
貴女にも協力して欲しい。」
「
喧しいわ! 知ったような口を
利いて…貴様らと協力しなければならん理由などない!!」
説得を
遮るように
喚き散らしながらも、徐々に青白い
蔓に魔力を奪われて屈服させられるのは時間の問題であると理解していた。
そうなれば最後、胸の内に湧き立つ衝動が——今のこの
蘇りに似た感覚が喪失してしまうかのような
焦燥感があった。
——貴様らと組めば、
十中八九ドランジアに意趣返しが
出来なくなる。
彼奴と生前の
生業で関係性を持っていた貴様らと
志を等しく
出来るはずがない。
ピナスはイリア側とは念頭に掲げる目的が真っ向から食い違っていることを認識しつつも、それを具体化することで抵抗を続けようと試みた。
「…貴様らは
皆ドランジアに標的にされて悪魔を宿したのかもしれんが、
儂は違う。イリア・ピオニー…貴様が軍隊を率いて例の勧告と共に物資を提供した際、1つだけ混ざっていたリンゴを
偶々儂が
喰らった結果に過ぎんのだ。」
ピナスに名指しで指摘されたイリアは、何か言い返そうとした
台詞を抑え込まれて
唖然としたような表情になっていた。その反応を鼻で笑うように、ピナスは言い聞かせ続けた。
「我が一族は普段の食事でリンゴを口にすることはない…アヴスティナ近辺では獲れないからのう。粗末にするわけにいかず仕方なしに喰らった。だがそれはドランジアからすれば、我が一族の誰が悪魔を宿そうが構わなかったという意味であろう。」
「それでも
儂は
自らの意志で悪魔の力を
揮うことを決めた。厄災を恐れ我が一族を管理下に収めようと
企む
傲慢な人間どもに、
拮抗しうる力を知らしめるために。我が一族の
安寧と尊厳を
護るために。そして
嘗て悪魔を宿した母を討ったディヴィルガムの持ち主を見出し、
仇討ちをするためにな。」
「…貴様らとは、根本的に行動原理が異なるのだ。ドランジアの野望など知ったことではない…ただ
彼奴に
仇討ちするという目的だけが、唯一
儂を突き動かすのだ!!」
真白の空は
既に雷鳴が止んでおり、金色の
塵のようなものが静かに降り続けていた。
蔓に捕らわれながら発せられる
咆哮に似た主張は、広場を囲む黒一面の壁に
虚しく浸透していったような気がした。
イリアがまた何か言おうと肩を動かしたが、それよりも先にステラの足が前に出て、イリアに対して何か示し合っているように見えた。
そしてこちらに向き直ったステラが腰を
屈めて
萌黄色の視線を合わせてきたので、ピナスは少しずつ増してくる
倦怠感に
抗いながら彼女の出方を
窺った。
「こんな形でお話をするのは失礼かもしれないけど、最後まで聞いてもらえれば
頂いた魔力は返すと約束するわ。えっと…ピナスさん? ベルさんと呼べばいいかしら?」
「…構わん、好きにしろ。」
ステラのぎこちない切り出し方から、彼女が恐らくイリアからピナスの見た目と実際の
齢の
乖離を
示唆され、接し方に迷っている節があるのだろうとピナスは
勘繰った。この現状においては
纏わりつく
羽虫よりもどうでもいい配慮であった。
「じゃあピナスさん。あのね、
貴女が言っていたことが少し気になって。…他の人たちのことは詳しく知らないけど、少なくとも私も
貴女と同じように、配給物資に紛れ込んでいたリンゴを
偶々手に取っていたのよ。でもそれは誰かに仕組まれて悪徳を
煽られたからでも、
唆されたからでもなかったと思う。私は純粋に悪魔の力を望んで、厄災の力を得たいと願って
自らリンゴを
齧ったの。」
青白い
蔓の
主が
宥めるように語る言葉が、ピナスには
俄かに信じられなかった。
自分は確かに悪魔の力を
揮おうと決めたが、それはリンゴを
食した後に、
昂る悪徳と比例するように確固たる魔力が身体中に満ちていくのを感じたからこそであった。
ステラの場合は前後関係が逆転しており、あまりにも上手く
出来過ぎた話であると
見做さざるを得なかった。
「…貴様は、そのリンゴを
喰らえば悪魔の力を宿せると知っておったのか?」
「
勿論理屈なんて知らなかったわ。ただ、私が勤めていた孤児院で昔リンゴがきっかけで悪魔を宿した子がいて、
咄嗟にその
真似をしようとしただけ。…ああでも、
齧る直前に予感みたいなものはあったかもしれないわね。こうすれば現状を変えることが
出来るんじゃないかっていう、淡い期待が。」
「私の生まれ育ったグリセーオは色々と大変なところで…
度重なる厄災で食糧が行き渡らなくて街中がひりついていて、私はその状況を何とかしようとして街全体をこの
蔓で
覆ったの。生命活力を分配するこの力で
皆を呑み込めば、流通網が復旧するまで誰も飢え死にすることがなくなると思ってね。」
「でも
譬え
皆を
護りたい一心であっても、多くの命を勝手に抱え込むような
真似は、
傍から見れば
悍ましい脅威でしかないと思い知らされることになった。結局私は住民を逆に
人質に獲られるような
格好になって、その罪を
償うようにして杖で討たれたわ。」
ピナスはステラが問いかけ以上の答えを打ち明けてくる間も少しずつ魔力を
蔓に奪われていたので、
辟易して低く
唸るような声音で解放を催促した。
「…何が言いたいんだ貴様は。早くしろ。」
「ごめんなさい、つまりね…
貴女も私も、背景は違えど何かを
護るために望んで力を得たことに変わりはないと思うの。私達だけじゃない、この世界で目覚めた他の人たちもきっと同じような境遇だと思う。」
「でもその一方で、その信念がどこかで負い目になっている。少なくとも私には
貴女がそうであるように映ってる。その負い目に
囚われたまま
独り
闇雲に
奔走してしまうことがどんなに危ういか…私はもう、そういう人を見過ごしたくないの。」
その切なる訴えにピナスは
呆れて
項垂れ、
解り
易く溜息を漏らした。
結局は
独り
善がりのお節介を押し付けられていることに気付くと、
萌黄色の瞳の女が
夥しい
蔓を操る力を手にしたことが妙に
腑に落ちてしまった。
そしてステラに対し、
憮然とした返事を返した。
「
儂はもう死んだ身だ。
労りを掛けられる筋合いなどない。」
「強がっても駄目よ。
貴女は雷を恐れて、
蔓に縛られて今も苦しんでいるじゃない。今の私達は生きているとは言えないのかもしれないけれど、
生きていた時と同じ感覚が続いていること
は間違いないの。」
「だから私は
貴女だけじゃなくて、この世界で出会った他の
皆のことも心配してる。何があるか
解らない世界で
独りで無茶をして、傷付いてほしくない。
貴女が自分を
顧みないのなら、私も全力で
貴女を止めてみせる。お願いだから、私達と一緒に来てほしいの。」
安易な拒絶がかえって引き金となったのか、ステラはより強気になり親が子を
躾けるような口調に転じていた。
だがピナスは不思議と腹が立たず、
寧ろ
気圧されたように
俯いたままであった。
ピナスから見ればステラの方が
齢は下であり、当然に世話を焼かれる
謂れはないのだが、反発しようという気は湧いてこなかった。
そのような感覚の食い違いなどお構いなしに押し付ける
気遣いが、
嘗て1人の強情な人間の幼女により
齎された過去を想起させていた。
そしてその好意を
反故に
出来ず、かえって多くのものを失う契機となったことを苦々しく
回顧した。
——こういう
輩が最も
質が悪い。温情をかけるつもりなのだろうが、
正しくこの
蔓のように相手を絡め思考も行動も束縛していることに気付いていないのだ。
——この
蔓を無理矢理
解くことは誤りなのだと、主観的にも客観的にも刷り込みをしてくるのだ。本当に
狡猾で、
反吐が出る…。
倦怠感にも
蝕まれつつあったピナスは、ステラに返事を
寄越すことも忘れて
悄然と成りかけていた。その様子を案じたステラが、改めてピナスを呼び起こすように語り掛けた。
「私は孤児院の管理人だったの。…いえ、その前に領主の娘だったと言うべきね。子供も大人も関係ない、見知っていようがなかろうが心を通わせ手を取れる人に私はならなきゃいけなかった。それにもっと早く気付いていれば、あんなに幼い子が悪魔を宿すことなんてなかったから。」
「
貴女を見ていると、そのことを思い出して気持ちを抑えられなくなってくるの。だから、
貴女には
煩わしいことかもしれないけれど……。」
ピナスはステラの後悔を
朧げに聞き流す
最中で、子供が悪魔を顕現させる可能性について
不図した疑問を
抱いた。
祖父オドラ―が悪魔の宿る原因の1つが悪徳の『
偏り』だと語っていたことを思い出すと、感情表現や状況判断が
稚拙な人間の子供が、大人を差し置いて深刻な悪徳を抱えることが不自然に感ぜられたからである。
「ところで…その話は
真実なのか。
幼子が悪魔を宿すほどの悪徳に溺れるなど、とても想像だに
出来ぬぞ。」
一方のステラはピナスの
呟くような質問を聞くと、特段気を悪くする様子もなく、どこか遠くを
眺めるような
眼差しで
物憂げに答えた。
「…そうね、身体が虚弱で不自由だった分、抱えていたものは大きかったのかもしれないわ。芯の強い子だったのよね…リオは。」
そのときステラが
徐に
零した聞き覚えのある呼称に、ピナスは全身の毛が
弥立ち狼の耳が鋭く張るのが
解った。
——
此奴、いまリオと言ったのか? それは…あのリオナのことなのか?
ピナスの明らかな動揺にステラも何か驚かされたような表情を浮かべており、それを察したピナスは
咄嗟に平静を
装いながらも確認をせずにはいられなかった。
「おい、そのリオという人間の子は
如何様な
身形をしておったのだ。」
「えっ? …リオは、その…短い栗毛に
鈍色の瞳で、
齢ははっきり
解らなかったけれど、多分10くらいのときに悪魔を宿して…。」
「それは何年前の話だ。」
「…5年前のことよ。」
食ってかかるような質問にステラは
呆気にとられながらも、
急かされるが
儘に答えていた。
他方のピナスはその2つの質問をしたきり黙り込んでしまったが、失われたはずの
動悸が全身に
木霊するような錯覚に
陥りながらはっきりと確信をしていた。
——間違いない、あのとき川に流されたリオナは、下流で救助されてグリセーオで
此奴が営む孤児院に託されていたのだ。リオナは、生きていたのだ。
——そして、悪魔を宿して…今度こそ命を落としていたのだ。