第２話 巻き毛の少女
文字数 4,098文字
窮屈な馬車内に響く悲鳴にカリムは思わず怯み、両手に顔を埋めて塞ぎ込む令嬢を気まずそうに見遣った。
「…申し訳ありません、ネリネ嬢様…。」
「うるさい！！ 早くここから出ていきなさいよ！！」
ネリネは感情的な拒絶を繰り返すことは愚策だと考えていたが、相手の魂胆が推測できた以上、この男の配慮に欠けた聴取は受忍できないという主張を繰り返す強硬策へと転用することが、自分を護る唯一残された手段であると判断していた。
カリムと名乗る男の素性は定かではないが、同年代の異性に喚かれ拒絶されたとあっては、多少なりとも動揺するだろうとも期待していた。
そして自責の念に打ちひしがれるでも、暫し様子を見るでも構わない、聴取など諦めて大人しく引き下がってくれれば何でも良かった。
——いずれにせよ、目的地まで護送されるまでの辛抱だ。もし私の命を狙って適当な場所に拉致しようものなら…最悪また全てを吹き飛ばしてしまえばいい。
「…ネリネ嬢様、矢継ぎ早に礼節を欠いた追及をしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。」
カリムの微かに震えた声音が頭上から落ちてきた。滑稽でぎこちない謝罪を取り繕っているのだろうと、ネリネは両手に顔を埋めながら北叟笑んだ。
「しかし、これはあまり公にできないことなのですが…大陸議会より通達が発せれているのです。『ラ・クリマス大陸に伝承される厄災の再発に十分警戒せよ』と。」
だがそれ以上期待通りに事態が進むことはなく、カリムは至って真剣な口調で喰らい付いてきた。
その『厄災』という表現に、ネリネはまたしても身体を激しく揺さぶられるような危機感に苛まれていた。
「先日、ディレクト州でグレーダン教の総本山である大聖堂が焼け落ち、大勢の教徒が焼死しました。大陸議会はこれを伝承に聞くラ・クリマスの悪魔により齎された厄災であると結論付けようとしています。約千年前にこの大陸に棲み付いた７体の悪魔は長い年月を経て衰退したと言われ、現代において伝承されるような厄災の発生は稀有なものとなりつつあるそうです。」
「しかし５年に一度、壊月彗星が接近する年ほど厄災の発生件数や規模が増大することもまた、歴史が物語っているそうなのです。そして今はまさに、壊月彗星が大きく近付いている時期なのです。」
「今回の不可解な竜巻も、７つある厄災のうちの１つである可能性が高いのです。仮にそうであれば、ラ・クリマスの悪魔が顕現した女性が今なお潜んでいるかもしれない…伝承では悪魔は決まって女性に顕現するらしいのです。これまでの情報を擦り合わせれば、竜巻は無人の海上ではなくヴァニタス海賊団の船舶で発生したことになります。」
「そして厄災を引き起こした女性は、当時ヴァニタス海賊団に拉致されていた貴女であればご存知かもしれない…と、いうわけなのです。」
——そこまで具体的に目星を付けていたなんて、こいつ本当に何者なの。
予期していた以上にこの青年が竜巻の核心に近付いていたことに、ネリネは愈々忌避感を抱かずにはいられなかった。
——でもここまで情報を引き出せたのなら、寧ろ感情的になって塞ぎ込んだことは功を奏したと言うべきね。
ネリネは『ラ・クリマス大陸に伝承される７体の悪魔』について、簡潔な知識しか持ち合わせていなかった。千年前に預言者が定義したらしい７つの悪徳に呼応して、大陸に棲み付いている悪魔が顕現し厄災を引き起こすことがある…という程度に。
だが、何故か悪魔が顕現する対象は女性に限られるという前提でカリムが話を進めていることに気付くと、狙い撃ちするように自分へ嫌疑をかける姿勢にも合点がいき、次に自分が採るべき選択肢が途端に明瞭になった。
——こいつが何をどこまで調べているのか知らないが、それならいっそ可能なところまで話を合わせてやろうじゃないの。
「…被災した事実だけでなく、その前に海賊団に拉致されたという苦い経験まで掘り返すことは、察し余る無礼であると百も承知しておりますが、どうか厄災の制圧のため何卒ご協力を賜りたく…。」
「あぁもう解ったわよ。解ったからその不器用な言葉の羅列を一旦止めなさいよ。」
気付けば塞ぎ込んでいた自分よりも平身低頭していたカリムに向かって、身体を起こしたネリネは面倒臭そうに吐き捨てた。
「そんなに知りたいなら私が見た限りのことを教えてあげるわよ。拉致された事実は恥辱的なことだからあまり明かしたくなかったけれど…それで貴方の気が済むのなら寧ろ開き直った方が正しい気がするわ。」
カリムは令嬢の態度の急変に呆気にとられながらも、改めて謝罪を挟むと慌てて羊皮紙を広げ直した。
今も揺れ続ける馬車でこれから打ち明ける事実関係を漏れなく書き残せるとは到底思えなかったが、ネリネはその心配も馬鹿らしくなり、さっさと聴取を終わらせることだけを考えることにした。
「初めに言っておくわ。貴方が捜しているっていう『悪魔が顕現した女』は、ヴァニタス海賊団の首領、リリアン・ヴァニタスよ。」
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
微かな雨粒が頬を湿らせていることに気付き、ネリネはゆっくりと視界を取り戻した。
その過程で、潮の香りに混じって木材の匂いを感じ取った。波が揺れる音、木造の床が軋む音…疎らな足音が聞こえた。
そこは篝火が灯された船舶の甲板で、多くの乗組員と思しき者たちが談笑しているようであった。
そして脳内で途切れていた記憶の切れ端を掴み直すと、ネリネは反射的に立ち上がって振り返り、宵闇の遠くに浮かぶメンシスの街灯りに向かって精一杯を振り絞って叫んだ。
「誰かーーーっ！！ 助けてーーーーーっ！！！」
「おい馬鹿野郎！！ 何やってんだ！！」
だが、直ぐさま近くの乗組員が駆け付けてネリネを押し倒し、無理矢理口元に布を当てて塞ごうとした。
ネリネが拘束されていたのは両手のみであり、怖気付くことなく抵抗を試みようとする様子を見た別の乗組員が、隣にいた長身の男に向かって退屈そうに訴えかけた。
「おいローレン、やっぱり猿轡とか足枷とか付けといた方がよかったんじゃねぇか？ 箱入り娘って聞いてた割には、肝が座ってそうに見えるぜ。」
「ああ、だからこそ粗雑な道具で拘束するわけにはいかない。無駄に身体を傷付けてしまう可能性もあるからね。…それに、これだけ騒がしくなれば彼女もやってくるはずさ。」
ローレンと呼ばれた青年が低い声音で答えていると、その予測通り背後の船室の扉が荒々しく開け放たれ、金髪巻き毛の少女が甲板に飛び出してきた。
「一体何の騒ぎなの！？ ……はっ！？ ネリネ！？」
巻き毛の少女は乗組員たちに捕縛されているネリネを発見した途端、息を呑んで瞬く間に表情が青褪めていった。
だが驚愕は即座に憎悪へと変容し、行く手を阻もうとする乗組員たちを次々に睨み返した。
「あんたたち、どういうつもりなの！？ さっさとネリネを解放しなさいよ！！」
その怒号とともに少女は鞘からナイフを抜いて突進した。
周囲の乗組員も同じく抜刀して巻き毛の少女に襲い掛かったが、少女は軽やかな身の熟しで四方からの攻撃を受け流していた。多勢に無勢を物ともせず乗組員らを突き飛ばし、昏倒させ、遇っていた。
だが漸くネリネの元に少女の手が届こうかという瞬間、ローレンが素早くネリネの腕を引っ張り上げ、その首元に短剣を突き付けた。
他の乗組員と比べ細身な青年は、力勝負でこの巻き毛の少女に適うことはないと百も承知しており、それ故にどのように立ち回ることが合理的か予め想定し行動していた。
「流石、先代の血を引くだけありますね。やはりこの船で貴女の体術に勝る者はいない。」
ネリネの驚き怯えた瞳に思わず怯んだ巻き毛の少女は、その隙を突かれて別の乗組員に背後から殴打され、床に崩れ落ちたところを組み伏せられてしまった。
ナイフを奪われ、抵抗も叶わず縛り上げられてしまったが、それでもなお巻き毛の少女はネリネを人質に捕るローレンを睨み付け激しい剣幕で捲し立てた。
「全部あんたの仕業なんでしょう！？ ローレン！！ どうしてネリネを拉致したの！！」
「おや、ヴァニタス海賊団の首領リリアンは、エクレット家の一人娘といつの間に面識をもっていたんですか？」
ローレンの皮肉に溢れた切り返しに、リリアンと呼ばれた巻き毛の少女は突然息の根を止められたようにその場で凍り付いた。隠していた事実が乱暴にぶち撒けられ、憎悪の表情は絶望へと沈んでいく。
その様子を見たネリネもまた嗚咽に似た悲鳴を零して震え出しており、その首筋に短剣を宛がい続けるローレンはすべてを察して冷たく語り続けた。
「聡明なネリネ嬢様もお察しになられたようですよ。ご自宅で仲良くお茶を囲んでいたアルケン商会の若き女商人ユーリの正体は、ヴァニタス海賊団の若き首領リリアンであると。ああ、因みに僕は商会の代表ケイジュを名乗っておりました、海賊団幹部のローレンと申します、お嬢様。まぁ今更ご挨拶を改めたところで、お会いするのは今宵で最後になりますけどね。」
ネリネの頭上で含み笑いを浮かべるローレンに対し、リリアンは蒼白な面持ちで必死にその台詞に喰らい付こうとしていた。
「…ネリネを、どうするつもりなの…？」
若き首領の抵抗に応えるように、ローレンは自らの計画を包み隠さず丁寧に打ち明けてみせた。
「見て解りませんか？ 彼女は人質です。エクレット伯爵は我々の提案を一切聞き入れることなく一方的に、何の猶予も与えず契約を破棄してきました。違約金の２倍を支払うと言ってね。」
「ですが違約金の請求は、契約を破棄された側が提起すべきものだと思いませんか。先代の頃からメンシスの活性化に大きく貢献してきた我々に対して、あまりに不誠実な仕打ちだと思いませんか。故に、メンシスと縁を切る前にその一人娘を拉致し、身代金として違約金の10倍を請求することにしました。」
「心配せずとも、直ちに用意できない額面ではないことは解っているのですよ。伯爵がどれだけ闇市場を活用し私腹を肥やしていたか、確実な想定のうえで算出したつもりですからね。」
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