第1話 逃避行

文字数 4,120文字

「はぁーあ、まったくもって最悪な乗り心地だわ。もっとまともな道は走れないわけ?」


 空が分厚い雲に(おお)われた昼下がり、雑木林の中を1台の馬車が駆けていた。
 
 満足に舗装が行き届いていない道を行く馬車の乗り心地はお世辞にも快適とは言えないが、淡い桃色を基調としたドレスを身に(まと)う少女にとっては、そもそも馬車移動自体が不慣れなようであった。
 (しか)め面で窓の外を(なが)め続けることにも耐えられず、遂に文句をぶち撒けずにはいられなくなっていた。


「心中お察ししますが、街道は足止めを()らった商人たちで大変混雑しております。目立たず迅速に移動するためだとご理解ください、ネリネ嬢様。」


 その向かいの座席で羊皮紙を広げている黒髪の青年が、不貞腐(ふてくさ)れる令嬢を柔らかく(なだ)めようとするが、ネリネと呼ばれた少女は苛立(いらだ)ちを抑えきれないようであった。


「大体貴方(あなた)、平然と私の前に座っているけど何者なの? 護衛を務める者のようには見えないけれど?」


 ネリネは不快感を紛らわすように、片目を黒髪で隠す青年に口撃(こうげき)の矛先を向けた。
 この陰気臭そうな男が目的地まで同行することは承諾していたが、何もこの窮屈(きゅうくつ)な空間で対面を続ける必要性はないのではないかと暗黙に訴えたかった。


「…申し遅れました。私は大陸議会の事務官を務めております、カリムと申します。まぁ事務官と言っても、議員達の雑用のようなもので大層な身分ではないですけどね。今回はネリネ嬢様をヒュミリア州内のご親族様の屋敷へご案内する責務を仰せつかっているのですが…。」


 朱色を基調としたシャツの上に議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキを(まと)いながら、自虐的に微笑を浮かべるカリムと名乗る青年を前にして、ネリネは余計に不快感が(つの)っていった。

 (よわい)16の自分とあまり大差ない年齢だと思っていたのに、大陸議会に携わるような職に就いていることがまず信じられなかった。
 そのうえ前髪で片目を隠す身形(みなり)も、陰気を上塗りしようと浮かべる微笑も声音も、何かを隠し取り繕っているように思えてならなかった。


——いや、私は恐らくそういう(わず)かな感情表現にも、敏感になってしまったのかもしれない。


「…その(つい)でといいますか、ネリネ嬢様にもメンシスでの竜巻被害の一件について聴取するよう指示を受けておりまして…。」


 カリムの恐縮しがちな発言の続きを聞くや否や、ネリネの背筋に悪寒(おかん)(はし)った。


「はぁ? なんて不躾(ぶしつけ)なのかしら!? 私はあの竜巻の被災者なのよ!? それなのに逃げ場のない馬車の中で強引に記憶を掘り返そうとするなんて…!!」


 …と、反射的に(わめ)き散らしたいところであったが、その衝動を(かろ)うじて抑え込んだ。


 このわざとらしい上面(うわつら)の男を前に、感情的に拒絶を繰り返すことは愚策であるように思えた。
 竜巻の真相を追及したところでこの男に何ができるとも想像できないが、どちらかと言えば取り乱すことで被災の後遺症のような精神疾患を疑われることの方がネリネにとって不都合であった。

 それにこの男が本当に大陸議会に連なる立場であるならば、下手な黙秘を貫く方がかえって後々面倒臭いことになるような気がした。
 (ゆえ)にネリネは深い溜息をついて悪寒(おかん)と動揺をゆっくりと沈静させると、カリムに向かって不服そうに同意を寄越した。


「…仕方ないわね、できる範囲でなら答えてあげるわよ。(ただ)し私は被災者なんだから、そこのところちゃんと配慮しなさいよね。」



 ラ・クリマス共和国は大陸国に分類されながら外洋に囲まれた島国でもあり、代表的な交易都市が2ヶ所存在している。1つは大陸西部に位置するグラティア州、首都ヴィルトスに近いソリス港。もう1つは大陸南東部のヒュミリア州にあるメンシス港である。

 昨夜そのメンシス港は、突如(とつじょ)発生した巨大な竜巻によって甚大な被害を(こうむ)った。

 交易の街並は無惨(むざん)にも蹂躙(じゅうりん)され、一夜にしてその機能を喪失してしまった。当然人的な被害も計り知れず、死傷者の数は現在進行形で調査が進められていた。


 ネリネ・エクレットはメンシスの領主であるホリー・エクレット伯爵(はくしゃく)の一人娘であり、竜巻の被害に()ったとされ、未明に街の海岸に打ち捨てられているところを保護されていた。

 メンシス内のエクレット邸も竜巻によって倒壊し、そこで伯爵(はくしゃく)は巻き込まれたとされ既に死亡が確認されていた。ネリネの母は()だ行方が(わか)っていない。
 他に生存が確認されたエクレット家の人間はおらず、ネリネには(かろ)うじて生き延びた侍女や数名の使用人らと共に、領主の跡取りとして今後のメンシス再興についての打ち合わせが予定されていた。

 だが憔悴(しょうすい)していた彼女は早くもその事業を救援に駆け付けた大陸平和維持軍に一任し、逃避するようにメンシスから立ち去ろうとした。


「…私には荷が重すぎます。それ以前に、このような(おぞ)ましい災害を生んだ土地に居住を続けたいと思えません…いま(しばら)くは別の場所で静養したく存じます。」


 その言葉を聞いた侍女がネリネの心境に配慮し、同州内の親戚の元へ一時的に身を寄せることを提案した。

 他の使用人らもネリネは物腰が柔らかく大人しい少女だと認識していたが、両親に溺愛された箱入り娘であったため、昨夜の出来事で殊更(ことさら)傷心(しょうしん)を負ったのだろうと推察し、大陸平和維持軍への取り次ぎに賛同したのであった。

 程なくして上等な馬車が供与され、事務官のカリムと共にネリネはメンシスを後にしていた。

 だが出発して以降の令嬢は、何か糸が切れたかのように刺々(とげとげ)しい態度で同年代の青年に()って掛かっていた。(いま)だに潮気が抜けきらず整わない金髪にも、徐々に嫌気が増してきているように見えた。



「…(わか)りました。それでは順を追ってご質問させていただきます。」


 (かしこ)まった態度で改めて羊皮紙を広げ筆の用意をするカリムを前に、ネリネは本当にこの落ち着きのない馬車で文字が書けるのかと(いぶか)しんだ。


「まず最初に…ネリネ嬢様は昨晩の竜巻発生当時、何処(どこ)で何をされておられましたか?」



 その一見当たり(さわ)りのないような質問を受けて、ネリネは早くも聴取に応じたことを後悔し始めていた。

 素直に竜巻の発生状況について尋ねれば良いにも関わらず、被災者自身の行動履歴を詮索しようとする時点で信用が持てなかった。それにこの男は「順を追って」という前振りを、許諾を得てから()り気なく付け加えている。


「…何? 竜巻について()きたいんじゃないの?」


 明らかに聴取の対象は竜巻ではなく自分自身であることを察したネリネは、腕を組んで露骨な不快感で(こた)えて見せた。


「…ああ失礼、かえって迂遠(うえん)な言い方になってしまいましたね。」


 一方のカリムからは謝罪のわりにあまり悪びれた様子はなく、ネリネからすれば事務官の仕事ぶりとしては稚拙(ちせつ)というより軽薄(けいはく)な印象を受けていた。


「ですが、例の竜巻があまりにも異常であったことはネリネ嬢様も想像に(かた)くないでしょう。竜巻の発生は昨夜21時頃と言われていますが、当時は小雨だったとはいえ竜巻が生じるような気候条件ではありませんでした。そのため、竜巻そのものが何処(どこ)でどのように発生したのか情報を()り合わせる必要があるのです。」

「ただでさえ現場は救援活動でそのような余裕はなく…議会としてはできる限りお話が可能な現地の方にご協力を仰いでいる次第なのです。」


 だがネリネはカリムの長ったらしい釈明を聞き流している間、案外大陸議会も人手不足で、自分と同じくらいの(よわい)半端(はんぱ)者の青年をこうした被災地へ送り出さざるを得ないのではないかとも思えてきていた。
 

 10日ほど前に大陸北西部のディレクタティオで発生した大聖堂焼き討ち事件は共和国を震撼(しんかん)させ、グレーダン教なる宗教団体は勿論(もちろん)大陸議会もまた調査や事後処理などに追われていると聞いていた。
 国教と言えるほど現代において信者は多くはないようだが、千年という歴史を(かざ)して近年再興しつつあることも知っていた。

 それに地理的にも、竜巻の発生したメンシスはディレクタティオとはほぼ正反対の位置にある街である。ひょっとしたらこのカリムとかいう不躾(ぶしつけ)な青年は、大陸議会に即席で雇われた近隣の住民なのかもしれない。

 そう考えると、ネリネはこの聴取を適当に(あしら)っても問題がないような気がしてきた。


「…竜巻なら、メンシス港から見て西側の沿岸辺りで発生したように見えたわよ。」


 ネリネが窓の外を眺めながら(あき)れたように(つぶや)くと、カリムは()かさず羊皮紙に筆を走らせた。


「昨晩の西側の沿岸…確かそこには、アルケン商会の船舶が停泊していたと聞いていますが。」


 まるで回答を予期していたかのように次の質問を口走る青年を前に、ネリネは内心舌打ちをして(みずか)らの浅はかな判断を再び悔やんだ。


——違う。こいつは即席の雇われなんかじゃない。昨夜の街の状況を隅々まで把握していなければ、その発言が容易(たやす)く放たれるはずがない。


 そして如何(いか)にも自然な聴取を装うようなその姿勢に、早くも危機感を(いだ)き出したネリネには、また別の角度からの疑念が湧き上がってきていた。


——噂に聞く『(かげ)の部隊』…大陸議会で密かに組織され、軍人などに紛れて諜報に勤しむ(やから)がこの大陸中に存在しているらしいが、こいつもその1人なのか?

——もしその推測通りならば、最初から情報の()り合わせなど必要なく、望ましい言質(げんち)を確保するために結論ありきで誘導しているのかもしれない。


——私が、竜巻を引き起こした張本人であるという事実に辿(たど)り着くために。



「…アルケン商会はエクレット家とも面識があったそうですが、その正体はメンシスの闇市場で密輸品などを数多く(さば)く『ヴァニタス海賊団』であるという情報もございまして…。」


——やはり、こいつは情報を握りすぎている。移動中の馬車という(おり)を利用して、隠したい事実を容赦なく引き()り出すつもりだ。

 
「…恐れながら、ネリネ嬢様は昨夜、ヴァニタス海賊団を名乗る者達に拉致(らち)されていたと聞き及んでおりまして…」


——これ以上は、危険だ。


「やめて!! もうやめて!!!」


 たった1つ壁に許した罅割(ひびわ)れを逃さず、ここぞとばかりに杭を打ち込み破壊しようとしてくるような、(にじ)り寄る恐怖をネリネは犇々(ひしひし)と味わっていたが、遂に耐え切れず発狂した。
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登場人物紹介

【ドール】齢19の修道女。

▶ラ・クリマス大陸北西部にあるディレクト州の歴史ある街ディレクタティオで暮らしており、グレーダン教の総本山であるディレクタティオ大聖堂に連なる修道院に属している。

▶生まれつきの白髪が忌み嫌われ、赤子の頃に大聖堂に託された孤児だった。

▶対人関係が希薄なため幼い頃から本の虫であり、好奇心が旺盛。

▶その性格が災いしてか、あることをきっかけに異端者、廻者として糾弾されることになり、その理不尽な仕打ちを機にラ・クリマスの悪魔を顕現させてしまう。

【死神】ドールの命を狙い対峙する謎めいた人物。

▶グレーダン教徒に似た紫紺のローブを纏い、真っ白で無機質な仮面を着けている。

▶グレーダン教に代々継承されてきた司教杖に似た、武器と言い難い杖を構える。

▶その先端に着装された黒い鉱石からは、悪魔を脅かす不思議な力が醸し出されている。

▶「死神」という名称は、ドールが便宜上付与したものにすぎない。

【ネリネ・エクレット】齢16の貴族令嬢。

▶大陸南東部ヒュミリア州、2大交易都市の1つであるメンシスを治める領主ホリー・エクレットの1人娘。

▶穏やかで物腰柔らかな性格だが、箱入り故に世間知らずである。艶のある金髪の持ち主。

▶だが突如メンシスを襲った猛烈な竜巻で被災し、親も家も失う。

▶街の再建を大陸軍に任せて親戚の元へ身を寄せることになるが、その言動はまるで別人になったようであった。

【カリム】大陸議会の事務官を名乗る青年。

▶年齢はネリネと同じくらいと思われ、左目を前髪で隠しており陰気そうな印象である。

▶身に付けている赤を基調としたシャツと議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキは所定の制服のようなもの。

▶馬車に乗りメンシスを去るネリネに随行し、竜巻被害について聴取しようとする。

▶大陸北東部の孤児院の出身で、過去に何か苦い経験をしているようである。

【リリアン・ヴァニタス】ヴァニタス海賊団の若き首領。

▶巻き毛の金髪が特徴で、体術では随一の戦闘力を持つ。

▶急逝した父の遺言により、齢16にして首領の座を継承しているが、経験が乏しく未熟であるため、父の右腕であった幹部ローレンの助力を得ながら海賊団を存続させている。

▶海賊団はアルケン商会という善良な団体を騙る裏で、密輸品などの取引を働いていた。

【ロキシー・アルクリス】齢17の女使用人。

▶大陸中央部プディシティア州にあるセントラム農業盆地の領主クレオーメ・フォンス伯爵の別邸に仕える。

▶物心ついた頃から母レピアと共に別邸に棲み込みで従事しており、あまり外界との接触がない。

▶長い藍色の髪をしており、やや陰鬱な印象とは裏腹に齢離れした恵体の持ち主。

▶使用人長でもあるレピアとともに好からぬ秘密を抱えており、大陸軍側からの詮索を敬遠している。

【ルーシー・ドランジア】大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長。

▶すらりとした上背に長い黒髪を湛え、銀縁の眼鏡の奥に黄金色の瞳を覗かせる齢28の女性。

▶メンシス港の機能停止を受け、セントラムの生産品の出荷計画などを見直すべく部隊を牽引しフォンス邸別邸を訪れるが、密かに別の目的も念頭にあるらしくロキシーに探りを入れる。

▶飄々として掴みどころのない性格。身内も大陸議会の関係者であるらしい。

【ステラ・アヴァリー】齢24の孤児院管理人。

▶大陸北東部カリタス州の新興都市グリセーオで大陸軍が設立し運営を委託するジェルメナ孤児院に従事している。

▶領主キーウィ―・アヴァリーの1人娘であり、2年前に母から管理人の立場を継承している。

▶赤みがかった茶髪を三つ編みで束ねている。世話焼きで責任感や正義感が強い。

▶過去に厄災を経験して以来、1人でも多くの親なき子の命を護りたいと身を粉にして働いているが、結果としてこれ以上収容できないほどの孤児を拾ってしまい、食糧などの遣り繰りに頭を悩ませている。

【リオ】かつてジェルメナ孤児院で暮らしていた少女。

▶物語開始時点から7年前、グリセーオ西端を流れる川に独り漂着していたところを救助されたが、虚弱体質に陥っていたためジェルメナ孤児院に引き取られ静養することになる。

▶救助以前の記憶をほとんど引き出すことが叶わず、当時は齢7,8程度と推測されていた。

▶2年後に『強欲の悪魔』を顕現させてしまい、命を落としている。栗毛と鈍色の瞳が特徴。

【ピナス・ベル】伝説の瑠璃銀狼の血を引くラピス・ルプスの民の少女。

▶外見は齢12,3ほどだが、人間と比べて齢を重ねる間隔が緩やかで、既に30年生きている。

▶大陸北部アヴスティナ連峰の中腹にあるクラウザという集落で同胞と共に密かに暮らしている。

▶とある目的を果たすため『貪食の悪魔』を宿して鳥の姿となり、大陸西部へ向かっている。

▶7年前のとある出来事で人間側との軋轢を経験し、その際に『貪食の悪魔』を宿した母を失っているほか、サキナとも面識をもっている。

【オドラ―・ベル】ピナスの祖父であり、クラウザの集落を束ねる長老。

▶齢200を超え、ラピス・ルプスの民の特徴である銀色の毛並みは灰色にくすみ、全身毛むくじゃらである。

▶大陸の人間が内戦時代を経て現代に至るまでの歴史だけでなく、千年前から続く厄災についても口伝により知識を蓄えている。

▶人間と対立する気はないが、緩やかに数を減らしてく一族の行く末を憂い、『貪食の悪魔』を同胞から生み出さぬためにも、人間の手を借りてでも種を存続させるべきか思案している。

【クランメ・リヴィア】齢28の博物館職員兼調査研究員

▶大陸西部グラティア州、首都ヴィルトス近郊のアーレア国立自然科学博物館に従事している。

▶やや小柄で、分厚い眼鏡と象牙色の髪が特徴。大陸南西部ミーティス州の農村出身で、独特な訛りで喋る。

▶ルーシーとはグラティア学術院で同期生の関係だが、当時はあまり好ましい印象を抱いていなかった。

▶ラ・クリマスの悪魔の『封印』に関わるとある仕事を引き受けている。

【イリア・ピオニー】齢26にして大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長を務める軍人。

▶桃色がかった金髪と強い正義感の持ち主。国の平和のため心身を尽くそうとする厳格な性格。

▶現代に至る国内軍事を統括し続けた由緒あるピオニー家の娘。父ジオラスは元帥の地位にあり、2人の兄も同じく軍人である。

▶十代のころに出会ったルーシーの理想に感銘を受け、励まされたことでその背中を追い続けている。

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