イリアにはこの青年の
唐突な質問の真意など知る
由もなかったが、その中には
幾つもの引っ掛かる言葉が並列していた。
——5年前…グリセーオ…あの
夥しい
蔓のような厄災のことか? その厄災を引き起こすため、議長がリンゴに魔力を込めた…私に悪魔を宿すための
企てと、同じように……!?
一方のルーシーは
僅かに
眉を動かしたように見えたが、
黄金色の瞳でカリムをじっと見つめつつ問い返していた。
「
何故そう考えた?」
「
貴女の計略にはクランメ・リヴィアに『
嫉妬の悪魔』を顕現させ利用することが必要で、その前提を確実に達成するために、
貴女は直前に訪れたグリセーオでリンゴを使った実験をしたのではないですか?」
「僕が暮らしていたジェルメナ孤児院は大陸軍の
管轄で、
貴女はその当時責任者を担っていた。僕を含めた孤児たちの
素性を把握して標的を定めることも不可能ではなかったはずです。少なくとも、ディヴィルガムを持った
貴女が厄災の現場に居合わせたことは、偶然ではなかったと考えました。…
如何ですか?」
イリアはカリムの淡々とした追及を
傍らで聞きながら、この青年が5年前のグリセーオで起きた厄災の被災者だったことに驚いていた。
現地が復旧するまでの間、被災した孤児たちの顔は一通り見てきたつもりだが、彼のような
面影の少年は
全く覚えがなかったからである。
そしてそれ以上に彼の追及が真実であるならば、当時多大な敬意と称賛を集めたルーシーの振る舞いが、
出来過ぎた自作自演に成り下がることを察すると、再び全身が『
憤怒』で小刻みに震え出すようであった。
「
成程。まぁクランメと会っていた以上それなりの入れ知恵を刷り込まれて戻って来るだろうとは思っていたが…結論から言えば、半分正解と言ったところだな。」
仕方がないと言わんばかりに首を
傾げたルーシーは、釈然としない答えを返した。
透かさずカリムがその真意を突き詰めようとした。
「半分正解、とはどういうことですか?」
「当時の私は常時ディヴィルガムを携行していた。そして厄災が起きたのは確かに私がおまえのリンゴに魔力を込めたからだ。だがそれは決して意図的なものではなく、偶然の産物に過ぎなかった。私はその偶然の感覚を記憶し、クランメに悪魔を顕現させる手段として活用したのだ。」
「偶然…? 悪意はなかったとでも言うのですか?」
「具体的な計画がなかったわけではないが…それではおまえは納得しないだろう。
魔が差した
とでも捉えて
貰って構わない。」
その
素っ
気ない口振りに
直ちに反抗を示したのはイリアの方であった。徐々に冷たさが
和らいできた空気を
掻き回すように、周囲を電撃が
奔り始めていた。
「
貴女はまたそうやって責任を
曖昧にして…あのときから都合の良いように民と厄災を利用していたのか…!!」
だが一方のカリムは、凍り付いた地面に古びた杖と瓶を静かに置くと、ローブの
裾から短剣を引き抜いてルーシーに向かって構えた。
そして無言のまま一歩進み出ると、ルーシーが低い声音でその
浅慮を
咎めた。
「私を殺せば厄災の無い世界は実現しない…クランメに刷り込まれたおまえならその封瓶が不完全な
代物だと、現状では
未だ
悪魔の『封印』が不十分な状態なのだと
、本当は
解っているのだろう?」
「…
仰る通りです。ですが議長、僕には世界平和なんて、本当はどうでもいいんです。」
カリムの声音は
微かに震えているようで、イリアはその背中を
見遣りながら、彼が氷結でこの一帯を制圧させた理由を少しずつ察し始めていた。
「僕はリオの命を奪った悪魔に
復讐するために
今日まで生きてきました。実際に『強欲の悪魔』を討った後も、残る悪魔を全て『封印』することに生き
甲斐を
見出そうとしてきました。」
「でも結局のところ、リオに悪魔を顕現させた原因が
貴女にあるのなら…僕は
貴女を
仇討ちさえすればそれで満足するんです。」
その明確な裏切りの言葉に、
和らぎつつあった広場の空気が一転して再び冷たく引き締められたようにイリアは感じていた。
ルーシーは
嘲笑うことも
憮然とすることもなく、腕を組んでカリムの本心を最後まで引き出そうと様子を
窺っているようであった。そしてカリムは一呼吸置いてから、更に
台詞を続けた。
「…でもそれだけでは、リヴィアさんとの約束は果たせない。だから議長、
貴女の本当の目的を教えてください。」
「あの封瓶で悪魔の『封印』が成立するわけではないと自覚しておられるなら…集めさせた膨大な魔力を利用することが目的なら、それがどのようにこの世界の平和に
繋がるのか、今ここで釈明してください。」
独りの青年が述べた真の要求は、イリアが問い
質した
末に
躱されていた内容と
殆ど等しいものであった。
だが自分と同じようにクランメの遺志を継ぎ、自分よりも遥かに優勢な構図を作り出し真実を追求するその青年には、一筋の
光明が差しているように見えていた。
——この青年もまた、リヴィア氏から託されているのだ。相次ぐ厄災に気を揉まれながら、きっとその
陰にある真実を暴き出すために議長と
対峙しようとしているのだ。
——その意味では、もしかしたら彼とは協調できる余地があるのかもしれない…!
イリアは
未だに足元を氷結で固められたままであったが、少なくともその意味では彼が
真っ
向から敵対する存在ではないのだと胸を
撫で下ろした。
そしてルーシーの口からどのような真意が語られるのか切望し、警戒しながらも静観を続けた。
「
随分と偉そうな口を
利くようになったな、カリム。それで脅しを掛けたつもりだろうが、私が何か打ち明けたとして、その
信憑性をどう判断するつもりだ?」
「別にその点は気にしません。僕が納得するかどうかの問題なので。ただ、黙秘を貫くようであれば
貴女を討つ覚悟はできています。」
「おまえが納得するのなら、当たり
障りのない答えを取り
繕ったとしても構わないということだな?」
「…もし怪しいところがあれば、あの封瓶とディヴィルガムは海にでも投げ捨てます。」
「
杜撰な提案だな。やはりおまえにはこういう交渉事は不向きなようだ。」
ルーシーがカリムに向かって吐き捨てると同時に、イリアの周囲の氷結が——厳密にはルーシーと『
陰の部隊』の足元を
埋めていた部分のみが——
突如罅割れるように
瓦解し、
各々が脚を上げてその拘束から脱出した。
イリアのみが依然として氷結に捕らわれたままであり、何の温度変化もなく都合よく形勢が逆転した事実に理解が追い付かず
唖然とした。
——
何故奴らの足元だけ氷結が緩んだ!? 自然現象とは思えないし、この青年の
仕業とも思えない…何がどうなっている!?
カリムもまたその現象が想定外だったようで、異変を察知するや
否や地面に放置していた杖と瓶を
今一度抱えようと身を
翻していた。
——この青年もまた、
啖呵を切る割には詰めが甘い…いや、元より敵であるはずの彼に都合よく助力を仰ごうとした私が浅はかだったのかもしれない…。
イリアはこちら側に飛び込んできたカリムを
傍目に思わず唇を
噛んだ。そうして
謀反を起こした者も
纏めて一網打尽にしようと、
愈々『
陰の部隊』が
覆い
被さるように襲い掛かってきた。
——こうなってしまっては、
最早躊躇うべきではない…!!
「青年!
伏せろ!!」
イリアはカリムに意図が伝わることを信じて
大声を発すると同時に、
昏い空に溜め込んでいた雷撃を一斉に
自らへ落とし、その衝撃を周囲に
迸らせた。
『
陰の部隊』の装備耐性を上回る電撃を強引に浴びせて制圧することを意図し、イリアは
雄叫びを上げながら雷撃をぶち
撒け続けた。
鼓膜など
容易く破れるのではないかと思うほどの
轟音が降りかかり、崩れかけていた氷結を飛び散った雷撃が更に砕いて地鳴りをも引き起こしていた。
だが不思議とイリアの耳には何ら影響がなく、
寧ろ『
憤怒』を魔力に変換し解き放つことで、心臓が高鳴るような音が身体中に心地よく響き渡っていた。
10秒とも経たない間に広場一帯は
彼方此方で白煙が立ち込めており、樹木や垣根は
圧し折られ花壇は穴だらけになっていた。
巨大な花のように広がっていた氷結も原型を
留めておらず、イリアの周囲には雷撃に耐え切れず感電した『
陰の部隊』全員が倒れ込み
痙攣していた。殺すつもりはなかったが、生きているのかすらも
解らなかった。
唯一足元で
伏せていたカリムは無事だったが、フードが
捲れた頭部に装着されていた防音用の耳当てを
以てしても、衝撃には
堪えたのか簡単には起き上がれないようであった。
改めてイリアが周囲を見渡すと、暴虐の限りを尽くしたような
凄惨たる光景に息を呑み、厄災を
齎す力に
自ずと
畏怖を覚えた。
激しい衝撃のお
陰で足元の氷結も
罅割れて、
漸く自由に脚を動かせるようになっていたが、瞬間的に膨大な魔力を出力した反動で今になって
酷い耳鳴りに襲われ、意識が
遠退きそうになっていた。
——これが…厄災を振り撒くということか…。
——取り敢えず
窮地は脱したようだが……議長は…どうなった……?
不意に白煙の向こう側から揺らめき近付いてくる人影をイリアは察知すると、反射的にその影に向かってもう一度電撃を放った。
しかしその一撃は何か見えない壁のようなもので
阻まれ、吸収されるように
霧散してしまった。
依然として傷一つ負わず距離を詰めてきたルーシーの姿に、イリアは目を丸くして思わず一歩
後退った。
——あれだけの雷撃を前に、
何故議長は何の装備もなく平然としていられるのだ? 今の奇妙な現象は何だ?
何故今になって…そのような防ぎ方をする!?
『奴も悪魔を宿したうちと同じように魔力を扱えるみたいやからな。』
そのとき脳裏に
蘇ったクランメの告発の一文がその信じ
難い現実を裏付けようとしたが、今のイリアにとってはかえって底知れぬ
悍ましさを
抱く帰結となっていた。
「…まったく、派手に荒らしてくれたものだ。悪魔を宿したおまえが為すべきことは
最早たった1つしかないと理解してくれていると思っていたのだがな。いい加減無益な抵抗は諦めてほしいのだが。」
ルーシーの
呆れた口調が高圧的に感じたイリアは、耳鳴りで割れそうな頭を抱えながらも
再三『
憤怒』が
煽られ、身体中を電撃が駆け
廻り始めていくのが
解った。
その一方で、この
期に及んで続けられる
応酬がどこか決定打を欠いているようにも感じ、イリアは気付けば鼻で笑うような返事を返していた。
「議長こそ
解らないんですか? 私は
貴女の信念が理解できなくて、共感できなくて悪魔を宿したんですよ。問い返しても
応えてもらえず
遇われるから怒り、また問い返すのです。でも私が納得すれば『
憤怒』は
鎮まるでしょうから、
貴女は私を拒むことしか
出来ない。…平行線になって、対立して当たり前なんですよ。」
イリアの
傍らでは、カリムが古びた杖を支えに身を起こし
蹌踉めきながら立ち上がろうとしていた。その様子を尻目に、イリアは
尚も挑発するようにルーシーへ問い掛けた。
「ですが
貴女の部下は厄災の力に耐え切れず、真実を知ろうと
謀反を起こす者も現れたようです。後ろめたい
御心がないのであれば、現状を打開するために本当の目的を打ち明けては
如何ですか?
然もなくば…今度こそ
貴女を『
憤怒』の
儘に
殺めてしまうかもしれませんよ。」