みかんちゃん

文字数 4,031文字

 連休前の、その日の夕方、事務長のトムさんから私に内線電話。

「あの、実は、猫のことなんですが…」
「ねねね…、猫ぉ?!」

 それで事務室へ行くとトムさんが、「猫、駐車場です♪」と言い、そしてさっさと私を駐車場へ誘導し始めました。

 いや、実はその少し前から、「駐車場に仔猫がいる」という噂を耳にはしていました。
 だけど私以外にも猫好きの物好きは、いないわけではなく、きっと誰かが連れて帰るだろうと、期待してはいたのです。

 それから駐車場へ向かいながら、トムさんは続けます。
「私も今日、弁当を少し分けてあげましたが、明日から連休だし、職員が来なければこのままじゃ飢えてしまう。何とか引き取ってもらえないでしょうか?」
(だいたいみんな私に猫を押しつけてくる!)

 そう思いながら駐車場へ着くと不思議な…、それはもう不思議な色をした仔猫がいました。
 こんな色の猫、私は見たことがありません。
 熟したみかんのような、不思議な色。

 それで少しその仔に興味が出て、しかもアイタローが死んでそんなに間がなかったということもあり、私の「猫飼いたい発作」が、じわじわと発症していきました。
 

 その仔は生後六か月くらいに見えました。
 だからタボちゃんみたいな、ミルクだ離乳食だの心配はなさそうです。
 だけど例によってぼろぼろに汚れて、がりがりに痩せて、とにかくここでみんなに食べ物をねだっていたそうです。

 もっとも私は、幸か不幸か、そのころは自分の車をいつも別の駐車場に置いていたので、この仔の姿を見たのは、それが初めてでした。
 
 ちなみに、それから私は、再々こちらの駐車場へ車を置くようになり、そしてその数年後、この場所で、あの迷子事件やサナダ虫事件やざわざわ発作の話に登場した、みー太郎に出会うことになります。
 そしてその際、ミッキー去勢作戦で登場した「とっ捕まえカゴ」も活躍します。


 それでみかんちゃんの話です。
 それからまだ私は、「この仔を引き取る」とは一言も言っていないというのに、トムさんはちょっと庶務課に戻りますわとか言って、速攻で段ボールとガムテープとハサミを持ってきました。
(手際のいいこと!)
 そしてそれらを持って来るや、さっとその仔を抱え、開けた段ボールにぽんと放り込みました。

 だけどその仔は、すぐに箱からぴょんと飛びだし、「いやぁ~~~よ!」というオーラを全身で発しながら、小さなお尻を振りながら、とことこと歩き始めました。

 だけどいやぁ~よも何も、このままここにいても、こんなにがりがりなんだし、とにかくこの仔がここでやっていけるわけない。
 
 それでもう、猫飼いたい発作全開中の私は、小走りにその仔を追い、捕まえ、そして段ボールに入れ、ガムテープで封をし、トムさんの持っていたハサミで箱に小さな穴を何か所か開けておきました。


 それからその仔を車に積んで家へ帰り、まずは庭にあるミッキーとアイタローの墓の前にきちんと座らせ、「よろしくおねがいします」と、お辞儀をさせました。

 そしてとりあえず、そのまま庭でブラシをかけ、キャットフードを食べさせ、それから、のみ取りなんかの粉をかけ、またブラシをかけ、そして猫部屋へ連れて行き、先住さんたち一匹一匹にあいさつさせ、それから猫土間に置きました。

 とりあえず猫土間でスタート。
 慣れたら猫部屋へ出世です。

 それから私が猫土間であぐらをかいて、その仔の様子を見ていると、自分からさっさと私の膝に乗ってきて、そのままごろごろいいながら眠ってしまいました。
 なんとまあよく懐く仔だこと!

 前にも言ったように、この仔の色は、みかんのような不思議な色です。
 それで、あのおじいさん猫にはレモンと名づけたことを思い出し、そのバリエーションみたいに考え、名前は同じかんきつ類の「みかん」にしました。
 色だってみかんだし。


 翌日、獣医さんのところへ連れていき、六カ月くらいの仔だし、避妊手術のこととか相談して、それから獣医さんが診察すると、獣医さんは「ありゃりゃ、この仔は歯が2、3本しかないですね。あぁ、この感じは十歳以上、もしかすると、十五歳くらいでしょう」と言うのです。

 なんと、おばあちゃん猫!
 
 だけど実際には生後六か月くらいにしか見えないほど小さく、色はあんなだし、とにかくもう豪快に不思議な仔です。

 それから豪快と言えば、その仔は豪快に懐く仔だから、きっと誰かに飼われていたのだろうと思います。
 そしてきっと捨てられて…

 それで、食べるのも最初のうちは何とかなっていました。
 残ったその2、3本の歯で必死にキャットフードのカリカリを食べていたのです。

 それに、茶トラの誰かさんとは違い、先住さんたちともすぐにうまくやりました。
 とにかく、ありえないほど小さくて、不思議な色で、人間には物凄く懐く、とにかくそういう仔なんだけど、実は物凄く気の強い仔でもありました。

 先住さんがちょっかいを出そうとすると、うわゃぁ~~~という、何というか妖怪みたいな怖い声を出し、それからびしっ!と猫パンチをやるのです。
 
 それでほかの仔たちも、みかんちゃんに一目置くようになり、そして遠慮するようになり、そういうわけで、猫部屋ではうまいこと出来たようです。


 それからしばらくしたある日。
 突然猫部屋から「ムカァ~~~シムカァ~~~シ…」という、老婆のような不思議な声が聞こえてきました。

 ぶったまげて猫部屋をのぞいてみると、何とみかんちゃんが一段高いところに座り、しかもほかの猫たちは、みかんちゃんの方を向いてきちんと座っていました。

 何だかみかんちゃんは、猫部屋の猫たちにお説教、はたまた、お話でもしていたのではないかと思ってしまいます。

 そしてそういうことは何度かありました。
「ムカァ~~~シムカァ~~~シ…」と。
 だけど実際に猫部屋で、一体どんな「催し」があっていたのか、謎です。
 
 でも私が妄想するに、みかんちゃんはきっと「ムカァ~~~シムカァ~~~シ…」、つまり「むかぁ~~~しむかぁ~~~し」、要するに「昔々」といっていたのです。(だと思います)
 つまり昔話をしていたのだと思います。
 そういうわけで、みかんちゃんは猫部屋では長老のような存在になってしまいました。

 それで、猫に対してはそういうキャラの仔なんですが、人間に対しては物凄く懐きました。
 猫部屋へ行けば私を目敏く見つけ、ささっとやってきてちょこんと膝にのり、ごろごろふみふみ、そしてすやすやです。
 
 抱っこしていれば何時間でも抱っこされています。
 それでいて猫部屋では長老のようなふるまいです。
 みかんちゃんはそういう、とても個性的な仔でした。


 だけどそれから数か月後、みかんちゃんはカリカリが食べられなくなってしまいました。
 私の所に来た時点で、歯が3本しかありませんでした。
 その3本で必死にかりかりを噛んでいたのでしょうけれど。

 それで口の中を見てみると、ひどい口内炎でした。
 やっぱりおばあちゃん猫なのです。
 大変なご高齢なのです。
 
 それから獣医さんの所で、ステロイドの注射を打ってもらい、ふやふやにしたキャットフードを与え、それもきつくなると、粉にして水に溶かしたキャットフードを与えました。
 
 だけどそれも食べられなくなって、どんどん衰弱したので、抱っこして、注射器で流動食を与え続けました。


 だけどある日、とうとうその流動食を食べるのさえ嫌がり始めました。
 いつもは私には甘えていたのに、私が流動食を口に入れると、みかんちゃんは他の猫にあげるような恐い声をだし、前足で注射器をはらいのけます。

 よほど口の中が痛かったのだろうと思います。
 それで私は流動食を与えるのをやめ、「また明日食べようね」と言って、それからしばらく抱っこしてあげました。

 抱っこしていると、みかんちゃんはごろごろといって、気持ちよさそうに目を閉じていました。
 そんなみかんちゃんを抱っこしながら、私の想像が広がりました。


 みかんちゃんは私の所に来るまでの十数年、どうしていたのかな? 
 どんな人に飼われていたのかな?
 それから捨てられちゃったのかな? 
 迷子になっちゃったのかな?
  
 それからみかんちゃんは、職場の駐車場でみんなに餌をもらいながら、何とか一か月くらいを生き延びた。
 みんなは仔猫だと思っていたけれど、本当はすごいおばあちゃん猫だった。
 歳を取って、あちこち悪くて、弱っていて。

 歯が3本しかないのに、それでもみんなが与えたものを、がんばって噛んでいたのだろう。
 だけど噛めなくて、飢えて衰弱したら、カラスの餌食になったかも知れないし。

 六か月くらいの仔猫にしか見えない。
 そんな小さな体で、みかんちゃんは、がんばって生きてたんだよね!
 

 そしてそれが最後の抱っこでした。
 次の朝、みかんちゃんは死んでいました。
 お気に入りのキャットランドの、一番下の板の上で、口から血を流していました。

 口の中にガンが出来ていたのではないかと、あとから私は考えました。
 だからみかんちゃんの口の中は、もはや流動食さえ受け付けなかったのでしょう。

 そして私は、もう冷たくなって動かないみかんちゃんに、心の中で、こう話しかけました。

「猫として生きていくのって、大変だったね。だけど最後の八か月は一緒に暮らせて、みかんちゃんは幸せだったかな?」

  みかんちゃん うちに来てくれてありがとう



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