タバサちゃん
文字数 1,675文字
タバにその名前を付けたのは、それよりずっと前に、タバサという猫に出会っていたからです。
タバサという名は、「奥さまは魔女」の、サマンサの子供のタバサから取った名前です。
だけどどうしてそんな名前にしたのか、今は良く覚えていません。
でもこのタバサという名は、そのあと、二匹の猫に引き継がれることになるのです。
タバサは、生後二か月ほどの仔猫でした。
温かそうな色合いの、アメショーっぽいキジトラの仔でした。
だけどタバサに出会ったとき、目は眼やにでドロドロで、鼻はぐずぐずでした。
それで、とろとろにしたキャットフードやミルクを与えてたのですが、全く受け付けません。
とにかく猫は具合が悪いと、絶対に何も食べません。
それで、目薬とか抗生剤を与えて、温かくしてあげることにしました。
でも生き延びてくれるか心配でした。
だけど、やれるだけのことは、やったつもりでした。
それから三日程して、私がタバサを抱っこしていると、初めて「ごろごろ」と言ってくれました。
それで、もしや! と思い、キャットフードのかりかりの前に置くと、「かりかり」と食べ始めました。
良かった!
これならもう大丈夫!
私はほっと胸をなでおろしました。
それからタバサは、すくすくと育ちました。
少し小柄で、おとなしくて、時々やんちゃで、よく懐いて。
そして半年ほど過ぎた、クリスマスの少し前のある日曜日。
その日、娘が二十四枚撮りのフィルムを全部使って、朝からタバサの写真を撮り続けました。
どうして突然、そんなにたくさん、タバサの写真を取ったのだろう?
とても不思議でした。
だけど私がそう思った翌日、タバサは外に出て車に轢かれて、死んでしまいました。
生後七か月。
ショックでした。
しかもよりによって、死ぬ前の日に、沢山の写真を撮ってもらったタバサ。
死ぬ直前まで、元気に遊んでいたのに。
せっかくあのとき、「ごろごろ」といって、キャットフードをかりかりと食べて、そして育ってくれたのに…
だからそれ以来、私は誰が何と言おうと絶対に絶対に! 猫は「完全室内飼い」を続けているのです。
それでタバサが死んだその日、それから十年以上活躍し、何度も大修理をしたキャットランドを買いました。
家の中だけだって、少しでも猫たちが楽しめるようにと思って。
これでタバサを遊ばせてあげたかった!
それから言いたいことがあります。
やいドライバー!
猫なんて「物」なんだろうね。
ブレーキ踏むのも、めんどうくさいの?
それに、猫や子供が渡っていそうな私の家の前の道を、そして狭い路地を、アクセル踏みまくって、豪快にぶーぶーエンジン唸らせて、ぶっ飛ばして。
私は、そういう無神経な人間が嫌いです。
(猫のほうがよっぽど好きです)
それで、私はめちゃくちゃ頭に来ていたので、ホームセンターで大量の花を買ってきて、家の前の道路際に豪快に飾りました。
道路には、タバサが流した大量の血が残っていました。
近所の人が「誰か亡くなったのですか?」とたずねるほどの、大量の血、そして大量の花でした。
とにかくみんなぶったまげてびびっていました。
だけどそのときの私は、タバサを失った深い悲しみと、ぶつけようのない強い怒りで、どうしようもなかったのです。
それから六年後。
保健所で殺処分寸前の、タバサそっくりの猫に出会い、その瞬間私は、(タバサが帰って来てくれた!)と直感し、それで私はその仔を救うことにしたのです。
だからその仔に、「タバ」と名付けたのです。
だけどそれから四年後に、タバは病気で旅立った。
タバサとタバ。
幾年の時を経て、不思議な縁で結ばれた二匹。
温かそうな色合いのきれいなキジトラ。
どちらも良い猫だったね。
タバサという名は、「奥さまは魔女」の、サマンサの子供のタバサから取った名前です。
だけどどうしてそんな名前にしたのか、今は良く覚えていません。
でもこのタバサという名は、そのあと、二匹の猫に引き継がれることになるのです。
タバサは、生後二か月ほどの仔猫でした。
温かそうな色合いの、アメショーっぽいキジトラの仔でした。
だけどタバサに出会ったとき、目は眼やにでドロドロで、鼻はぐずぐずでした。
それで、とろとろにしたキャットフードやミルクを与えてたのですが、全く受け付けません。
とにかく猫は具合が悪いと、絶対に何も食べません。
それで、目薬とか抗生剤を与えて、温かくしてあげることにしました。
でも生き延びてくれるか心配でした。
だけど、やれるだけのことは、やったつもりでした。
それから三日程して、私がタバサを抱っこしていると、初めて「ごろごろ」と言ってくれました。
それで、もしや! と思い、キャットフードのかりかりの前に置くと、「かりかり」と食べ始めました。
良かった!
これならもう大丈夫!
私はほっと胸をなでおろしました。
それからタバサは、すくすくと育ちました。
少し小柄で、おとなしくて、時々やんちゃで、よく懐いて。
そして半年ほど過ぎた、クリスマスの少し前のある日曜日。
その日、娘が二十四枚撮りのフィルムを全部使って、朝からタバサの写真を撮り続けました。
どうして突然、そんなにたくさん、タバサの写真を取ったのだろう?
とても不思議でした。
だけど私がそう思った翌日、タバサは外に出て車に轢かれて、死んでしまいました。
生後七か月。
ショックでした。
しかもよりによって、死ぬ前の日に、沢山の写真を撮ってもらったタバサ。
死ぬ直前まで、元気に遊んでいたのに。
せっかくあのとき、「ごろごろ」といって、キャットフードをかりかりと食べて、そして育ってくれたのに…
だからそれ以来、私は誰が何と言おうと絶対に絶対に! 猫は「完全室内飼い」を続けているのです。
それでタバサが死んだその日、それから十年以上活躍し、何度も大修理をしたキャットランドを買いました。
家の中だけだって、少しでも猫たちが楽しめるようにと思って。
これでタバサを遊ばせてあげたかった!
それから言いたいことがあります。
やいドライバー!
猫なんて「物」なんだろうね。
ブレーキ踏むのも、めんどうくさいの?
それに、猫や子供が渡っていそうな私の家の前の道を、そして狭い路地を、アクセル踏みまくって、豪快にぶーぶーエンジン唸らせて、ぶっ飛ばして。
私は、そういう無神経な人間が嫌いです。
(猫のほうがよっぽど好きです)
それで、私はめちゃくちゃ頭に来ていたので、ホームセンターで大量の花を買ってきて、家の前の道路際に豪快に飾りました。
道路には、タバサが流した大量の血が残っていました。
近所の人が「誰か亡くなったのですか?」とたずねるほどの、大量の血、そして大量の花でした。
とにかくみんなぶったまげてびびっていました。
だけどそのときの私は、タバサを失った深い悲しみと、ぶつけようのない強い怒りで、どうしようもなかったのです。
それから六年後。
保健所で殺処分寸前の、タバサそっくりの猫に出会い、その瞬間私は、(タバサが帰って来てくれた!)と直感し、それで私はその仔を救うことにしたのです。
だからその仔に、「タバ」と名付けたのです。
だけどそれから四年後に、タバは病気で旅立った。
タバサとタバ。
幾年の時を経て、不思議な縁で結ばれた二匹。
温かそうな色合いのきれいなキジトラ。
どちらも良い猫だったね。