第148話 島津和泉の率兵上京

文字数 1,817文字

 晋作が長崎に滞在していた頃、久坂は薩摩の島津久光が近々千余名の兵を率いて京に上洛するという報を久留米の浪人から聞き出し、それを受け萩の松下村塾にて久光の挙兵に加わるための密議をしていた。
 松下村塾には久坂の他に佐世八十郎や中谷正亮、松浦亀太郎、寺島忠三郎、品川弥二郎、土佐を出奔した吉村虎太郎や沢村惣之丞等がいた。
「島津和泉の率兵上京に加わるにはやはりわし等だけで出奔突出するしか道はないと考えちょる!」
 品川が強い口調で藩を捨てることを主張すると、松浦もそれに同調して、
「わしも弥次と同じ考えじゃ! 和泉は今月の一六日には薩摩を出立して馬関へ赴き、そこから蒸気船に乗って上方へ向かうつもりみたいじゃけぇ、ここでぐずぐずしとる暇はわし等にはないけぇのう!」
 と急ぎ出奔することを久坂達に勧めてくる。
 久坂の命で馬関に出向き、清末の御用商にして薩摩の御用達でもあった白石正一郎と出会い会談した時に久光の事をいろいろ聞かされた松浦は焦りに焦っていた。
「彼らのゆうちょることは至極最もじゃき! こんまま萩で何もせずに手をこまねいちょっては長州も土佐の二の舞になるぜよ!」
 土佐浪人の吉村虎太郎も品川や松浦の考えに賛同する。
「土佐で公武一和を唱えのさばっとる参政の吉田東洋を諫めんがため、武市先生が一藩勤皇の論を以って直談判に及んだり、それが失敗すると今度は東洋を追い落とすために東洋に不満を持っちょる上士を言い包めんとしたが全て徒労に終わったぜよ! わし等は東洋も武市先生ももう駄目じゃち思うて土佐を捨て、藁にも縋る思いで長州の久坂殿のもとに身を寄せたがじゃ! 久坂殿には是非とも勤皇の実を上げてもらわんといかんきに!」
 故郷を捨てもう戻る場所がない吉村達は何としてでも久坂に事を起こしてもらう腹積もりだ。
「……」
 品川達に出奔を促された久坂は何を言うでもなく目を閉じただ黙っている。
「く、久坂?」
 八十郎が心配そうに言うも久坂はまだだんまりを決め込んでいる。
 静寂がその場を支配する。
 久坂は一体何を考えちょるのじゃろう、一体どうしたのじゃろうとある者は心配し、またある者は焦りからくる苛立ちを抑え込もうとしている。
 皆が久坂に対し思い思いの念を抱きはじめた頃、ようやく久坂は目を開け、
「わしの心もおめぇ等と同じじゃ」
 とぼそっと一言呟いた。
「長州は阿保親王以来数百年の長きに渡り、勤王の門閥として朝廷に忠を尽くしてきたけぇ、外夷に国を蝕まれ存亡の危機に陥った今こそ勤皇の実を挙げねばいけんと思うとる。じゃが藩政府はあくまでも航海遠略を藩是にして勤皇の実を挙げる気がないけぇ、わし等は出奔して薩摩の挙兵に加わるより他にどうすることもできぬ。このまま何もせんかったら長州人は臆病者じゃと末代まで誹りを受けることになる。それだけは何としてでも避けねばいけん」
 こうするより他に手立てがないのだ、出奔するより他に道はないのだと久坂は周りにも自分にも必死になって言い聞かせていた。
「久坂、おめぇの考えはよう分かった。よう分かったが一体どねぇして出奔するつもりなんじゃ?」
 中谷が尋ねる。
「まず和泉の上洛を受けて萩の国相府から兵庫へ行くことを命じられとる毛利将監様か、あるいはご家老の浦靱負様の一行に加わろうと考えとる」
 久坂が出奔の具体的な方法について話し始める。
「将監様か浦様の一行に加われば兵庫、いんや大阪まで労せず行くことができるはずじゃ。大阪まで行けば京は目と鼻の先、薩摩の挙兵に加わることも容易になる。いま萩の国相府には当役手元役の前田孫右衛門様がいらっしゃる。前田様は寅次郎先生や周布様と親しい間柄じゃったけぇ、両者にゆかりの深いわしが将監様か浦様のどちらかの一向に加わりたい旨をお願いすればきっとお聞き届けくださるはずじゃ」
「なるほど。それはええ考えじゃ」
 久坂の案を聞いた中谷はすっかり納得したようだ。
「おめぇに兵庫の一件の話をしといてよかった」
「本当は長州も薩摩と同じように一丸となって率兵上京できれば、薩摩よりも先に長州が勤王の一番槍を挙げることができれば一番ええのじゃが今更仕方のないこと。明日にでも前田様の元に行って頼んでみることにするかのう」

 この密議の翌日、久坂は前田孫右衛門の屋敷に直談判しに行き、その結果久坂は医学修行の名目で浦の従者に加えられ、また佐世や中谷達もそれぞれ浦の従者として上方に行くことが決まった。
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