第84話 激昂する寅次郎

文字数 1,302文字

 明けて安政六(一八五九)年一月。
 野山獄内にある一室にて、寅次郎は晋作達の書いた文を読んでいた。
 最初は文を黙って読んでいた寅次郎であったが、読み進めていくうちに次第におもしろくない気持ちで一杯になり、文を全て読み終わった時にはついに堪え切れなくなったのか、「あああああああ!」と奇声をあげながら文をびりびりに破き捨てた。
「はあはあ……まさかこねーな文を送りつけられることになろうとは夢にも思わんかった! 僕が命がけで帝に忠義を尽くそうとしちょるのに、とうの彼らは濡れ手で粟をつかむことしか考えちょらん! 僕の成すことを愚挙と非難した桂君にも失望させられたが、久坂君や高杉君にも大いに失望させられた! 彼等には絶交を申し渡そう!」
 寅次郎が激情に任せて晋作達に絶縁状を書き始めると、同じ囚人である高須久子が寅次郎の室の前に姿を現した。
「一体どねーしたんですか? いきなり大声を出したりして」
 久子が心配そうな様子で寅次郎に尋ねる。
「どねーしたもこねーしたもありませんよ! 僕は信用していた愛弟子達に裏切られました! ただ知識を身につけただけの学者になってはいけん、世のため人のためになる行動をおこしてこその知識じゃと僕が再三教えてきたのにも関わらず、その意味をまるで理解しちょらんかった! 今行動をおこさねばこの神州が滅ぶかもしれんっちゅうときに、観望せよ、自重せよっちゅう文を寄越すとは笑止千万! 全く彼らなどを当てにした僕が愚かであった!」
 寅次郎は一旦筆を止め、怒りながら久子の質問に答えた。
「詳しいことはよう分かりませんが、その愛弟子達は先生の身を案じてそねーな文を書かれたんではありませぬか?」
 寅次郎の言い分を聞いてますます心配な気持ちになった久子は続けて、
「今の先生は自身の志に囚われすぎる余り、周りが見えなくなっちょると思いまする。このまま先生が周りを試みず、ひたすら自身の志に固執し続けるのであれば、先生の周りから人が皆いなくなり、終いには孤立無援と相成りましょう。そねーなことになる前に今一度お考え直しをされては如何でごさいましょうか?」
 と寅次郎を厳しく諫める。
「大きなお世話じゃ、高須殿!」
 久子の言葉が癇に障ったのか、寅次郎が声を荒げた。
「僕は僕の立てた志が間違っちょるとは微塵も思っちょらん! それに僕にはまだ僕の志を本当の意味で理解し、賛同しちょる同志がようけおる! 孤立無援などには決してならんっちゃ!」
 寅次郎は久子の言を真っ向から否定すると、自身の傍に置いてあった書状を取り出して、
「これを見んさい! これは僕がこれから実行に移そうと考えちょる伏見要駕策そのものじゃ。この策は元々大原卿を我が長州に迎えて挙兵する策が失敗した時に備えて、大原卿の側から示された完璧な策であり、この策がある限りまだ僕には希望が残っちょる! あとは栄太郎や八十郎、杉蔵などの塾生達が僕の手足となってしっかりと働いてくれれば、この絶望的な状況を覆すことも夢ではない! 今こそ尊王攘夷の実を成し遂げてみせちゃるけぇのう!」 
 と自信たっぷりに自身の計画の一部を語り、一旦止めた筆を再び進めた。


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