第12話 晋作と騄尉

文字数 2,492文字

 その後、晋作は粟屋の元で来る日も来る日も弓の猛特訓に励み、数週間後に春分の日を迎えた。
 この日、晋作はいつもよりも早く法光院の金毘羅社に詣で戦勝祈願をしていた。
「今日はいつもよりも来るのが早いのう」
 箒を片手に姿を現した利助が晋作に声をかけた。
「まあの。今日は若殿様に弓をお見せする大事な日じゃからの」
 晋作は誇らしげにしている。
「おお! それは誠にすごいのう。わしもぜひ高杉さんの弓の腕前を見てみたいものじゃ!」
 利助が目を輝かせながら言った。
「ありがとう。今思えばこの日を迎えるまで本当に長い道のりじゃった……」
 晋作が騄尉の明倫館見学について知らされて以降の粟屋の猛稽古を思い出しながら語る。
「正直わしはもう一生分の矢を射ち尽くしたと思うちょる」
 自分の右手を見ながら晋作が言った。練習のしすぎで右手にできたまめが全て潰れている。
「じゃから若殿様に立派な弓を披露できることは間違いなしじゃ。次ここに参るときは必ず戦勝報告するから楽しみにしちょれよ、利助!」
 自信満々に晋作が言う。
「もちろんじゃ。高杉さんの戦勝報告、楽しみに待っちょります!」
 利助が激励すると晋作は微笑してその場を後にした。




 明倫館の射術場では肩衣と袴を着用した晋作が、粟屋弾蔵と供に最後の弓の練習をしていた。
「うむ、調子はええみたいじゃの」
 晋作が三本目に放った矢を的に命中させたのを見て弾蔵がうなずく。
「これなら今日、若殿様に立派な弓をお見せすることができるじゃろう」
 弾蔵は誇らしげに言う。
「ありがたき幸せでございます。ところで若様は一体どねーな方でいらっしゃるのでしょうか?」
 晋作が弾蔵に尋ねた。父の小忠太が騄尉の側近ではあったものの、あまり騄尉のことを話さなかったため、ずっと疑問で仕方がない。
「あまり会うことはないからはっきりとしたことは申せんが、若殿様は聡明で思慮深い御方じゃったはずじゃ。歳も確かお前と同い年じゃったと記憶しちょる」
 弾蔵は考えこむような顔をしながら質問に答える。
「そうなのですね。ぜひお会いするのが楽しみでございます」
 晋作は嬉しそうに答えた。
「うむ。ではそろそろ若殿様の御一行が明倫館に到着される故、準備致すぞ!」
 弾蔵は晋作を連れて奥にある控の間へと下がっていく。




 それから程なく騄尉の一行が明倫館の射術場に到着した。
 騄尉は晋作の弓を見物するために射術場にある藩主上覧場に陣取り、その脇に小忠太や長井ら側近達、弾蔵が控える格好となった。
「今日弓を披露するのは確かお前の息子であったな? 小忠太」
 騄尉が興味本位に尋ねた。
「左様でございます。愚息ではありますが今日はひとつ良しなに……」
 小忠太は緊張じみた面持ちでいる。
「して腕前は如何ほどのものなのじゃ?」
 騄尉が続けざまに尋ねた。
「若殿様にご満足頂けるだけの腕前ならございますのでご安心下され」
 小忠太の顔から汗が一筋流れる。
「相分かった。期待しちょるぞ」
 騄尉はその言葉を最後に口を閉じた。
 やがて静寂が射術場の空気を支配すると、奥の控の間から晋作が姿を現して騄尉にお辞儀をし、弓を持ちながら両手を腰にあててすり足で入場した。
 晋作はそのままカモの羽や竹、(はぐ)がそれぞれ入っている箱の前まで進むと、弓を設置台に立て掛けて芝矢の作成を始めた。
 手際よくカモの羽を羽軸のところで真っ二つに折り、その折ったカモの羽を竹に矧で次々と縛りつけて芝矢を作成していき、芝矢を百本作成し終えたところでいよいよ射術の準備に入る。
 半身になって足を開いた状態で、肩衣の左胸部分を脱いで素肌を露わにすると、弓を左膝に置き右手を弦にかけて、手の内を整えてから的を睨んだ。
 弓を構えた位置から、静かに両拳を同じ高さに持ち上げて弓を打起こし、左右均等に引分けて発射の機会を窺う。
 騄尉をはじめ周りの者たちが固唾をのんで見守る中、発射の機会を捉えた晋作は矢を的に向けて放った。
 放たれた矢は的に向かって勢いよく飛んでいき、的のど真ん中に見事命中した。
 その光景を見た騄尉及びその取り巻きの者たちは、みな一様に感心して「おお!」という感嘆の声を洩らした。
 その後、晋作は二射目、三射目、四射目、五射目とそれぞれ的の中心部に当てることに成功した。
 二十射目を射ち終えたときには、的に芝矢が全て突き刺さり、これ以上射ることができない状態になったので、隣の的へ射る対象を変更した。
 次の的も二十射目を射ち終えたときには、そのほとんどが的に命中しており、外した矢はたったの二本だけだった。
 その次の的もまたその次の的もみな二十射目を射ち終えたときには、そのほとんどが的に命中しており、合計で百射目を射ち終えた時には、外した矢はわずか十本ばかりだった。
 全ての矢を射ち終えた晋作は呼吸を整えた後、騄尉の言葉を頂くべくその場で平伏した。
「見事じゃ、あっぱれな腕前であったぞ」
 晋作の弓を見て感嘆した騄尉が席を立って声をかけた。
「若殿様からお褒めの言葉を頂き、誠にありがたき幸せでございます!」
 晋作は畏まりながら騄尉に礼を言ったが、喜びを隠し切れずにいる。
「うむ。お前には褒美として銀二分を授けたいと思う」
 騄尉はにっこり笑って言った。
「ありがたき幸せでございます。ぜひ承らせて頂きたく存じます!」
 晋作は今にも天に昇ってしまいそうな心持だ。




 その後、騄尉は剣術場や槍場、水練池などで行われた武芸を上覧し終えると、供を引き連れて明倫館を後にした。
「お前の息子は大した武士じゃのう」
 萩城へ帰る道すがら、駕籠の中にいた騄尉が側を歩いていた小忠太に声をかけた。
「この小忠太、我が子晋作が若様からお褒めの言葉頂き誠に幸せでございます」
 小忠太はいつになくうれしそうにしている。
「うむ。あの者は将来大成するであろうのう。その時はぜひ我が右腕となってもらいたいものじゃ」
 騄尉もうれしそうな様子だ。
「必ずや若様のお役に立つ武士に育ててみせてご覧に入れまする」
 小忠太が胸を張って言う。
「うむ。その日がくるのを楽しみにしちょるぞ」
 騄尉がつぶやくように言った。




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