第102話 利助と小五郎

文字数 1,134文字

 一方、萩に帰ってきた伊藤利助は、来原良蔵の推挙で桂小五郎の従者として江戸へ行くことが決まったため、桂に挨拶するべく江戸屋横丁にある桂の屋敷へと足を運んでいた。
「お初にお目にかかります。わしが伊藤利助であります。此度は桂さんにご挨拶すべく参上致しました」
 桂家の座敷にて、利助は深々と土下座をしながら桂に挨拶をする。
 座敷のところにある障子は、風通しをよくするべく開けっ放しになっていたが、八月の炎天下のため、利助の顔は汗でだらだらになっている。
「そねー固い挨拶はええから、早う面を上げぇ」
 団扇で煽いでいる桂が笑いながら言うと、利助は恐る恐る頭を上げた。
「噂に違わずなかなかええ面構えをしとるのう! 中間の子とは到底思えん!」
 桂は汗まみれの顔をした利助を褒めると続けて、
「来原殿がおめぇのことをいたく買っておったぞ。長崎において雷信管の製造を始めとした西洋の技芸や知識を誰よりも早く習得したけぇ、きっと一角の人物になるに違いないゆうてな。僕も来原殿のゆうちょることが正しいと今確信した」
 と来原の伊藤評について語った。
「それは来原殿の買い被りであります。わしはどこにでもおるただの中間にすぎず、それにわしが長崎で学んだ西洋の技術や知識は全て基本的なことばかりでございます。またその基本的なことを学ぶのにさえ、わしはかなり苦労致しました。じゃけぇあまり期待されても困ります……」
 あまり人に褒められたことがない利助は困惑した表情をしている。
「そうかそうか、それは悪かったのう。おめぇのことは来原殿からだけでなく、寅次郎先生からもいろいろ聞かされとったから、ついその気になってしもうた」
 困惑した表情の利助を見た桂は申し訳なさそうな様子で言った。
「じゃがそれでも僕はおめぇを気に入ったぞ、利助。おめぇは江戸へ行って、もっといろいろ見聞を広めるべきじゃ。過去に長崎だけでなく京にも行ったことがあるみたいじゃけぇ、僕がいちいち言わんでもその辺りの事はよう分かっちょるはずじゃ。寅次郎先生ではないが一番大事なのは志じゃ。志こそが全ての源であり、志がありさえすれば身分が低くてもきっと大成できる。僕の従者として一緒に江戸に行ってくれるな?」
 利助を何とかして江戸に引っ張っていこうとする桂の熱意はすさまじく、その熱意に感化された利助も覚悟を決めたのか、
「かしこまりました。もとより江戸遊学はわしの望むところ、是非わしも一緒に江戸へ連れて行って下さりませ。長州のため、いんや日本国のために粉骨砕身働きたく存じちょります!」
 と決意を新たにした。
「うむ、その意気じゃ。長州男児たるもの、そうでなくてはいけん! 明後日に萩を出発するけぇ、暁七つごろに金谷天満宮の前で落ち合おう!」
 


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