第122話 加藤有隣

文字数 1,295文字

 万延元(一八六〇)年九月二日、常州笠間城下町。
 晋作は剣術試合を行うべくこの田舎の小藩へと足を運んでいた。
 千住宿で久坂達と別れた後、水戸街道をひたすらに歩いて、まずは土浦藩の城下町で剣術試合を行おうと考えていた晋作であったが、水戸の老公である斉昭が身罷って満城謹斎していることを理由に断られたため、土浦の次の宿場町である府中から道を変えて笠間藩に行き、そこで剣術試合をする腹積もりでいた。
「この城下町に腕のええ剣客がようけおる道場があるはずなのじゃが、それがどこなのか教えてはもらえんかのう? 嘉兵衛殿」
 自身が逗留している笠間城下にある旅籠三河屋の主人である嘉兵衛に晋作が尋ねると、嘉兵衛は首を横に振りながら、
「お生憎ですが、今お侍様の剣術相手になるであろうお方がおられる道場はこの藩にはございませぬ」
 と晋作が期待していない答えを晋作に突きつけた。
「何故じゃ? この笠間は小藩ながらも剣術が隆盛であり、水戸の勇剛を以ってしても笠間の剣を破ることはできんち聞いて、わざわざ道を変えてまでここに来たのじゃぞ! なのになして……」
 納得のいかない晋作が嘉兵衛に抗議する。
「今この藩の学校を、道場を造成中だからでございますよ。まだ半分も造成されておらんようですので当分は無理かと存じまする」
 嘉兵衛が訳を話すもまだ納得できない晋作は、
「本当にどねぇすることもできんのか? 江戸からずっと歩いてここまで来たんじゃぞ!」
 と食ってかかった。
「申し訳ございませんがどうにもなりませぬ。諦めて下され」 
 嘉兵衛が諭すような口調で言うと、晋作はがくっと肩を落として、
「土浦でも断られ、今度はこの笠間でも断られるとはわしは何とついておらんのじゃろうか……」
 と嘆き始めた。
「お侍様、そう気を落とされないで下さりませ」
 残念そうな表情を浮かべている晋作に対し、嘉兵衛が優しく語り掛ける。
「この藩で剣術試合をすることはかないませぬが、その代わりにお侍様の識見を広げることが、できるお方を一人存じております」
 嘉兵衛が意味深な事を口にすると、晋作は、
「それは一体どこの誰なのじゃ?」
 と訝し気に尋ねた。
「加藤有隣様でございます。加藤様は笠間一の学者で、かつては水戸の藤田東湖様や会沢正志斎様から薫陶を受けたほどの御方であり、わずか十八で藩校である時習館の都講を務められたまさに笠間きっての俊英でございます」
 晋作の問いに嘉兵衛が答える。
「あの藤田東湖殿や会沢正志斎殿の薫陶を受けたっちゅうことは、なるほど余程の傑物に相違ないな」
 嘉兵衛の話を聞いた晋作は少し気を持ち直したようだ。
「で、その加藤殿はいずこにおられるのじゃ?」
「御旗前にある十三山書楼で隠居暮らしをなさっておられます。加藤様は諸国の志ある若者とお会いになることを何よりも楽しみにしておられますので、是非一度お訪ねになってみては如何でございましょうか? 添状は私が書きますので」
 加藤有隣に興味を示した晋作に嘉兵衛が提案する。
「せっかく笠間まで来たのじゃ。一度その加藤有隣とやらに会ってみるとしようかのう」
 晋作は有隣に会う決心を固めた。
 
 
 
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