第150話 久坂玄瑞と来原良蔵

文字数 1,531文字

 文久二(一八六二)年四月。
 大阪の長州藩邸にある長屋の一室にて、久坂達が長井の使いである来原良蔵と時山直八から和泉の挙兵に加わらぬよう説諭を受けていた。
 その一室には久坂の他に中谷や佐世、寺島、品川、入江、松浦、土佐の吉村虎太郎らがおり、彼らはみな来原達の説諭に耳を傾けていた。
「我が長州は航海遠略策で朝廷優位の公武一和を成し遂げた上で異人共と対等に渡り合えるだけの力を蓄えられるよう、今京において公卿達の間を盛んに周旋しとる」
 良蔵が諭すような口調で久坂達に説諭している。
「一〇年程前にぺルリが黒船に乗ってやってきてからっちゅうもの、この神州はメリケンやエゲレス、オロシアといった夷狄に散々に辱められ、二千年近く守り続けた独立も今や風前の灯火、阿片戦争に負けた清国のように夷狄の従僕となるんもそねぇ遠いことではないじゃろう。寅次の弟子であるおめぇ達もよう存じちょるはずじゃ」
 良蔵の説諭は続く。
「じゃけぇこの未曾有の危難を乗り越えるにゃあ、儂等長州人は航海遠略策の元に一丸となって国事に当たらにゃあいけん。そねぇ大事な時に藩を出奔して和泉の挙兵に加わるなど言語道断、主君に仇為す蛮行である。もし藩を捨てて挙兵に加わるような真似を致さば、おめぇ等は一人残らず打首獄門になるものと心得よ。ええな」
 打首獄門は少し言い過ぎたかと内心思いつつも、長井の使いとしての役目はとりあえず終えたと判断した良蔵は隣に座っている直八と共に引き上げようとする。
「来原殿!」
 直八と共に引き上げようとした良蔵を久坂が引き止める。
「何じゃ、久坂」
「来原殿は今のままで本当にええと思っとるんですか? かつて寅次郎先生の同輩であった貴方様が尊皇攘夷の大義を忘れ、長井のような奸物に好いように使われ、航海遠略なんて愚策を成し遂げる為の駒になって一体何がしたいのでありますか!」
 寅次郎先生の親友であったお方が何故長井に頭を垂れ続けているのか、何故自分達を制止しようとするのか、久坂には全く度し難いことであった。
「それに時山!」
 良蔵の隣でただ黙って事の成り行きを静観している時山に久坂が噛みついた。
「おめぇもわし等と同じ寅次郎先生の門下生じゃろうになして長井の下働きなぞやっとるんじゃ! 先生の門下生なら先生の志を継ぐわし等と行動を共にすべきじゃろうに!」
 来原同様本来なら自分達の味方になっていなければならぬ時山が逆に自分達を阻む壁として立ちはだかったことに納得のいかない久坂は大層憤っている。
「……」
「おい、黙っとらんで何かゆうたらどうなんじゃ!」 
 口を閉ざし何も言わぬ時山に業を煮やした久坂が掴みかかる。
「止めんさい!」
 時山に掴みかかった久坂を良蔵が一喝した。
「時山は好きで長井に付き従うとるんではない! おめぇ達が馬鹿なことをしでかして命を落とさぬよう、あえてなりたくもない長井の手先となってここにおるんじゃ!」
 何も事情を知らぬくせに時山を非難するなと、この時の良蔵は言いたくて言いたくて仕方がなかった。
「それに先程今のままで本当にええと思うとるのかと儂にゆうたがの、儂とて好きで長井の下に甘んじとる訳ではないっちゃ!」
 良蔵は時山の事について説明し終えると、今度は自分の心情について語り出す。
「奴は昔からいけ好かんやつじゃ思うとったけぇ、悔しうて悔しうてたまらんわい! じゃが御殿様は長井の航海遠略策を藩是と認めとるけぇ、長井に従いとうなくても従わねばいけん! 今の長井に逆らうんは御殿様に逆らうも同義、儂は御殿様に対して不忠を働くわけにはいけんのんじゃ!」
 久坂達のように自身も心の赴くままに生きられたらどれだけええか、良蔵は久坂達の事をただただ羨むことしかできなかった。

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