第142話 上海行の藩命

文字数 1,435文字

 長井に面会してから数日後、晋作は世子の定広から急な呼び出しを受け、定広のいる藩邸内の部屋を訪ねた。
「本日はどねぇな用事でございましょうか?」
 晋作は数日前に長井が言っていたある重大なお役目のことで呼ばれたのだろうことは分かっていたが、あえて何も知らない体を装って定広に尋ねる。
「お主を呼んだのは他でもない、清国の上海に派遣される幕府の使節の一行にお主も同行することが決まったことを知らせようと思うてな!」
 定広はうれしそうな様子で晋作に上海行きが決定したことを知らせた。
「わ、若殿様! そ、それは真のことでございますか?」
 重大なお役目がまさかの海外行きだとは夢にも思っていなかった晋作はただただ動揺している。
「真じゃ! 幕府は近々清国の諸港と互市することを望んで使節を派遣するっちゅう知らせを手にいれてな、我が長州からもぜひ一人使節に随行させちょくれと幕府の役人に必死に頼み込んでやっと了承を得ることができた! お主には我が長州を代表して上海に行き、そこで清国の形勢や清国流の外夷への対処の仕方を探ってもらうと同時に、海外の優れた制度や器械についても学んできてもらいたいと思うとる!」
 定広はにっこり笑うと晋作の上海行きが本当のことであることを告げた。
「……海外に行けるのはまっことうれしいことではありますが、しばし猶予を頂くことはできませぬか?」
 定広が言っていることが現実のことであることを理解して、少し落ち着きを取り戻した晋作が恐る恐る定広にお願いをする。
「猶予を? それは何故じゃ? 何か不服でもあるんか?」
 何故晋作が上海行きを躊躇しているのか分からない定広が不思議そうにしている。
「我が高杉家にはわし以外に男子がおらず、もしわしに万が一のことがあったら家が絶えてしまうからであります。昨年にわしが体験した萩から江戸までの丙辰丸の航海でさえかなりの危険が伴う航海でしたのに、此度は遠く離れた異国の地への航海、先の丙辰丸とは比べ物にならぬほどの危険が伴うのは火を見るよりも明らかであります。じゃけぇ一度猶予を頂きたいのであります」
 晋作は定広の小姓役としての責務と同時に高杉家唯一の跡取りとしても責務も背負っているため及び腰にならざる負えなかった。
「それはならぬ! これは藩命じゃ! お主には絶対に幕府の使節の一行に随行して上海へ行ってもらわねばならぬ!」
 定広は厳しい口調で晋作も申し出を却下すると続けて、
「外夷と条約を結び、国を開いた今の神州において、海外の情勢や外夷への対処策、優れた器械や制度を学び取り入れることは必要不可欠なことであることはお主もよう存じとろう! それはこの長州でも同じことじゃ! これから先の世は海外との繋がりを無視して渡ってゆくことなど到底できぬ! お主には上海に行ってさまざまな知識や知恵を吸収して、それらを我が長州が外夷と渡り合ってゆくために生かし、ゆくゆくはこの長州を支える人財の一人となってもらわにゃあいけん! わしはいずれこの防長二ヶ国を背負って立つ殿様になる身であり、お主はそのわしを支える小姓の一人! その自覚を断じて忘れるでない!」
 と晋作が長州において如何に大事な人物であるかについて熱く語った。
「かしこまりました。不肖の身ではございますが、この高杉晋作、謹んで上海行きの藩命をお受け致しまする」
 この時晋作はまだ迷いを抱えていたが、藩命である以上逆らう訳にもいかないので上海に行く決意を固める他なかった。
 
 

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