第67話 西洋歩兵論

文字数 3,583文字

 久坂が江戸に出府した後も晋作は松下村塾に通い続けていた。
 久坂が江戸へ旅立ってすぐに、塾生の数が増えたことで手狭となった塾舎の増築工事が始まり、晋作等塾生達の助力もあり三月中旬ごろには完成を見た。
 そしてその広くなった塾舎で、晋作は同じ塾生である山田市之允や野村和作(後の野村靖)、作間忠三郎(後の寺島忠三郎)、品川弥二郎等とともに、寅次郎の『西洋歩兵論』の講義を受けていた。
「西洋歩兵の得失は世間でいろいろ議論されちょり、またそれを我が国で施行しようにも数々の障碍があることも既に周知のことなのであります」
 寅次郎は自筆本を片手に西欧歩兵の講義を開始した。
「孫子はかつて『兵は正を以って合い、奇を以って勝つ』という言を残したが、これはまさしく不変の真理であり、千古の合戦は千変万化と雖も、皆この一句に外れるものはないのであります。正は定石通りの陣法のことを意味し、これは節制練熟の兵でなければ実行できず、奇は臨機応変の策を言い、精悍剛毅の兵でなければこれを実行することは難しいのであります。西洋人は歩兵を軍の骨子としているが、これは孫子の言う所の正に当たり、あとの騎兵砲兵等は奇に当たるが、彼等はもっぱら正である歩兵を刻苦精錬することに力を入れちょるのであります。その訳はこちらが正を用いれば敵もまた同じく正を用い、そして敵の正が手強ければ手強いほど力が拮抗し、奇を使って勝つ好機がなくなるからなのであります」
 寅次郎の講義はまだまだ序盤だ。
「戦国の世においてはどこの大名も精兵を有していたが、その中でも特に武田軍と上杉軍の精兵が手強く、そして節制がとれちょったのであります。それは彼らが普段から士卒の練兵を怠らず、そして戦の時には軍を率いる将が戦局を見通して、ある時には突撃を試み、またある時には軍勢を荒々しく罵言して、常に上槍(優勢)になったからであります。また彼らは敗北を喫して軍が崩れる際には、臨んで各々踏み留まり、小返、守返、後殿等で大崩れにならないようにしていたのであります。この界の味を篤と悟ることができれば、武田軍・上杉軍の節制の味も理解でき、西洋歩兵軍の骨子たる味も良く理解できるようになるのであります」
 寅次郎の講義は中盤にさしかかる。
「思うに兵道を発明せんとするならば、目を閉じ静座をして、その身を戦の地に置き、戦を洞察しない限りは、どれだけ多くの兵法書を読み漁ったとしても、その味わいがある所は永久に分からずじまいなのであります。最近私が西洋歩兵を学ぶことを奨励することにより、我が国固有の得手が失われるのではないかと危惧しちょる者がおるが、それは大きな誤りであり、むしろ西洋歩兵を学ぶことで、我が国固有の得手がより生かされることに繋がるのであります。ただ教えるのはあくまで正だけにして、奇は教えるべき事柄ではないと私は考えちょります。正は戦に敗れないための道で、奇は戦に勝つための道でありますが、正を軽視して奇ばかりに拘ると、炬燵兵法の元となり、遂には国を亡ぼすことに繋がりかねません。じゃけぇ私は正だけを教えて、奇は正を学ぶうちに自分で悟るようにすべきじゃと考えちょるのであります」
 寅次郎は西洋歩兵の持論について語り終えると突然講義を中断して、
「高杉君、君はこの講義を聴いてどねー思う?」
 とどこか元気がなく、上の空な様子の晋作に対して質問を投げかけた。
「わ、わしで御座いますか?」
 寅次郎が急に講義を中断して質問をしてきたことに困惑しながらも、
「先生が一番重要なことは正であり、そして西洋歩兵を導入し、それを刻苦精錬することじゃと仰られちょることはよう分かりますが、果たしてその正たる歩兵を一体どこから集めて、どねーにして練兵するのかが気がかりで仕方がございません。長年戦をすることもなく、太平を貪り続けた我が藩の侍を歩兵として調練しようとしても、かつての村田様の改革の時と同じように反発を受けて頓挫するのは目に見えており、またろくに武芸の鍛錬をしておらぬ百姓達を歩兵として調練しても、果たして使い物になるかどうかは分かりませぬ。もし先生に何か策が御座いましたら、ぜひわし達にご教授頂ければと存じちょります」
 と自身の頭の中にあった疑問をうまくまとめて寅次郎にぶつけた。
「太平を貪り、堕落しきった侍が物の役にも立たぬっちゅうのはゆうまでもないが、百姓達まで使い物にならぬと決めつけるのは余りにも早計にすぎるぞ、高杉君。私が前々からゆうちょることではあるが、大事なのは志を立てることであり、能力などはその志に向かって精進する合間に自然と身に着くものなのであります。例え鋤や鍬しか握ったことがない百姓でも、皇国を思う心を忘れず、強くなる志を立てて、そしてそれに向かって一心不乱に精進すれば、宮本武蔵や佐々木小次郎を凌駕することも夢ではないのであります。大事なのはあくまで志を立てることであり、能力などは二の次なのであります」  
 寅次郎は晋作の質問に対して諭すような口調で答える。
「なるほど、百姓でも志次第では侍以上になれるっちゅうことはよう分かりました!」
 晋作の代わりに喋りたい欲が溜っていた市之允が返答した。
「じゃが歩兵を一体どこから集めて、どねーにして練兵するのかっちゅう高杉さんの問いの答えにはなっちょりません! わし等もぜひその問いの答えを聞きたく存じます!」
 市之允が目を輝かせながら言うと、他の塾生達もそれに同調する。
「これは失敬、山田君のゆうちょる通りじゃ」
 寅次郎はばつが悪そうに手で頭の後ろを掻きながら言うと、
「これはあくまで大略じゃが、百人おる足軽中間及び百姓の中から有志の一人を選び、それを歩兵とすれば、この防長二国で二千五百人は集まるはずじゃ。そして大番の士から三十人ほどを選んで師長に任じて歩兵達を調練させ、その他の平士達には武具を授けて奇である短兵接戦を訓練させれば、我が国固有の得手は一塩精錬に至るはずじゃ。また師長に相応しい大番士としては、二十歳から三十歳ぐらいまでの少壮の士で、なおかつ志や才気がある者がええと考えちょり、六ヶ月を期限として、彼らを大阪におる浜松藩留守居役の岡村貞次郎の元で銃砲を習わせて、しかる後に御城の御馬場で、師長として実用に適すかどうか考試すべきじゃと思うちょる。歩兵や平士達については御馬場で時刻を分けて調練し、その様子をお殿様が適宜御観臨遊ばされること三十日にも及べば、西洋歩兵の得失は議論をせずとも一国の通論となるじゃろう。その後に師長の数を漸次増やし、調練した百姓達を江戸や大阪、その他盛んに歩兵の調練が行われている諸藩へ、十人十五人を一組として修業に行かせ、これを一年ほど続ければ、異人共に対抗するための力を身に着ける事ができるはずじゃ」
 と寅次郎流の長州藩の軍制改革の詳細について語った。
「先生のお考えを聴いて、わしは感服いたしました! もし先生のお考えが現実のものとなれば、かつて元就公が有していた安芸を含む旧領の十州は勿論、この天下を毛利家の手中に収めることも夢ではありますまい!」
 寅次郎の策を聴いて興奮した十七歳の野村和作が大それたことを口にする。
「和作は一体何をゆうちょるんじゃ。先生は今この国を異人共から守るための方策について話しちょるんじゃぞ。なのに何故全く関係のない元就公の旧領や天下のことを持ち出すんじゃ?」
 齢十六の作間忠三郎が呆れ顔で和作に注意した。
「作間君、別にそねー目くじらを立てなくてもええでしょう。今の世が戦国の時分ならば、和作がゆうちょることは理に敵った考えなのじゃから」
 寅次郎は笑いながら和作を弁護する。
「わしはそろそろ屋敷へ帰らねばいけんのですが、構いませんか?」
 晋作は暗い顔で言うと、立ち上がって帰り支度を始めた。
「高杉さん、どこか体の具合でも悪いのですか? ここ最近あまり元気がなさそうに見えまするが……」
 品川が心配そうな様子で晋作に尋ねた。他の塾生達もみな不安そうな目で晋作を見ている。
「わしではないっちゃ。具合が悪いのはわしの爺様じゃ。いつもは口うるさくて煩わしい爺様ではあるが、もう七十をゆうに越えちょるけぇ、心配で仕方がないんじゃ」
 晋作は沈んだ声で自身の刀と脇差を腰に差し直しながら事情を説明した。
「分かりました、では早く帰ってお爺様の見舞いをして差し上げなさい。侍たるもの、孝行は疎かにできんからのう」
 寅次郎は残念そうな表情を浮かべながら言うと続けて、
「もし何か僕にできることがあるのならば、いつでも頼りんさい。微力ではありますが、僕も塾生達もあなたの助けになりましょう」
 と晋作を優しく気遣った。
「ありがとうございます。ではこれにて失礼致します」
 晋作は寅次郎の心遣いに感謝しながら塾舎を後にした。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み