第123話 晋作と有隣

文字数 1,902文字

 翌日、晋作は嘉兵衛の言葉に従って、十三山書楼にいる加藤有隣を訪ねた。
「御免仕る!」
 晋作が書楼の入口の戸を叩きながら威勢のいい声を上げると、中から門下生らしき若い侍が出てきた。
「何じゃ? お主は一体何者じゃ? ここに何用あって参った?」
 門下生らしき若侍が訝し気な様子で晋作に尋ねる。
「わしは毛利家家中高杉晋作であります。今日は加藤有隣先生にお会いしたく、こちらに参りました。是非一度先生にお目通りさせて頂きたく存じちょります」
 晋作は礼儀正しく挨拶すると、嘉兵衛に書いてもらった添状を若侍に手渡した。
「毛利家家中……毛利家家中ということはお主、わざわざ長州からここまでやって来られたのか?」
 晋作から添状をもらった若侍が驚いたような表情をして尋ねる。
「はい、左様であります」
 晋作が若侍の問いに答えた。
「水戸や府中からはよう訪問客が参るが、長州から来た方は初めてじゃ。先生にお取次する故、しばし待たれよ」
 若侍は有隣に取り次ぐべく添状を片手に二階へと登って行き、晋作が若侍が戻ってくるのをしばらく待っていると、若侍が火の玉の如く晋作の元に飛んできて、
「先生はお主にお会いになるみたいじゃ。案内する故、ついてこられよ」
 と面会の許可が下りたことを伝えると、晋作はうれしそうに、
「それはありがたいことじゃ! 早う案内してくれろ」
 と若侍をせかした。
 





「はじめまして、儂が加藤有隣でございます」
 若侍に案内されて書楼の二階にある応接間に来た晋作に対し、有隣が挨拶をする。
「お初にお目にかかります。わしは毛利家家中高杉晋作であります」
 有隣が挨拶してきたので、晋作も挨拶をした。
「長州から遠路はるばるようここまで参られましたな、高杉殿。道中さぞ苦労されたであろう」
 有隣が晋作に労いの言葉をかける。
「いえいえ、先生のお気遣いには及びませぬ。わしはこの通り元気そのものでありますので」
 晋作が片手で頭の後ろを掻きながら言った。
「左様か。ここは筑波や加波、葦穂、我国、柊などの十三の山々が見渡せる故、十三山書楼と儂が名付けた。今日は天気が良い故、十二分に山々が見えるはずじゃ。高杉殿も遠慮せず、あちらの窓からご覧になられよ」
 有隣が晋作に窓から山の景色を見るよう勧めるも、晋作は、
「お心遣い感謝致します。じゃがわしが今日先生の元へ参ったのは天下国家のことを論ずるためであります。常州の山々は笠間に着く途上で充分拝見させて頂きましたので、今日は夜まで先生と天下のことで語り合いたく存じちょります」
 と言ってその提案を断った。
「そうかそうか、そうであったか。高杉殿もなかなか志高き若者であるな。では早速天下国家の事について語り合うとしようかのう」
 有隣が感心したように言うと続けて、
「高杉殿は先月亡くなられた水戸のご老公についてご存じかな?」
 と晋作に尋ねる。
「もちろん存じております。斉昭公はこの神州の大元帥にして、尊皇攘夷を是とする水戸の旗頭であります。水戸があれだけ高い士気を保ち、尊皇攘夷に邁進できちょったのはひとえに斉昭公があってこそじゃとわしは思うとります」
 晋作が得意げに斉昭公のことについて語った。
「左様。水戸があれだけ力を伸ばせたのはひとえに斉昭公あってこそじゃ。じゃが今斉昭公が不幸にも亡くなられてしもうた。これは水戸の、いやこの神州の多大なる損失じゃ」
 有隣が晋作の意見を肯定する。
「全くその通りであります。ですが水戸は終わった訳ではございませぬ。会沢正志斎殿や武田耕雲斎殿などの優れた臣がおりますけぇ、きっと斉昭公がご存命であったころ以上に力を増すのではないかとわしは考えとります」
 晋作が自信満々に水戸のことを語ると、有隣は難しい顔をしながら、
「真にそうじゃとええんじゃがのう……」
 とだけ言った。
「先生はこのまま水戸が衰えていくとお考えなのでありますか?」
 晋作が有隣に尋ねる。
「衰えていくとは言っとらん。ただあれだけ大きな力を持った御方が亡くなったのじゃ。きっと近いうちに水戸で何か起きるような気がしてならん。斉昭公がご存命の時分から、水戸は斉昭公を支持する者と反発する者に分れていがみあってきた経緯がある。またそのいがいあいは斉昭公が亡くなられたのを境に益々拍車がかかっているそうな」
 有隣が晋作の問いに答えると続けて、
「これから先の世がどう変わっていくのかは誰にも見当がつかぬ。今の儂等にできることはより多くの知識と知恵を学んで己の見識を広げ、何が起ころうともそれにうまく対処できるだけの力を持てるよう心掛けることじゃ。その事をゆめゆめ忘れるでないぞ」
 と晋作に説諭したのであった。
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