第9話 慶親と騄尉

文字数 1,350文字

 早朝から利助は法光院の境内の落ち葉を箒で清掃していた。恵運住職の元に正式に預けられることが決まった利助は学問修行の傍ら、寺の雑役も行っていた。
 利助が手慣れた手つきで金毘羅社前の落ち葉を箒で掃いていると、剣術道具を担いだ晋作が姿を現した。
「おお、高杉さんか!」
 落ち葉を箒で掃くのに夢中で、晋作の存在に気付かなかった利助が驚いたように言った。
「おはよう利助! いつも元気そうじゃな」
 晋作が普段通りといった体で挨拶をする。明倫館へ剣術修行に出向く前に、金毘羅社にお参りすることは彼にとって一種の習慣になっており、そこで利助と顔を合わせるのも、もう慣れっこといった感じだ。
「もちろんじゃ! ところで今日は明倫館へはゆっくりでもええんか?」
 利助が晋作に尋ねた。晋作が金毘羅社の前に姿を現すときは、大抵利助が掃除を始める前と決まっていたからだ。
「いんや、そねーな訳ではないっちゃ。実はすこし寝坊をしてしもうてな……」
 晋作はきまり悪そうにしている。実は晋作も秀三郎同様、昨日処刑を見たことで興奮してなかなか寝付けなかったのだ。
「まさか高杉さんが……めずらしいこともあるのう」
 利助は意外だとでも言わんばかりの様子で言う。
「全くじゃ。さて金毘羅社に詣でたら早う明倫館へ参るとしよう」
  晋作は金毘羅社へのお参りを済ませると、足早にその場から去って行った。




 そのころ萩城の本丸御殿では、今年で十四になる毛利騄尉(もうりろくのじょう)が長州藩主毛利慶親に目通りしていた。
 騄尉は長州藩の支藩である徳山藩の八代目藩主毛利広鎮の十男であるが、数か月前に慶親の養子になったため、今はこの萩で暮らしていた。
「萩での暮らしには慣れたか? 騄尉」
 慶親は穏やかな口調で騄尉に声をかけた。
「はい、だいぶ慣れ申しました」
 騄尉は言葉とは裏腹に少し緊張した面持ちでいる。
「そうか、それは何よりじゃ。ところで最近弓術に励んでいると聞き及んでおるが腕前の方は如何許りじゃ?」
 慶親が騄尉に尋ねた。
「はい、今は一〇〇本中八分から九分まで仕上げられるようになり申した。ぜひ父上にも一度腕前をお見せしたく存じます!」
 慶親が自身の弓術について知っていたのがよほど嬉しかったのか、騄尉はかなり興奮している。
「頼もしい限りじゃ、それでこそ我が毛利家の侍よ。じゃが慢心することなくひたすら精進に励まねばならんぞ。ゆくゆくは儂の跡をついでこの防長二国を背負わねばならんのじゃからな」
 慶親は騄尉を褒め称えると同時に戒めた。
「無論そのつもりで御座います! ところでこの萩には弓術に長けた家臣はおりますでしょうか?」
 騄尉が率直に尋ねる。この質問は慶親が海岸守備を名目に先期帰国を許されて、萩に帰藩したときに聞くつもりでいた事柄の一つだった。
「儂の耳にしたところでは明倫館で弓術指導をしている粟屋弾蔵がなかなかの腕前のようじゃ。それに粟屋以外にも腕利きの者が明倫館にはもしかしたらおるかもしれんのう」
 慶親は何か考え事でもしているような感じで息子の質問に答えた。
「左様で御座いますか。ならばこの騄尉、ぜひ明倫館に足を運びたく存じます」
 騄尉が慶親に嘆願する。
「相分かった。近いうちに手筈を整えるとしよう」
 慶親は騄尉と約束すると、家臣を二人呼び寄せて何かを話し始めた。



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