第138話 一灯銭申合

文字数 2,071文字

 文久元(一八六一)年十二月一日。
 和宮降嫁と『航海遠略策』の阻止に失敗して萩へ空しく帰郷していた久坂は急遽、松下村塾の講義部屋にかつての塾生達を集めて会合を開くことにした。
 村塾の講義部屋に集められたかつての塾生達は佐世八十郎や中谷正亮、松浦亀太郎、品川弥二郎、山田市之允、山縣小助、作間忠三郎改め寺島忠三郎、弟の和作共々岩倉獄から出ることを許された入江杉蔵などであり、彼らは久坂が一体どのような意図で急に会合を開くことを決心したのか、内心疑問に思いつつも久坂に言われるがままに松下村塾へと集った。
「今日は一体どねぇしたんじゃ? 久坂」
 八十郎が集められた塾生達が皆心の中で思っている疑問を代弁する。
「二月前に周布様と一緒に萩に帰ってきてからっちゅうもの、何の音沙汰もなかったのに何故突然今になって会合を開こうなどと思いたったんじゃ?」
 八十郎が不思議そうな顔をして久坂に尋ねると、市之允と品川がそれに便乗して、
「佐世さんがゆうちょる通りですよ、久坂さん! 今までずっとだんまりを決め込んどったのに、何故急にわし等を村塾に集めたりしよったんですか?」
 と口々に心の中で思っていた疑問を久坂にぶつけた。
「今までずっと何の音沙汰もなかったこと、皆を急に村塾に呼び出すような真似をしたことはまっこと済まんかったと思うとる!」
 久坂は申し訳なさそうに謝罪すると続けて、
「じゃが皆にどねぇしても話せねばいけん大事な話があるんじゃ! 心して聞いてくれんかの?」
 と必死な形相で懇願し始めたので塾生達は皆一様に面食らった。
「ほんで……その大事な話とは一体……どねぇ内容なんじゃ?」
 久坂のただならぬ様子を感じ取った亀太郎が恐る恐る尋ねると、久坂は、
「実は今日から一月に一回ほど、この松下村塾で『一灯銭申合』っちゅう会合を開こうと思うとってな、それで皆を呼んだ次第じゃ!」
 と皆を急に村塾に呼び出した理由について語り出した。
「『一灯銭申合』?」
 杉蔵が何だそれはと言わんばかりの口調で言うと、久坂は、
「『一灯銭申合』は簡単にゆうと『講孟余話』などの先生の著書や水戸学に関した書籍の写本を行い、その写本を売って銭を稼ごうっちゅう会合じゃ! 参加者は月末までに六十枚写本を書いてそれらをこの村塾まで持ってきてもらい、もし月末までに六十枚に達しなかったら、不足分を一枚につき銭五文支払うてもらう! またその稼いだ銭は使わずにこの村塾に貯めこんで、有事の際にそれを支出するつもりでおる!」
 と『一灯銭申合』の詳細について説明した。
「なるほど、『一灯銭申合』が何なのかはよく分かったが、何故おめぇが今そねぇなことをやろうとしちょるのかが全く理解できん。それに有事の際とは一体どねぇな際なんか、わし等に分かりやすく話してはもらえんかのう?」
 久坂の話を聞いて益々久坂の意図が分からなくなった中谷が訝し気にしている。
「和宮様の降嫁も『航海遠略策』も阻止できずじまいのまま終わってしもうた今のわしにできることは何なのか、考えに考えた末の答えがこの『一灯銭申合』じゃったからであります! 先生の著書や水戸学の書籍を写本して売って銭を稼いで、その銭を獄に投じられた同志や貧困にあえぐ同志を救うのに使ったり、義士や烈士の碑や墓を打ち立てるのに使ったりすれば少しは世のため、人のためになるのではないかとわしは思うとります! それに写本を売ってより多くの人に寅次郎先生の考えが広まり、わし等と志を同じくする者が増えれば、長井や幕府の俗物共の謀略を阻止することができるやもしれませぬ!」
 久坂は『一灯銭申合』を行おうとしている理由について話すと、切実な思いで、
「どうかわしに力を貸してはもられんかのう? 唯一の頼みであった周布様が失脚した今、わしが頼れるのはもうおめぇ等しかいないんじゃ! どうか、どうか、この通りじゃ!」
 と塾生達に協力を呼び掛けた。
「水臭いぞ、久坂!」
 亀太郎が怒ったように言う。
「同じ寅次郎先生の弟子であるわし等が久坂さんに手を貸さないわけがないじゃろう! ようけ写本を書いてようけ銭を貯めよう! そんでいつの日か、共に長井や愚かな幕吏共を倒そう!」
 亀太郎が『一灯銭申合』に参加することを宣言すると、八十郎や中谷といった他の塾生達も皆続々と、
「その通りじゃ! もっと早うゆうてくれたら、百枚でも二百枚でも写本を書いてもってくるものを!」
 と言って『一灯銭申合』に参加する意思を示した。
「おめぇら、まっことかたじけないのう……」
 塾生達が自身の考えを分かってくれたことに感動した久坂がすすり泣いている。
「あとは江戸におる桂さんや利助、和作、高杉さんにも『一灯銭申合』への参加を文で促さなければいけんな。一体誰が文で呼びかけるべきか?」
 小助が江戸にいる同志について触れると、杉蔵が、
「それはわしがやる! 文で参加を促せば桂さん達はきっとわし等に力を貸してくれるはずじゃ! 善は急げじゃ! 早う江戸に文を寄越さねば!」
 と言って村塾の塾舎から飛ぶように出て行った
 
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