第132話 国事に燃える長井

文字数 1,469文字

 その一月後、長井は藩主の命で萩を出立して京及び江戸に公武周旋をしに行くこととなり、出立の挨拶をすべく親友の高杉小忠太の元を訪ねていた。
「長井殿、『航海遠略策』が藩是に決まったこと、改めてお祝い申し上げる」
 自身の屋敷の奥座敷に長井を招き入れた小忠太がうれしそうに言う。
「若殿様に長くお仕えしてきた同胞として、こねぇ喜ばしいことはない! 今やこの長州の政の要は長井殿と申しても過言ではないかもしれんのう」
 小忠太がにっこり笑いながら言うと、長井も満更でもない様子で、
「高杉殿にそねぇゆうてもらえて儂もうれしい限りじゃ! これからはより一層、長州のため、皇国のため、帝のために励まねばいけん!」
 と言うと続けて、
「そういえば高杉殿の御子息が若殿様の御小姓役を拝命したことへの祝いをまだ申しておらんかったな! 今この場を借りてお祝い申し上げよう」
 と晋作が定広の小姓になったことへの祝いの挨拶をした。
「かたじけない。まだまだ子供じゃ子供じゃ思うとったら、いつの間にか妻を迎え、若殿様にお仕えするような歳になっとった。全く時の流れっちゅうもんは早いもんじゃのう」
 小忠太が息子の成長にしみじみとしている。
「その通りじゃな。そねぇ感じるんもぺルリ来航以後のめまぐるしく変化する世の中のせいに違いないじゃろうな、きっと……」
 長井も小忠太同様しみじみとしている。
「それと萩を発つ前に長年共に若殿様にお仕えした身として長井殿にゆうておきたいことがある! よろしいか?」
 小忠太が真剣な顔で長井に尋ねる。
「何じゃ? 高杉殿」
 長井も真面目な顔つきになる。
「もう既に御殿様から同じような話があったかもしれんが、今の世は誰も彼も破約攘夷、破約攘夷と申して血気に逸る者ばかりで溢れとる。そねぇな時に『航海遠略策』と申して京の都や江戸で周旋すれば間違いなく奴らを刺激し、下手すれば奴らに襲われるやもしれぬ。それにこの長州でもかつての寅次郎の門下の者達が破約攘夷を行うべく、他藩の攘夷家共と盛んに会合を開いとるっちゅう噂もよく耳にする。そねぇな奴らに命を奪われぬよう、くれぐれも用心を怠ってはいけんぞ、長井殿」
 小忠太が長井に身の安全に気を配るよう忠告すると、長井は笑いながら、
「儂の身を案じてくれてありがとの、高杉殿。お主のような友を持てて本当によかった」
 と礼を言うと続けて、
「じゃが高杉殿が危惧しとるようなことにはならんよ。儂も毛利家の侍、それも毛利家の祖先である大江広元の血筋の家柄の侍じゃ! あねぇ血気ばかり盛んで何も考えとらんような奴らには決して遅れはとらぬ! もし仮に奴らが儂を亡き者にしようと襲ってきたら、明倫館の撃剣場で鍛えた柳生新陰流の腕前で以って奴らを必ず叩き伏せちゃる! それに儂は御殿様の命で朝廷と幕府の周旋をしに参るのじゃ! 儂の為そうとしとることの邪魔立てをすることは、それすなわち御殿様の為そうとしとることの邪魔立てをすることと同義じゃ! 寅次郎の門下の者達が儂の為そうとしとることに口を挟んできよったら、それを以ってねじ伏せるまでよ!」
 と自信満々に意気込みを語った。
「頼もしい限りじゃな、長井殿。お主の力を以ってすれば公武一和も真のものになるかもしれん」
 小忠太は友に感心している。
「必ずや真のものにしてみせる! 儂の肩に長州の、いんやこの日ノ本の命運がかかっとるとゆうても過言ではないけぇ、絶対に失敗は許されぬ! もし失敗したら二度とこの萩の地を踏まぬ覚悟じゃ!」
 『航海遠略策』による公武周旋に長井は改めて情熱を燃やした。

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