第145話 玄瑞と龍馬

文字数 1,441文字

 安藤対馬守が坂下門外で襲撃されていたころ、土佐勤皇党の一員である坂本龍馬は党の盟主武市半平太の書状を携えて萩の久坂玄瑞の元を訪ねていた。
「わざわざ土佐からようお出で下さったな、坂本殿」
 久坂は妻文の実家に身を寄せている自身を訪ねてきた龍馬を歓迎する。
「志も果たせず虚しく萩におるしかないわしにまだ会いに来て下さる客がおるとはまっことありがたいことじゃ」
 久坂が今自身の置かれている状況について自嘲気味に言うと、龍馬は、
「これはこれは。武市さんから聞いとった話とは大分違うみたいですのぉ」
 と能天気に笑いながら言った。
「坂本殿?」
「久坂殿はかの吉田寅次郎先生の一番弟子で、長州一の傑物じゃと武市さんは暇があればゆうちょりました。今日ここに来たんも長州の久坂殿と懇意にすることで土佐の一藩勤皇を進めようとする武市さんの考えでここに来たがです。ですが今の久坂殿は武市さんが話していた久坂殿とは全く似ても似つかん人物じゃ。正直ゆうて土佐から萩まで来たんは無駄じゃったと思い始めちょります」
 卑屈になっている久坂に対して龍馬は笑いながらも手厳しいことを言う。
「随分言いたい放題ゆうてくれるではないか、坂本殿!」
 身も蓋もない龍馬の発言に対して久坂は憤慨した。
「別にわしは何もただ萩でいじけているばかりでないぞ! もうすでに次は何をすべきかちゃんと考えとる!」
「ほう、具体的にどんなことをお考えですろうかのぉ? 久坂殿」
 龍馬は久坂が今何を考えているのかお手並み拝見と言わんばかりの様子でいる。
「わし等草莽の志士が藩の縛りに囚われる事なく勤皇のため、攘夷のためにそれぞれ動くことじゃ! 幕府頼みにならず! 諸侯も公卿もまた頼みにならず! 今こそ草莽の志士達が立ち上がって帝の叡慮を貫くべきなのであります!」
 久坂の新たな考えの内容はまだ続く。
「かつて寅次郎先生が間部要撃策や伏見要駕策を実行しようとするも周りから理解を得られずに失敗に終わったとき、それらに代わる策として『草莽崛起論』を新たに実行に移そうとしとりましたが、今になって初めてあの時の先生のお気持ちがどねぇなもんじゃったかが分かりました。この国にはもう諸侯も公卿も幕府もいらないのであります! 武市殿がなそうとされとる一藩勤皇など最早古いのであります! 藩も身分も全て捨てて身一つで皇国のために行動する気概と覚悟がありゃあそれで充分なのであります!」
 久坂が『草莽崛起論』について熱く語ると、龍馬は大笑いしながら、
「そうじゃ! それでこそ武市さんがゆうてた久坂殿じゃ!」
 と感心した。
「わしも武市さんの一藩勤皇はもう古いと思うちょるがです。武市さんは一藩勤皇を成し遂げるゆうて参政の吉田東洋様と喧嘩ばかりしちょるが、はっきりゆうてこんまいこんまい。異国が日本を乗っ取ろうと虎視眈々としちょるのに、いつまでも土佐だ上士だ下士だに拘っていてはいかんぜよ。久坂殿の仰れちょるように、今こそ皇国を守るために草莽の志士達が立ち上がらにゃあいかんきに」
 龍馬も久坂の『草莽崛起論』に同調すると、久坂は大層うれしそうな様子で、
「そうじゃろうそうじゃろう! 坂本殿がわしの考えを分かって下さってまっことうれしいぞ! わし等寅次郎先生の門下生達は必ずや草莽の志士として皇国を守り、外夷を懲らしめてやるのであります! わしの考えはまだこれだけではないけぇ、もっともっと存分に語り明かそうぞ!」
 と言うと、妻の文に龍馬と自身に酒を持ってくるよう命じた。

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