第96話 寅次郎と政之助

文字数 927文字

 萩を出て一月後、寅次郎は番人達に警護されながら江戸に着府し、桜田の藩邸内にあった牢に入った。
「僕が評定所で吟味されるのは、いつごろでございましょうか?」
 寅次郎の入っている牢の前に来た周布政之助に対し、寅次郎が尋ねる。
「まだ分からんが、近いうちに幕府から沙汰が出されることだけははっきりしとる」
 周布はどこか気まずそうな様子で寅次郎の問いに答えた。
「左様でございますか。江戸に着府したら、すぐに評定所に呼ばれるものと思うとりましたが、どうやら僕の思い違いじゃったようですのう」
 寅次郎が笑いながら言う。
「寅次郎、済まなかった」
 周布が寅次郎に深々と頭を下げた。
「周布様、いきなり何をなされます!」
 頭を下げた周布に対し、寅次郎が困惑している。
「儂が不甲斐ないばかりにお前を幕府から守ることができんかった。お前の塾生達に対しても然るべきときがきたら野山獄から出すと約束したのに、その約束を反故にしてしもうた。全ては儂の招いた不始末、責めるなら儂を責めよ」
 周布は無力感と罪悪感に押しつぶされながら寅次郎に謝罪した。
「頭をお上げください、周布様」
 周布に謝罪された寅次郎はかなり狼狽している。
「僕が幕府に召喚されたんはひとえに僕自身が招いたことであり、周布様が責を負う必要など、どこにもござりませぬ。僕はあくまで自身の正義と至誠に従って行動しちょるだけであり、それによって命を落としたとしても悔いはござりませぬ。じゃけぇどうか僕のことなどお気になさらないで下さい」
 寅次郎は慌てながらも思いの丈をしっかりと周布に語った。
「お前は不器用なほどに愚直で純粋な男じゃな、寅次郎」
 周布はまだ申し訳ない気持ちに引きずられている。
「周布様の仰るとおりじゃと僕も思います。じゃがそれが僕であり、僕の生き方なのであります。もし僕のことをご理解下さるのであれば、このまま僕の行く末を見守って頂ければ幸いと存じちょります」
 寅次郎は自身の願いを周布に言うと、それに対し周布は、
「相分かった。お前の願い、しかとこの周布政之助が承った。お前の弁舌で思う存分、井伊の赤鬼達相手に戦をして参れ。あとのことはこの儂が何とかするけぇ、何も心配するな」
 と力強く答えてその場を後にした。
 
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