第137話 玄瑞と政之助

文字数 1,668文字

 晋作が定広と供に玉川へ遠乗りに出かけていたころ、麻布にある長州屋敷にて久坂が周布政之助を自身の味方にすべく説諭していた。
「どうか周布様、お願いでございます!」
 屋敷内の一室で久坂が周布に懇願している。
「我等に力をお貸しください! 和宮様の降嫁と長井の公武周旋の阻止にお力添え下さい! かつて寅次郎先生にいろいろご助力下さった貴方様の力が今こそ必要なのであります!」
 久坂が必死になって周布に力を貸すよう頼み込んでいる。
「何故儂の力がそねぇ欲しいのじゃ? お主は確か薩摩や水戸の有志と繋がりが深いはずではなかったんか? 儂に頼るよりも薩摩や水戸の有志達に頼る方が余程道理に適っとると思うが」
 険しい表情で周布が尋ねてきた。
「当初は薩摩や水戸の力を頼りにしとりましたが、薩摩はわし等が思うてた以上に因循であてにならず、水戸は東禅寺のエゲレス人共を襲撃して以降、藩内がごたついてまともに身動きがとれぬ有様ですけぇ、わし等長州の有志だけで対処するより他ないのであります! じゃがわし等だけで和宮様の降嫁と長井の公武周旋を阻止するのは到底無理なことであり、周布様の様にわし等のことを理解して下さる上役のご助力頂かなければ何もできぬのが現状であります! じゃけぇどうかわし等に力をお貸し頂くことはできんでしょうか?」
 久坂が周布の力を借りたい訳について語ると、周布は依然険しい表情のまま、
「そもそもお主は如何にして和宮様の降嫁と長井殿の公武周旋を阻止するつもりでおるのじゃ? 儂が力を貸すか否かはお主の考えとる策の内容次第じゃ」
 と久坂に試すような問いを投げかける。
「まず伏見において今年江戸に参勤することになっとる御殿様の御一行が東上してくるんを待ち構え、一行が伏見に着いたら『航海遠略策』を捨てて破約攘夷に藩是を変えるよう身命を賭して諫言し、藩是を破約攘夷に変えた後に御殿様に上洛して頂き、和宮様降嫁の中止を帝に進言してもらう腹積もりでわしはおります! この策はわし等のような若造だけでなく、周布様の様な御重役の方に協力してもろうて初めて現実のものとなるのであります! どうか周布様、お聞き届け下さりますよう、よろしくお願い申し上げまする!」
 久坂が周布に自身の考えている策の内容一切を話すと、周布の表情が少しだけ柔らかくなった。
「お主の策の内容はよう分かった。お主が長州で、いんや天下で一番この皇国を憂いていることもな」
 周布は久坂のことを認めるようなことを口にすると続けて、
「じゃが和宮様の降嫁は既に帝がお認めになったことであり、今年の十月に中仙道を通って江戸に行かれる準備が進んどる今となっては阻止しようがない。ただ長井の『航海遠略策』を捨てて破約攘夷に藩是をかえることはできるやもしれぬ。供に伏見に参って御殿様に諫言しようではないか」
 と久坂に協力する決意を固めた。
「周布様……」
「儂も正直ゆうて長井殿の『航海遠略策』は幕府の権威回復のために好いように使われるだけ使われて終わるような気がしてならんちゃ。安藤対馬守も久世大和守も信用できんからの。それに儂にはお主の師であった寅次郎を救えなかった負い目があるけぇ、弟子のお主まで見捨ててしもうたら、それこそあの世の寅次郎に顔向けできぬ。今度こそお主等寅次郎の弟子達と生死を共にする所存じゃ」
 周布がにっこり笑って久坂の味方になることを宣言すると、久坂は涙ぐみながら、
「ありがとうございまする! 是非共に伏見へ参りましょうぞ」
 と礼を言った。





 この会話から一月ほど後、久坂と周布は伏見にて藩主慶親の一行を待ち構えるも、慶親が周防国都濃郡福川にて発病し、十日以上休養したために大幅に東上が遅れ、それを受けて伏見での旅費が底を尽きかけたのでやむを得ず伏見を離れて西上し、安芸国の廿日市駅で藩主慶親の一行に直訴することにした。
 しかし慶親一行が久坂達の意見を容れることはなく、久坂には萩への帰国命令が、周布には江戸での職務を放擲した罪を問うて帰国の上、辞表を出すよう命が下されたのであった。
 

 
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