第125話 晋作対五郎兵衛
文字数 2,413文字
その翌日、晋作は剣術試合をすべく田中竜之助と供に松本松本五郎兵衛が待つ道場へと向かった。
「ようおいで下されたな、高杉殿に田中殿」
面以外の防具を付けたままの姿で松本五郎兵衛がにこやかに挨拶をする。五郎兵衛は今年で齢五十八になるが筋骨たくましく、屈強そのものだ。
「五郎兵衛殿。本日は剣術試合の申し出を受けて頂き真に感謝致します」
竜之助は五郎兵衛の屈強そうな体に内心驚きながら晋作と一緒に五郎兵衛に頭を下げた。
「このような田舎の小藩にわざわざお越し下さるとは、お二方は相当剣術がお好きなので御座ろう。儂としてもうれしい限りじゃ」
五郎兵衛は機嫌よさそうに言うと続けて、
「では早速これから試合を執り行いたいと思うがどちらが先に挑まれますかな?」
と晋作達に問いかけた。
「わしから先に試合をしとう存じますが構いませぬかな? 五郎兵衛殿」
一刻も早く試合をしたくてしょうがない晋作が五郎兵衛に申し出る。
「一向に構わぬ。ああそれと言い忘れておったが試合は一本勝負のみじゃ。今日はお二方以外にも試合を申し込まれた方が多数おるのでな。再度儂と試合をしようというのであれば明日以降にしてもらう」
五郎兵衛が試合の条件について述べると、晋作は、
「構いませぬ。今のわしは剣術試合ができる喜びで一杯ですけぇ、充分満足しとります!」
と意気揚々に試合の意気込みを語った。
「うむ、それは結構なことじゃ。防具と竹刀はあちらに用意しておる故、準備でき次第試合を執り行おうぞ」
五郎兵衛が防具や竹刀が置かれている道場の片隅を指差すと、晋作は足早にそちらの方に向かった。
手早く防具を付け、試合の準備を終えた晋作が五郎兵衛達の前に姿を現した。
「どうやら準備はええみたいじゃな。儂も準備ができたところじゃし、早う試合を始めようかの」
五郎兵衛が試合開始を告げると、晋作も五郎兵衛も中段に竹刀を構えた。
しばらくの間、二人は睨みあったまま動かずじっと互いをけん制し合っていたが、晋作が小手を打とうとしているのを察知した五郎兵衛が晋作を制するかの如く、
「面!」
と力強く言って晋作に打ち込んできた。
晋作はそれを竹刀で防ごうとするも防ぎきれず、その竹刀もろとも面に五郎兵衛の強烈な一撃を受けて、そのまま道場の床に倒れ伏した。
ちょっとの間、五郎兵衛は晋作が再び起き上がるのを待っていたが、晋作が完全に気絶して起き上がれなくなったのを察したのか、門弟達に、
「彼を儂の部屋に運んで介抱するのじゃ」
と命じて晋作を道場から退場させた。
「こ、これが聖徳太子流の使い手、松本五郎兵衛殿の力か。かつて江戸練兵館の斎藤弥九郎が一目置いたゆう男の力か……」
晋作に圧勝した五郎兵衛の実力を目の当たりにした竜之助が唖然としている。
「儂の想像を遥かに超えとるばい……これではとても……」
五郎兵衛の余りの強さに竜之助が絶望していると、五郎兵衛が、
「次は田中殿の番じゃ。早う防具を付けなさい」
と竜之助に試合の準備をするよう促してきた。
「松本殿、申し訳にゃあが試合はなかったことにしてもらえんか? 今の高杉殿との試合を見てよう分かった。わしが松本殿に挑むんは十年早いみたいですたい。もう一度腕を磨いて出直させて頂きたい」
竜之助が戦わずして五郎兵衛に降参すると、五郎兵衛は笑いながら、
「それもよかろう。剣客たる者、己の力量を弁え無謀な戦いを避けることも大事なことじゃ。腕を磨いて出直して来るがよい。儂はいつでもそなたの挑戦を待っておるぞ」
と言ったので、竜之助は小さくなりながらすごすごと五郎兵衛の道場から退散した。
「体は大事にゃあか、高杉殿」
竜之助が旅籠の一室で本を読んでいる晋作に心配そうに声をかける。五郎兵衛の部屋で門弟達に介抱された晋作は意識を取り戻した後、安静にするよう勧めてくる門弟たちの反対を押し切って一人自身が逗留する旅籠に戻っていた。
「わ、わしは別に何ともないぞ。田中殿の方こそ大事ないか?」
晋作は強がりを言ってみせるも五郎兵衛に惨敗したのが余程堪えたのか、その声は震えていた。
「儂は無事たい。五郎兵衛殿とは試合をせんかったからの」
竜之助が苦笑いをしながら言う。
「そうであったか。五郎兵衛殿の強さははっきりゆうて異常じゃけぇ、戦わぬのが賢明なのかもしれんな」
晋作は険しい顔をしている。
「儂は一度故郷の肥前に帰って剣の腕を鍛え直すことにするばい。今のまま五郎兵衛殿と戦こうても試合にもならんけん、一から修行し直すことにすっばい」
竜之助は故郷に帰ることを決意すると続けて、
「高杉殿。貴殿はどがんすっつもりったい?」
と晋作に尋ねてきた。
「わしはまだ壬生に残るつもりでおる。このままやられっぱなしのままではおれんからの」
晋作が竜之助の問いかけに答えると、竜之助は不思議そうな顔をしながら、
「あいだけの実力差があっにも関わらず、まだ挑まれるおつもりなんか?」
と再度尋ねてきた。
「そうじゃ。五郎兵衛殿との力量差は先の試合でよう存じとるが引くわけにはいけん。此度わしが諸州を旅することに決めたんは井の中から脱するためなのじゃ。井の中から脱するために江戸を出てこねぇにして旅をしておるんじゃ。もしここで諦めてしもうたら、わしはずっと井の中のままで大海を知る事ができんまま終わってしまうような気がしてならんのじゃ。じゃけぇわしは諦めるわけにはいけんのんじゃ」
晋作が並々ならぬ思いで決意表明すると、竜之助はふっと軽く笑い、
「左様か。五郎兵衛殿同様、貴殿の強さも儂の想像を遥かに超えとっばい。大した男ばい。健闘を祈っとっぞ」
と言って晋作の宿を後にした。
翌日、晋作は五郎兵衛と再戦するも一本も取れぬまま一方的に打ちのめされ、その翌日も、そのまた翌日も一本も取れぬまま一方的に打ちのめされ、結局五郎兵衛に一矢も報いることなく壬生の地を離れることになるのであった。
「ようおいで下されたな、高杉殿に田中殿」
面以外の防具を付けたままの姿で松本五郎兵衛がにこやかに挨拶をする。五郎兵衛は今年で齢五十八になるが筋骨たくましく、屈強そのものだ。
「五郎兵衛殿。本日は剣術試合の申し出を受けて頂き真に感謝致します」
竜之助は五郎兵衛の屈強そうな体に内心驚きながら晋作と一緒に五郎兵衛に頭を下げた。
「このような田舎の小藩にわざわざお越し下さるとは、お二方は相当剣術がお好きなので御座ろう。儂としてもうれしい限りじゃ」
五郎兵衛は機嫌よさそうに言うと続けて、
「では早速これから試合を執り行いたいと思うがどちらが先に挑まれますかな?」
と晋作達に問いかけた。
「わしから先に試合をしとう存じますが構いませぬかな? 五郎兵衛殿」
一刻も早く試合をしたくてしょうがない晋作が五郎兵衛に申し出る。
「一向に構わぬ。ああそれと言い忘れておったが試合は一本勝負のみじゃ。今日はお二方以外にも試合を申し込まれた方が多数おるのでな。再度儂と試合をしようというのであれば明日以降にしてもらう」
五郎兵衛が試合の条件について述べると、晋作は、
「構いませぬ。今のわしは剣術試合ができる喜びで一杯ですけぇ、充分満足しとります!」
と意気揚々に試合の意気込みを語った。
「うむ、それは結構なことじゃ。防具と竹刀はあちらに用意しておる故、準備でき次第試合を執り行おうぞ」
五郎兵衛が防具や竹刀が置かれている道場の片隅を指差すと、晋作は足早にそちらの方に向かった。
手早く防具を付け、試合の準備を終えた晋作が五郎兵衛達の前に姿を現した。
「どうやら準備はええみたいじゃな。儂も準備ができたところじゃし、早う試合を始めようかの」
五郎兵衛が試合開始を告げると、晋作も五郎兵衛も中段に竹刀を構えた。
しばらくの間、二人は睨みあったまま動かずじっと互いをけん制し合っていたが、晋作が小手を打とうとしているのを察知した五郎兵衛が晋作を制するかの如く、
「面!」
と力強く言って晋作に打ち込んできた。
晋作はそれを竹刀で防ごうとするも防ぎきれず、その竹刀もろとも面に五郎兵衛の強烈な一撃を受けて、そのまま道場の床に倒れ伏した。
ちょっとの間、五郎兵衛は晋作が再び起き上がるのを待っていたが、晋作が完全に気絶して起き上がれなくなったのを察したのか、門弟達に、
「彼を儂の部屋に運んで介抱するのじゃ」
と命じて晋作を道場から退場させた。
「こ、これが聖徳太子流の使い手、松本五郎兵衛殿の力か。かつて江戸練兵館の斎藤弥九郎が一目置いたゆう男の力か……」
晋作に圧勝した五郎兵衛の実力を目の当たりにした竜之助が唖然としている。
「儂の想像を遥かに超えとるばい……これではとても……」
五郎兵衛の余りの強さに竜之助が絶望していると、五郎兵衛が、
「次は田中殿の番じゃ。早う防具を付けなさい」
と竜之助に試合の準備をするよう促してきた。
「松本殿、申し訳にゃあが試合はなかったことにしてもらえんか? 今の高杉殿との試合を見てよう分かった。わしが松本殿に挑むんは十年早いみたいですたい。もう一度腕を磨いて出直させて頂きたい」
竜之助が戦わずして五郎兵衛に降参すると、五郎兵衛は笑いながら、
「それもよかろう。剣客たる者、己の力量を弁え無謀な戦いを避けることも大事なことじゃ。腕を磨いて出直して来るがよい。儂はいつでもそなたの挑戦を待っておるぞ」
と言ったので、竜之助は小さくなりながらすごすごと五郎兵衛の道場から退散した。
「体は大事にゃあか、高杉殿」
竜之助が旅籠の一室で本を読んでいる晋作に心配そうに声をかける。五郎兵衛の部屋で門弟達に介抱された晋作は意識を取り戻した後、安静にするよう勧めてくる門弟たちの反対を押し切って一人自身が逗留する旅籠に戻っていた。
「わ、わしは別に何ともないぞ。田中殿の方こそ大事ないか?」
晋作は強がりを言ってみせるも五郎兵衛に惨敗したのが余程堪えたのか、その声は震えていた。
「儂は無事たい。五郎兵衛殿とは試合をせんかったからの」
竜之助が苦笑いをしながら言う。
「そうであったか。五郎兵衛殿の強さははっきりゆうて異常じゃけぇ、戦わぬのが賢明なのかもしれんな」
晋作は険しい顔をしている。
「儂は一度故郷の肥前に帰って剣の腕を鍛え直すことにするばい。今のまま五郎兵衛殿と戦こうても試合にもならんけん、一から修行し直すことにすっばい」
竜之助は故郷に帰ることを決意すると続けて、
「高杉殿。貴殿はどがんすっつもりったい?」
と晋作に尋ねてきた。
「わしはまだ壬生に残るつもりでおる。このままやられっぱなしのままではおれんからの」
晋作が竜之助の問いかけに答えると、竜之助は不思議そうな顔をしながら、
「あいだけの実力差があっにも関わらず、まだ挑まれるおつもりなんか?」
と再度尋ねてきた。
「そうじゃ。五郎兵衛殿との力量差は先の試合でよう存じとるが引くわけにはいけん。此度わしが諸州を旅することに決めたんは井の中から脱するためなのじゃ。井の中から脱するために江戸を出てこねぇにして旅をしておるんじゃ。もしここで諦めてしもうたら、わしはずっと井の中のままで大海を知る事ができんまま終わってしまうような気がしてならんのじゃ。じゃけぇわしは諦めるわけにはいけんのんじゃ」
晋作が並々ならぬ思いで決意表明すると、竜之助はふっと軽く笑い、
「左様か。五郎兵衛殿同様、貴殿の強さも儂の想像を遥かに超えとっばい。大した男ばい。健闘を祈っとっぞ」
と言って晋作の宿を後にした。
翌日、晋作は五郎兵衛と再戦するも一本も取れぬまま一方的に打ちのめされ、その翌日も、そのまた翌日も一本も取れぬまま一方的に打ちのめされ、結局五郎兵衛に一矢も報いることなく壬生の地を離れることになるのであった。