第62話 ゴジラロード

文字数 1,650文字

 1週間後の練習帰りの夜だった。『True Hearts』の扉の前に、テトラが久しぶりに現れた。ビジュアル系のロックスターのような出立ちだ。
 俺は最近、動きやすいパーカーと、スポンサーからもらったジャージを着ている。髪の毛は長いが、中性的なオシャレではなく、後ろで結んでいる。
 もう、すっかり違う世界の人間になってしまったな。俺は、遠い目をして感じた。
「パブ。ヘスティアのこと、知ってっか?」
「なんのことだ?」俺はとぼけた。アイドルのオーディションは、基本、本名で受ける。俺はカミから、「トー横キッズたちには、オーディションを受けていることを内緒にしてくれ」と言われていた。
「ニュースを見てないのか?」テトラは焦った口調だ。
「ニュース?」俺は、練習と、生活環境の変化、それに、母を取り戻す方法を考えていたので時間がない。マスコミ関連は全く見ていなかった。
 もしかして、カミ、オーディションに受かったのかな? 俺は喜ぼうとした。だが、それにしてはテトラの表情が暗い。いい情報を教えてくれる、という顔ではない。
 俺はスマホで芸能ニュースを調べた。すぐに理由が分かる。
『富士見坂46、西京加美。加入辞退。元トー横キッズだった?』
『6期、西京加美。加入辞退。ハメ撮り動画あり?』
『西京加美、最強のウリだった? 加入辞退』
 どのページにも、カミがアイドルを辞めた話が書かれている。こんなにも世間が賑わっていることに、俺は全く気づけなかった。
 天国から地獄。カミの気持ちを考えると恐ろしい。足場が外れる。体の芯から体温が抜ける。俺は、自分が一人で捨てられてしまった時のことを思い出した。
 助けたい! あの時助けてくれたカミのように、すぐさま手を差し伸ばしたい。
「テトラ! ヘスティアとは連絡とれたのか?」俺は、テトラの両肩を押さえた。
「い、いや。とりたかったけど、連絡先途絶えちゃったからさー」
 そうだった。俺も一緒だ。彼女がアイドルになるので、トー横キッズは全員、連絡が切れている。
「でも、レイノさんが、彼女の居場所を調べてくれたんだ」
「どこにいる! 行くぞ!!
「それが……、今は、中国マフィアが経営している風呂に沈められたらしい」
 風呂? ソープランドか! しかもまた中国マフィア?
「なんでそんなことに!」俺は理解ができなかった。
 別に、アイドルになれなかったからといって死ぬわけじゃない。自暴自棄になんてならなくてもいい。カミの価値は全く変わらない。俺はカミの犬だ。自分を頼って、ジムなり花園神社なりに来てくれれば、靴だって舐める。なのに、何で今更、再び、夜の世界に身を置こうとするんだ?
 俺は、彼女を連れて渡米したいと思っている。ならば、アイドルになれなかったことは、むしろ好都合だ。すぐに会いたい。会って、ソープを辞めさせ、一緒に暮らしたい。ジムから給料を月15万円、スポンサーの『新宿特区』からも、毎月10万円をもらっている。それだけあれば、2人分の生活費は何とかなる。
 だが、テトラの次の言葉に、俺は愕然とした。
「あいつ、担当ホストいたじゃん。アイドル辞めさせられた時、そいつに頼ったらしいんだ。そしたら、1週間で1000万を使わされて、売り掛け払えないからてんで、ソープに沈められたって」
 俺は、アイドルになって喜ぶカミと、ソープランドで作り笑顔で接待するカミの両方の顔が、交互に頭に思い浮かんだ。
 テトラの話を聞きながらもスマホを見る。ネット情報は、スクロールしてもスクロールしても、彼女に冷たい。あんなにも良い子なのに。誰も中身を知らないくせに。
 この世界では、彼女に対する否定と誹謗中傷だけが溢れていた。
「風呂の場所は分かるのか?」
「芸能人御用達の秘密倶楽部だって言ってた。俺は知らねーけど、レイノさんなら、きっと知ってるはずだ」
「連絡とってくれ!」
「りょ」
 テトラの連絡により、1時間後、2人は、新宿シネシティ広場でレイノを待った。ゴジラロードをゆっくりと、黒塗りのベンツがやってくる。
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