第27話 流行遅れのSベンツ

文字数 1,692文字

 ハリスが誰かと電話を終える。笑顔で振り返る。
「オヤジさんが話を聞いてくれるって」
 俺はテトラやカミたちと別れ、ハリスの後についていった。だが、ハリスとは初対面だ。話すことがない。
 沈黙に耐えられない俺は、ハリスの引っ張っている小さなバイクについての質問をした。モンキーにするか迷った末にハンターカブにしたとか、そういう話だ。塗装もして、改造もしたらしい。
 正直、俺は、バイクには興味がない。だが、よく、男が改造車に凝っているという話を読んだことがある。女でそういう人はあまり聞いたことがない。だから、自分も大人になったらハマるのかもしれない。少なくとも、今は大人ではないようだ。
 歩いて5分もすると、徐々に暗い場所に変わる。周りはホテルだらけになる。
「ああ。あれだ」ハリスの指さす方向を見ると、1台のベンツが止まっている。黒塗りのベンツというやつだ。俺は身震いした。
 ハリスがノックする。後部座席の扉が自動で開く。ハリスに促され、俺は車に乗り込んだ。ベンツに乗ることは生まれて初めてだ。革製品独特の匂いがする。日本のラップが流れている。
 中には、スーツを着た大柄の男がいた。身長は180cm程度しかないが、坊主頭でプロレスラー体型。俺よりも体重は40kg近く重いだろう。年齢は50くらいだろうか。サングラスをかけて威厳がある。
 俺は、その男の隣に座らされた。後部座席がギッシリと男たちの体温で熱い。
「後は任せろ。行っていいぞ」ハリスは頭を下げて扉を閉めた。
 ベンツの中は、運転手と俺らの3人きり。車は音もなく動き出した。
「ハリスから聞いている。レイノだ。よろしくな」レイノと握手をする。太くて厚い手のひらだ。肌が油ぎっている。
 レイノは、ペンと紙を俺に渡した。
「ここに必要事項を書いてくれ」
 俺は、カミから聞いていた。絶対に個人情報を出すな、と。
「すいません。俺、こういうのが書けないんです」
「NPO団体の俺たちが信じられないのか?」レイノは、顔色を変えてすごんできた。
「そうではないのですが」こういう時には、背中が丸まった方が負けだ。俺は、気持ちでは引き下がらないようにした。
「君はまだ子供だから知らないだろう。だが、契約書は、大人になったら全員が書くものだ」レイノは、俺にズイと迫ってきた。威圧。なるほど。これは確かに、個人情報を言わないほうが良さそうだ。咄嗟に逃げ口上が出る。
「いえ……。宗教上、言ってはいけない決まりになっていて……。でしたら一度、牧師を連れてきたいです」違う大人を連れてくるという出まかせ。途端に、レイノの口調は柔らかくなった。
「身分証とかもないのかい?」俺の体をはたいて出っ張りを探す。
「はい」ハツジはカミに頼んで、すでに学生証を隠してもらっていた。84円と御守りしか持っていない。
「そうか……。なら、仕事の件は無しだな」
 なんだかNPO法人という名前は心地よいが、不穏な匂いがする。これなら、ホームレスをしながら16歳まで待つ方がまだマシかもしれない。
「分かりました。降ります」
 俺は、恐怖から逃れられることに安堵した。ベンツは動き始めてから、まだ5分くらいだ。窓にはカーテンがかかっている。ここがどこかは分からないが、どうせ暇なのだ。時間をかけて歩けば、歌舞伎町に戻ることはできる。
「……まあ待て」
 レイノは、少し考えた後で俺を止めた。
「分かった。パブ。それでいい。俺たちはNPO団体だ。お前に何かあったら危ないと思って、履歴書を作って欲しかった。ただそれだけだ。だが、お前のように身寄りのない奴を放ってはおけねぇ。そっちの方が大事だからな」
「ありがとうございます」俺は反射的にお礼を言った。正直なところ、この人からは仕事をもらいたくない。だが、社会は自分に仕事をくれない。仕事をしなければお金が手に入らない。お金がなければ生きてはいけない。こんな好機は滅多にない。
 もちろん、人殺しのようにとんでもないことをさせられるようなら、やるつもりはない。だが、まずは仕事の内容を聞いて、出来るだけのことはしよう。それが大人だ。俺は、生きていく決心を固めた。
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