第30話 界隈(2)

文字数 1,740文字

 すぐやれる美男美女。これらの恩恵を預かりに、暇な大学生や引きこもりのニートも、この界隈にやってくる。悪い大人たちも、彼らを使って一儲けしようと、企みを持ってやってくる。
 界隈は、TikTokなどを見ていると、派手で楽しそうに見える。だが実際、この空間には、未来がない。ただ、今、目の前の動物的本能だけしか、存在していない。お互いがお互いを騙し合い、お互いがお互いを貶し合い、それでも、表面だっては友達恋人ヅラする空間。これが界隈の正体だ。
 それでも、実生活では友達ができたことのないハツジにとって、少なくとも、友達ができているこの空間はいい。
 自分の服装や好みなんてものもない。みんなと同じ、黒の服で統一する。髪も、黒か派手な色で、マッシュか、目が半分隠れるほどに伸ばす。マスクももちろん、韓国製立体マスクの黒だ。
 毎日、みんなで自撮りをしてTikTokに流すが、踊りが上手い人も誰一人としていない。誰かが考えた振り付けを、みんながそれぞれだらしなく、バラバラに、統一感なく踊るだけだ。
 「もっとしっかり踊ろう」なんて言ったらダメだ。努力を見せたり、否定をしたら、その瞬間、みんなから嫌われる。
 どんな理由かは関係ない。今の何も出来ない自分に対しての反対意見を出されたら、その瞬間、自分自身の存在を否定されているような気になってしまうのだ。だからこそ、何も発展しないし、全てが嘘だらけ。これが、世界の本質なのだ。
 俺は、週に2回は、炊き出しのために礼拝していた。だが、キリスト教は助けてくれない。隣人を愛せば騙される。優しくすれば損をする。正直という言葉は、耳触りがいいだけの偽りだ。信者は正直だからこそ、哀れな子羊となる。それが世界なのだ。
 キリストは、聖人という名の偶像にすぎない。現実の役には立たない説教を聞いてやる代わりに、パンとワインを差し出すベンディングマシーンだ。説教がなかったら尚ありがたい。
 ただ、この説教が、なぜか自分の心に突き刺さることがある。救いのない言葉に救いを求めている。俺はトー横キッズと遊んでいる時、ふと、我に返ることがあった。そんな時はいつも、キリスト教なんか知らなければよかったと思った。

 こうして、あっという間に1年が過ぎた。学校や家がなくとも何とでもなる。俺はすっかり、この街のルールに馴染んだ。
 まず、TikTokで楽しそうな映像を載せれば、女たちが寄ってくる。弱者ホイホイに引っかかった女をたぶらかせば、女から貢いでもらえるようにもなる。HHC系の薬を使わせながら、「偽りでもいいから愛をくれ」という決め台詞を囁けば、女は自分のいい金蔓になる。10人から毎月3万ずつ引き出せば、社会人の給料くらいは簡単に稼げる。
 こうなると、炊き出しなどには行かなくても良くなる。ネカフェではなく、毎日のように仲間とホテル暮らしだ。特にAPAホテルは、コロナのおかげで2500円で泊まれる時もあった。シングルの部屋に5人で泊まれば、1人500円だ。そうでなくとも割引が多く、人数で割れば、だいたい、1泊2000円もしない。
 もちろん、ホテル側としては、安く泊めるのは客のためだろう。だが、俺たちは大人の盲点をついている。シングルの部屋に2人以上で宿泊することも禁止されているが、それを止めるためのシステムが、宿泊客自身の正義感しかない。1人を出禁にしても、他の18歳以上の仲間が部屋の予約をすれば止めようがない。俺たちは、大人に対して完全に勝利していた。
 女には、お金と体以外に、服も貢いでもらっていた。「自分の推しがオシャレじゃないと恥ずかしいだろ?」といえば、いくらでも貢いでくれる。カッコよくさえなれば、女は、股でも財布でも何でも開く。
 オシャレになった俺は、新宿駅ガード下を通る時に、いつもシモダの姿を探す。相変わらず汚ねぇ。オドオドとして、誰とも目を合わせないようにしている。いくら俺の身長が高いとはいえ、見栄えの変わった俺には、気づかない。俺は、彼には決して話しかけなかった。
 若くてよかった。歳を取ることは残酷だ。こうして女にチヤホヤされる人生を楽しみ、歳をとったら潔く死のう。俺はそう思って、うずくまるシモダを、優越感と共に見下した。
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