第3話 TOHOシネマズ新宿

文字数 1,330文字

 信号が赤になる。ハイエースが止められる。
「今よ。降りなさい」母がせつく。
 俺は急いで車から降り、荷物が崩れないように、そっと扉を閉めた。都会の速度はバリ3レベルだ。すぐに信号が青になる。母とツレを乗せたハイエースは、別れを惜しむ雰囲気もなく、他の車に紛れて消えていった。
 そして誰もいなくなった。
 周りを見渡す。おお。俺はとんでもない不安と共に、とんでもない自由を感じた。初めてのお小遣い。東京。そして映画! 15歳でこんな冒険をしてる奴なんて、一関には一人だっていない。まるで大人だ。
 俺は、お金を使うイベントに参加したことがなかった。ゲームの課金はもちろん、映画館に入ったことだって一度もない。しかも、場所は新宿だ。ここ歌舞伎町には、『トーホーシネマズ』という、山のように大きな映画館がある。
 車中での母とツレの会話で、新宿に行くということは分かっていた。だから、佐野SAでラーメンを食べながら、ネットでどんな映画館があるかという情報を調べておいたんだ。俺は、最先端に行こうと決めていた。
 武者震いしながら、人が多すぎる信号を1人で渡る。『歌舞伎町一番街』と書かれた門の前に立つ。歌舞伎町、という看板を掲げている割に、古くてショボい。文字を囲っている横たわった赤いシャネルの形がダラしない。いかにも堕落を連想させる。街を歩く人も、全員が堕落しているように見える。俺は田舎者に見られないよう、大人ぶった顔つきで歌舞伎町の門の下をくぐった。
 人が多いということはテレビで知っていた。それでもせいぜい、朝の一関駅程度のものだろうと思っていた。予想以上に人数が多かった場合も想定していた。ところが、一番驚いたことは、人数ではなかった。こんなにも混んでいるというのに、大人が1人もスーツを着ていないことだ。
 まだ学校が終わる時間でもないのに、子供たちも、7割が制服を着ていない。この街では、日中に働いていない人がこんなにもいるのか? 学校に行っていない人がこれほどにいるのか? それでも、街は活発に動いている。一体誰がこの街を作っているのだろう。不思議だ。
 歩きながら俺は、もう1つの驚きを発見した。コンビニの近くだけだと思っていたのに、どこに行っても無料Wi-Fiが飛んでいることだ。マジかよ。タダでネットができんのかよ。
 合法的とはいえ、人のものをタダで手に入れているような背徳感やお得感が得られる。俺は早速、フリーWiFiを使用して、「なぜ東京ではWi-Fiが無料で使えるのか」について、無駄に検索してみた。
 結果、このWi-Fiは、2020年開催予定だった東京オリンピックの時に設置されたことが分かった。海外では、どこでも自由にWi-Fiが使えるそうだ。そこで、外国人が多数来そうな新宿に、急遽、見栄えを気にして設置したらしい。だから、東京全体ではなく、新宿駅近くだけしか無料Wi-Fiは使えないということも分かった。
 まぁ、いくら税金をかけたのかは知らねぇが、結局、コロナで外国人は入国できずだ。全ては無駄になった。その結果、今では、一関からやって来た15歳のガキが無料で使っている。ザマァみろだ。
 俺は、大きな権力に対して、爽快感を持って鼻を鳴らした。
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